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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(88) 番外−香港篇−2 雨の中バスは香港島へ

 香港はかなり車が走っているはずだが渋滞に掴まらず、バスは予約してある香港島のホテルへ快調に向かう。

【写真−1 香港の道路はイギリス式で左側走行でさすがの中国も変えられない】

 時間帯によって渋滞は生じても、かなり道が整備されていて、地下鉄、バス、それに香港島で走る『トラム』など公共交通機関が発達していて、車がなくても香港は生活できる。

 また、香港の住環境の狭さは有名で、駐車場を持つことが普通レベルでは大変なためもあるかも知れない。

 写真−1
は空港から海底トンネルを通って、香港島の道を走っている様子で、対岸の九龍方面に高いビルが林立しているのが分かる。

 九龍地域はすぐ近くにあった『啓徳(カイタック)空港』が1998年7月に閉鎖されて、高度制限がなくなりご覧のように中高層のビルが建つようになった。

 啓徳空港は数えきれないほど利用したが、着陸時に飛行機の車輪が団地の屋上に干してある洗濯物を引っかけないかと、ヒヤヒヤしたものでそれも今となっては懐かしい。

【写真−2 香港の建築群を訪ねるだけでも面白い】

 写真−2は経済活動の盛んな香港を象徴するビル群が写っていて、左の三角形を組み合わせたビルが1990年竣工、70階建ての『中国銀行タワー』。既に30年近く経つのにデザインの斬新製は変わっていない。

 その右の四角いビルは香港の企業集団の『長江センター』で、こちらも70階建てだが完成は1999年で、中国で仕事をしていた時にはまだこのビルはなかった。

 その右のビルが『香港上海銀行ビル』で、1985年竣工で階数は44階と低いが、世界的な名建築で、中国銀行がこのビルに対抗して今のビルを作ったのは有名な話。

 写真の右側手前に薄茶色の壁を持つ建物は『マンダリン・ホテル』で、このホテルには泊まったことがあり、当時は禁煙と喫煙の区別が成されていなくて、泊まった部屋が煙草臭かったことを一番覚えている。

 そういえば今でこそ香港は喫煙に五月蠅いが、1990年代は映画館の中でもタバコ吸い放題で閉口した記憶がある。

【写真−3 いかにも香港らしい看板と色使い】

 写真−3は香港島の中心部を走っている時に見かけた店で、中央は両替店。人民幣云々と書いてあるように、中国元を両替出来ると大きく宣伝していて、中国本土からの中国人観光客の人民元が強いことを表している。

 やはり中国で仕事をしていた当時は、中国元など香港では価値はなく、ごく一部でしか両替できなく、それを思うと中国の急成長した経済を端的に物語っている。

 また想い出話だが、当時、香港の電気製品を売る店の前には本土から来た中国人が開店前に押しかけ、開店と同時に店内へ雪崩れ込んでいたが、あれは香港に買い出しに来た連中だが、経済大国と自負する中国も少し前はそんな具合であった。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 18:50
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