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9月19日(木) 曇り、風やや強し 閑話休題 《 撤去する震災遺構について 》

 2011311日の『東日本大震災』から2年半が経ち、被災地では新たな気持ちで復興に取り組んでいるが、最近津波で被災した地域の建造物や船などの撤去、片付けが相次いでいる。

 写真は宮城県南三陸町で2011827日に写した。ここには石巻のボランティア基地から行ったが、この地域に入って初めて津波の恐ろしさを実感した。

 戦争時の爆撃写真などは見ているが、どんなに凄まじい猛爆撃でも建物の土台や壁などは残っているもので、南三陸町のように町そのものが消えている状態に声もなかった。

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月に入って、大方のがれきは整理されていたが、被災した大きな建物はそのまま手付かずだった。写真の中央部に写る建物は南三陸町の『防災庁舎』で、この庁舎が解体されることとなった。

 この写真を撮った時は津波の悲劇があった建物だとは知らず、何枚かシャッターを押したが、鉄骨だけになってポツンと残る姿には何か人を引き付ける『気』を感じさせてくれた。

 この3階建ての防災庁舎は避難し、防災情報を流していた町の職員42人が死亡し、防災の役目を果たせなかった象徴的な建物となり、その責任を巡って町当局と遺族の間で争いがあるという。

 それはそれとして、防災庁舎は震災遺構として残すべきとの声も高く、保存派と撤去派がそれぞれの理由で議論を戦わしたが撤去と決まった。やはり『遺族』の見るに忍びない感情が保存派を押し切ったようだが、残したい遺構である。

 こういった負の遺構としては広島の『原爆ドーム』があるが、今は手厚く保護され世界遺産にも登録されるほどだが、被災しばらくは被爆者も地元も政府も米軍も早く撤去したかったようだ。

 原爆を落とした方としては反核に利用されないための証拠隠滅の政治的な動きで、被爆者の方は震災被災者と同様の見るに忍びないだったが、保存運動が起こり現在に至る。原爆被害をこれほどリアルに物語る物はなく、確かに世界の人々に知って欲しい遺産である。

 こういったことを考えると自然災害の恐ろしさを物語る遺構としては、是非保存して後世に語り継がせたいと思い、現在の被災者の遺族感情もやがて和らぐのではないかと思うが、行政も国も一刻も早くこういった物は復興に邪魔、言ってみれば災害に対して行政や国の責任を思い出させるような証拠を早い所無くしたいと思っていたのではないかなどと思ったりする。

 南三陸町から行く気仙沼市でも陸に打ち上げられた漁船の解体作業が始まっている。この大きな漁船の写真は撮っていないが、そのそばを車で通り津波の威力に驚いたものだった。

 その先の釜石市では岸壁に貨物船が船首を突っ込んで立ち往生している姿を見ているが、この船は後に海に降ろされ、スクラップ処分となった。その先、宮古市田老町では被災したホテルを見ていて、ここはホテル経営者が震災遺構として『残す』と直接話を聞いているが、今はその通りになっているだろうか。

 震災遺構について入ってくるニュースで個人の物は割合残す人が多いようだが、行政側の持つ遺構はササッと解体、撤去の動きが目立つ。これは復興資金を握る国の意思もあるようで、そんなセンチメンタルな思いは復興に役立たないと思っているのだろうから、中央の役人どもが考えることは常に変わらない日本である。

 東北の被災各地を回って目についたのは津波についての『石碑』で、その碑文を読むだけで過去の津波、災害の恐ろしさを思い起こさせるが、その昔は石碑程度しか形あるものとして残せなかっただろうが、今はいくらでも末代まで伝える保存方法はあり、現物ほど価値のあるのは事実。部外者の気楽な思いだろうが、何とか残そうと気が変わってくれないかと思っている。


author:cebushima, category:閑話休題2013年9月, 20:45
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