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まにら新聞掲載 Archives (17) セブ補習校の20年と今 その−3 (2004年掲載)

 (3) 理想と現実のはざまで  

 

 戦前のセブには日本人学校があった。1933年(昭8)に初代校長をマニラ日本人学校から迎えて開校。在籍者数は幼稚園・小学校併せて49名、教職員は校長以下4名であり、開校時の日比二世児童の割合は半分を超えていた。
 

【当時の写真 習字の時間】


 設立したセブ日本人会の会員が当時150名というから、現在のセブ日本人会と、会員数では遜色がない。当時は今のような日系企業進出などまれで、バザールと呼ばれた個人商店主や小商いの日本人がほとんどだった。

 日本人が海外に出稼ぎをしていた貧しいこの時代に、日本人学校を設立した人々の教育にかけた熱意には敬服し、今日の様変わりを思うとセブの今が問われている気がする。

 

 

 3人の子どもを通わせる校長は『補習校の限られた時間で、日本並みの学力をつけるのは無理と保護者も承知しています。なかでも永住者の保護者は、補習校で《日本の風》に当ててくれれば良いと思う方が多いですね』と、今のセブ補習校の空気を表現する。
 

 《日本の風》とは、日本では風化しつつある、日本の伝統的な行事や文化・習慣などを補習校で実践、学ぶことで、餅つき、節分、桃の節句、端午の節句、七夕と季節、季節に合わせて行なわれている。

 これには保護者の協力も欠かせず、立派なひな人形、鯉のぼりなどが寄贈され日本に負けない行事となっている。

 

 日比間二世の家庭環境では、片親が日本人であっても《日本の風》の当て方は弱く『日本語に触れるのは補習校の毎週3時間だけです』と偽らない悩みをもらす親も多い。

 また、時間の厳守など、日本的な規範の指導も行っていて、わずか1週間の3時間だけで、異文化の中で生活する子どもたちに、どれだけ理解を得られているのか疑問な点はあるが、日本語を学ぶと共に根気良く風に当てている。

 

   ◇

 

その一方、帰国子女についても悩みはある。セブ補習校が今のように日本の教科書で学ぶ帰国子女組と、日本語を習得する日本語組に明確に分けたのは、一昨年のことで歴史は浅い。

 現在、帰国組が6組、日本語組が4組の計10組あるが、帰国組は学年ごとの単式編成としてあり、小規模の補習校としてはかなり気張った陣容になっている。

 

 帰国子女の場合、ふだんはインターナショナル・スクール(IS)に行き、土曜日は補習校へ通う例が多い。ISはISでかなりきついプログラムと英語のみ使用のため、ほとんどの家庭では日本から転入後、英語の個人教師をつけて特訓する日が続く。
 

【当時の写真 遠足はマクタン島のリゾートで西瓜割り】


 同時に日本の教科もないがしろにできず、通信教育を中心に力を注ぐ必要がある。補習校からは学習効果を出すため宿題を出すことも多く、子どもには日本国内以上の勉強漬けが続く日々である。
 

 保護者の都合によるとはいえ、子どもにしてみれば突然の海外生活に適応できず、せっかくの機会も灰色で終わり、現地理解はおろか、英語も日本語も中途半端で帰国するという例が、世界中で増えている。これらの問題を在外教育の世界では《三重苦》と名付けて対処するも、解決に至る妙案がないのが実情である。
 

 ある講師は『本当は塾の延長のような補習校ではなく、現地校では学べない創作活動や理科・社会など、海外で生活する強味を活かして勉強をさせるのが理想です。

 しかし、常識的な漢字さえもポロポロ欠ける子どもの実態を目の当たりにすると、一字でも多く覚えるように指導しなければならず、『それが理想との間の課題ですね』という。


 【続く】

 


 

author:cebushima, category:まにら新聞寄稿 Archives, 19:50
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