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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(64) 四国最南端にある三十八番札所『金剛福寺』

 足摺岬へ行く前に朝一番で、三十八番札所『金剛福寺(こんごうふくじ)』へ参拝する。この札所は三十七番札所『岩本寺』から80キロ以上離れていて、四国八十八ヶ所霊場間最長の距離を持つ。

【写真−1 人の少ない早朝の参拝は気持ちが良い

 車なら漫然と走らせても2時間少々で着くが、歩き遍路だと延べ30時間程度、宿泊数で3泊はかかり、かなり厳しい道程になり、高知の遍路旅は『修行の道』といわれているのも分かる。

 写真−1は足摺岬を走る道路沿いにある金剛福寺山門で、山門に掲げられている扁額と左の石柱に『補陀洛東門』、右の石柱には『南海観世音』と記されている。

 仏教には『西方浄土』といって西に阿弥陀仏の住む浄土があり、同様に南の方角彼方にも観音菩薩の住む浄土があるとされる信仰があった。

 この南の浄土を『補陀洛(ふだらく)』と呼び、中世の頃から補陀洛を目指して小舟で行者が向かうことを『補陀洛渡海』と称し、海に面する地域から出発した。

 金剛福寺もこの渡海船とゆかりがあるが、特に有名なのは紀伊(和歌山県)の那智勝浦で彼の地には『補陀洛山寺』という寺がある。

 この補陀洛渡海船は記録では40回ほど行われ、那智勝浦の補陀洛山寺からは最多の25回あったとされ、四国では金剛福寺のある足摺岬と室戸岬から行われたとある。

 渡海船は行者の乗った木造舟を沖合いまで曳いて行き沖合で切り離したらしいが、舟は黒潮に乗って流され、やがては波浪による難破、あるいは行者の餓死に至るが、そういった行為は現代の眼で見れば『自殺』も同然だが、時代、信仰によっては崇められるから不思議である。

 この補陀洛渡海、井上靖の小説『補陀洛渡海記』にあるように、無理矢理に舟に乗せられたり、途中で舟から逃げる行者もあって人間臭い一面もあった。

【写真−2 和泉式部の石塔が残る】

 写真−2は金剛福寺の境内で、右側の堂宇が本堂。最近になって造られたと思われる庭園が広々し、静かな朝の池面に堂宇と木々の影が映る。この境内には新しい木造の堂宇も造られていて、足摺岬観光の御膝元に相応しい大寺の風格を持つ。

 同寺は源氏の信仰も厚く、本堂右手側には平安中期に源満仲の寄進した多宝塔がかつてあったが、現存するのは3代目になる明治13年(1880年)落慶の建物で。既に140年近く経過していて、江戸から明治期の木造建築技術が残り、3間四方高さ19m余とある。

【写真−3 修行中の人物に代筆させたという感じの墨書き】

 そういった著名な寺のご朱印が写真−3。朝早い参拝であったのでまだ参拝者の姿もなく、落ち着いた状態で記帳してもらうが、今回の遍路旅で頂いたご朱印は44寺あって、その中でどうもこのご朱印は一番弱弱しく、朱印に墨書きが負けている。

 記帳、対応した納経所の人は男で、ずいぶん若く見えて学生じゃないかと思ったくらいで、察するところ練習で書いていたような気もするが、考え過ぎか。

 この後、足摺岬に足を運ぶが、岬から金剛福寺本堂の屋根が照葉樹林に囲まれて浮かび上がっているのが見え、四国一の霊場の名に恥じない雰囲気を醸し出していた。

 こうして、遍路旅6日目は始まり、次の三十九番札所『延光寺』は宿毛市にあり高知県最後の札所になるが、距離は65キロも離れ、足摺岬を中心にこの間の歩き遍路は相当の克己心が必要となる。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 20:30
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