RSS | ATOM | SEARCH
この一枚2016年 セブ篇 その(29) 日本の鉄道博物館にて

 1872年(明治5年)10月14日に新橋―横浜間の鉄道が営業開始し、この日は『鉄道記念日』になっている。

【写真−1】

 明治に改元して早くも5年目に鉄道を開業するとは当時の日本の勢いを感じさせるが、この頃は今の太陽暦ではなく太陰暦を使っていたからいかにも江戸時代から変わったばかりの空気を思わせる。

  6年前に埼玉の大宮にある『鉄道博物館』へ行っているので、その時撮った写真を今回は6枚載せたい。写真−1は新橋―横浜開業の解説パネルで、新橋は今の新橋駅ではなくかつての汐留操車場にあり、横浜も桜木町の方にあった。

 汐留跡地は民間に払い下げられて大手不動産があっという間に開発したが、今騒がれている築地市場移転問題も、元は都心に残った最後の土地の利権を巡ってであって、その辺りを解明する必要があるのではないか。

【写真−2】

 写真−2は博物館のハイライトとも言える中央部で、各種車両が展示されている。円形の部分は機関車の転車台で、こうやって車両の前後を変えていた様子を時間を決めて実演している。

 鉄道博物館は昔、秋葉原の万世橋に『交通博物館』があって、子どもの頃はずいぶん通った想い出があり、当時の秋葉原は今のような家電街は小さく、電気や電子部品を売る小さな店が多かった。

 当時の交通博物館は鉄道だけではなく、海や空の乗り物もそろえていてあれらはどこへ行ったのであろうか。

【写真−3】

 写真−3はかつての通勤電車の車内の様子。床が木張り、布張り座席、網棚など時代を感じさせるが、この電車で通学していたから懐かしい。

 当時は殺人的なラッシュで寒くなると着ぶくれした乗客を車内に押し込むために『尻押し部隊』と呼ばれた係員がいたが、今だったら『セクハラ』でとても駄目だが、当時の風物詩でもあった。

【写真−4】

 写真−4は修学旅行用の『ひので』のプレートと模型。車両の派手な塗り分けに覚えがあって、これに乗って中学の修学旅行は京都、奈良へ行った。

 乗車時の様子はもう覚えていないが普通の座席に10時間ぐらい座っていたと思うから、昔の中学生は今よりはまだ忍耐心はあった。

 修学旅行中に常磐線で大事故の『三河島脱線事故』があり、京都の旅館で事故のことを知り、常磐線は時々乗っていたから何とも嫌な気がした。

【写真−5】

 写真−5は東海道新幹線の最初のモデル。東海道新幹線は東京オリンピックに間に合わせるように工事をし、全長515キロを起工から5年半で開通。

 営業開始がオリンピックの開会式10月10日直前の10月1日であったから、ギリギリで関係者はさぞ神経をすり減らしたことであろう。

 昨年、桜巡りで日本へ行った時、新幹線を多用したが、速くて便利ではあるが運賃はやはり高いなと感じた。

【写真−6】

 最後の写真−6は鉄道博物館で食べた『駅弁』で、上品に調理されているが味は凡庸。弁当とお茶で楽に1000円を超し、その昔の駅弁はいくらしたかなと思い出しながら食べた。


 

author:cebushima, category:この一枚 2016 セブ篇, 20:15
-, trackbacks(0), pookmark
Trackback
url: トラックバック機能は終了しました。