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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(63) 一夜明けて四国最南端の足摺岬へ

 三十七番札所『岩本寺』からは足摺岬目指してひたすら走る。レンタ−カー会社でもらった案内でも3時間はかかり、明るい内に着くかどうか微妙なところで、勿論、足摺岬にある三十八番札所『金剛福寺(こんごうふくじ)』への参拝は無理。

【写真−1 車は後ろから見ると性格が良く分かる】

 途中、四万十市に入り、市内を流れる四万十川は日本に残る最後の清流といわれ、日程に余裕があれば一泊して四万十川の清流を楽しむなど考えるが、日程的に無理。

 四万十川は堤防などもコンクリートで固めないで自然に整備されていて、写真に撮りたいところだが、一度も停まらずに先を急ぐからもったいない。

 足摺岬は土佐清水市にあり、前を走る観光バスについて走っている内に岬へ至る。既に暗くなっていて、今晩の宿泊はどうするかと思っていると、道沿いに大きな駐車場を持つ民宿があったので宿泊することにした。

 今の民宿は設備もしっかりしていて、泊まった部屋はバス・トイレ付。民宿といっても布団を自分で敷くくらいで2食付の旅館と変わらず、夕食はサバの活き造りが出てきてそれなりに充実している。

 主人は漁師で今は息子の代になっていて、夫婦で民宿経営といっても身体を動かしているのは奥さんだけで、主人は新聞を読んで、客と話をするのが仕事。足摺岬にある小学校が10数人しかいなくて、廃校の危機にあるなど興味深い話を聞く。

 同年輩であったので話は弾んだが、一番印象的であったのは北朝鮮のミサイル発射から『戦争はごめんだ』と言っていたことで、こういう鄙びた地域でそういう人が生活している内は日本は大丈夫と思った。

 

 明けて次の日早く起きて足摺岬へ歩いて向かう。写真−1は近くの駐車場で見たフォルクス・ワーゲンで、薄暗い天気の下、黄色いボディーの色が映える。ワーゲーンは以前日本、セブで乗っていたので一枚撮る。

 もっとも乗っていたのは昔のモデルで、写真のモデルは昔ながらのモデルを真似てはいるが最近のデザインで、エンジンもポルシェと同じの水平対向空冷エンジンではなく、水冷エンジンで昔からワーゲンに親しんだ者にとっては別物の車である。

 そういえば高知ではオープン・カーを走らせる姿を目にすること多く、気候的に走らせるには良い所なのかも知れないし、オープン・カーに乗って車遍路というのも季節が良ければ面白い。

【写真−2 民宿から歩いてもすぐの場所】

 写真−2は足摺岬へ行く途中の道にあった案内板で、付近は亜熱帯性の照葉樹林が繁茂し風が曲がりくねった木々の梢を揺らしている。

 足摺岬は元々『あしずりざき』といっていたらしいが、やがて『あしずりみさき』の呼び方が定着。これを決定付けたのが田宮虎彦の書いた『足摺岬』で、田宮は1949年にこの作品を発表したが、作中の岬から主人公の自殺する思いの記述から、その後この岬から自殺する者が続出したという。

 小生も中学生頃に読んだ記憶を持つが内容は全く覚えていない。田宮は1988年77歳の時、東京・青山の自宅マンション11階から投身自殺をしているが、両親が共に高知県出身であり、岬には文学碑も建てられている。

【写真−3 これで晴れていたら最高の眺めになるが】

 写真−3は足摺岬灯台を臨んだ観光写真もだいたいこの方向を撮る一枚。足摺岬とは良くいったもので、足のすくむ眼下の水面は80m下にあり、太平洋の荒波が磯に砕け、茫々とした水平線が遥か彼方を連想させる。

 足摺岬は四国最南端の地となっているが、実際の四国最南端は宿毛市にある『沖の島』であっても慣用的に足摺岬は四国最南端と定着しているし、晴れやかな水平線を見れば四国最南端は相応しい。

 岬に建つ灯台は1960年に建て建て替えられ、灯火高さは海面から約61mある。最初の灯台は八角形のコンクリート製で、1914年(大正3年)に初点灯だから既に100年以上の歴史を持つ。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 19:12
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