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2月19日(日) 晴れ、軽風 閑話休題 《 陸前高田の一本松から 》
 陸前高田市には30年位前に旅行で訪れたことがある。その時は遠野から釜石に出て、リアス鉄道で南下、陸前高田を経て気仙沼、石巻、塩釜へ出るコースを取った。

 今回の大地震の津波被害地をたどっていたわけだが、旅行中の記憶はあまり覚えていない。陸前高田市は住民の
8%強、2,000人近い死者、行方不明者を出し平坦部は壊滅状態、30年前に降り立った鉄道の駅などどこにあったか分からない有様で、市内の喫茶店でコーヒーを飲んだ記憶はあって、その時ユースホステルに泊っている。

 写真は『奇跡の一本松』として有名になったその松の木で、右手にある建物がユースホステルである。この建物が津波の流れを遮ったためにこの松が残ったともいう。泊ったとはいうが内部の記憶がなく、周りの松原を見たような記憶は微かにあるが、この一本松などもちろん記憶に残っていない。

 津波が襲来する前の海岸の写真を見ると、繁る松原の中にこの一本松は群を抜いた樹高を持ち一人飛び出ている。津波で全滅したこの松原の松を京都で行われる『大文字焼き』で焚き上げる計画が持ち上がって、『放射能』騒ぎで取り止めになった騒動は有名だが、陸前高田の仮設住宅で知り合った人からその顛末を直接聞いた。

 その言によると『京都に避難した陸前高田の金持ちが放射能デマを飛ばしたのが発端』となる。真偽のほどは分からないが、この人は実際に焚き上げに骨を折った人だからまんざら嘘ともいえない感じを受けた。

 この放射能騒ぎは日本人の醜さを見せたが、今もがれき処理で受け入れる、受け入れないで各地のエゴがぶつかっている。特に焼却処理を巡って反対運動が多発しているが、抗議する先は一に東京電力であり、原子力=核開発を擁護、推し進めた歴代の自民党、財界なのではないか。

 処理反対をする人々は膨大な現地のがれきをどうしろというのか、そういった建設的な話は伝わってこない。自分の所さえ放射能汚染しなければ良いという日本人の根性は地に落ちたというより、これが日本人の地なのかも知れない。こういう人々は案外と義捐金を率先して出した人々なのかも知れないとふと感じ、何千億円も義捐金を出そうが根本で間違っている。石原慎太郎がこの件で『日本人が駄目になった証拠』と珍しく正常に批判をしているが当を得ている。

 海外から日本の原発人災事故対応を見ていると、日本人の行動は不可解な所が多く、日本は放射能汚染されてしまい難民として国外に逃げ出さない限り、汚れてしまった小さなコップの中で解決を図るしかないのではないか。

 陸前高田の一本松は海岸部一帯の地盤沈下から塩害を受け結局枯れ死してしまったが、この樹を希望の印とした人々の気持ちは末永く伝わることであろう。


author:cebushima, category:閑話休題2012年2月, 09:59
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