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ルソン島紀行 イロコス篇 その(30) マニラ逍遥−10 イントラムロスを訪ねサンチャゴ要塞へ

 フィリピンの首都はマニラと思っている人は多いが、私の記憶では首都はケソン市とあったが、いま改めて調べたらやはりケソン市はフィリピンの首都であった。

 ただし、ケソン市が首都であったのは1948
年から1976
年までで、この時の大統領は独裁者マルコスであったから、簡単に首都を代えられたのであろう。独裁者の時代というのは首都などご都合で代えることが多く、ミャンマーなどその典型的な例で、国名と首都名の変更はおろか、首都も移転した。

【写真−1 イントラムロス内には大学など教育施設も多い】

 現在の首都マニラの一角に『イントラムロス』という地区があって、かつてのスペイン植民地時代の面影が残っている場所の観光地として名高い。写真−1がそのイントラムロスへ入る入り口で、これで分かるようにこの地域は城壁で囲まれている。

 この地域は1600年代初め頃に完成しているが、内部にスペイン植民地関係機関やカトリック教会、その付属の学校などがあり、スペイン人が居住していた。今はマニラ市の一つの行政区になっているが、いわばマニラ発祥の地であり古い教会や建物が残っている。

 しかし、現存する建物は1945年2月の日本軍と連合軍との間で繰り広げられた無意味な『マニラ市街戦』でほとんどが破壊されていて、復元、修復された建造物である。

【写真−2 日影のないのが欠点だが散歩には最適】

 写真−2はイントラムロス内にあるこちらも観光名所で有名な『サンチャゴ要塞』の外壁上の舗道。綺麗に石が敷き詰められて、この上をスペイン人兵士が歩いたのかと古を偲ぶような気持になるが、この上は無料でも要塞へは入場料を払って入る。

 サンチャゴ要塞にはホセ・リサールがスペイン植民地政府によって幽閉され、1896年12月30日、すぐそばの現在の公園で銃殺されたが、この日はフィリピンの祝日にもなり、中にはその記念館もある。

【写真−3 木々の向こう側にはマニラ湾が近い】

 写真−3は何かの建物だが、いかにも兵舎というか監房といった趣の建物。近くには草地のゴルフ場が見えてその対比に目を瞠る。

 その昔、要塞内には一度入ったことがあって、その記念館へ入ったような記憶を持つが、覚えているのはカレッサ(馬車)に乗れ乗れと五月蠅かった連中のみで、もちろんぼったくられるのは分かっているから相手にしなかったが、今もこの連中は要注意らしい。

 この要塞には戦時中に日本軍憲兵隊本部の置かれた場所で、この連中はフィリピンに限らずどこでも相当の悪行を残していて、サンチャゴ要塞の近くの川から満潮時に水が入ってくる『水牢』は有名。

 憲兵というのは軍隊内の警察だが、戦前の特高警察と同じでこれが今の警察の公安組織に繋がって行くが、長くなるので止める。この連中、戦犯に問われた者も多いが逆に巧く逃げおおせた憲兵出身の人物も多い。

 


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 イロコス篇, 19:52
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