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へそ曲がりセブ島暮らし100景 その100 ラプラプ王
ラプラプ王 このアングル写真は旅行のガイド・ブックにはお馴染みであまり新鮮味はない。場所は国際空港のあるマクタン島で、この場所の近くにはシャングリラと、最近開業したヒルトンの2つの高級リゾート・ホテルがある。手前左の像が『ラプラプ』で、王とも酋長とも色々な記述があるが、マゼランがセブに来た1521年にマクタン島を治めていて、そのマゼランと戦い勝利した指導者である。像の建つ地は戦闘があった古戦場跡で、ラプラプは海岸の方を睥睨している。ラプラプの名は、現在もマクタン島中心の市の名称や近在で獲れる白身の高級魚に名前を残し、どの位真実味があるのか不明だが、その子孫はマクタン島に現在も住んでいる。
 今でこそラプラプは、外国からの侵略者を打ち破った人物として英雄になるが、政治のご都合主義の例に漏れず、マゼラン以降のスペインの植民地時代には反逆者として扱われ、その子孫は名前を変えて隠れるように暮らしていた。

セブ地域にはラプラプ像が他にも2つあり、セブ州庁舎前とラプラプ市役所で同じ姿を見られる。しかし手に持つ武器は違う。中央マニラにもラプラプ像があるらしいが、まだ見た事がない。

 現在、マゼランとの戦いのあった4月に、当時の戦いの様子を再現するイベントが行われて、有名なフィリピン人芸能人が加わりテレビ中継もある。
 観光客をかなり集めるが、貧弱なセブの観光資源を少しでも活かすこういった努力は必要である。

このラプラプの最後だが、一族間で争いがあり、嫌気をさしたラプラプは近くにあるセブ島から見えるカモテス島に渡り、そこで没したという伝説が残る。
 となるとカモテス島にその子孫が当然残って今も住み、マクタンの子孫との関係はどうなっているのかなどとか、没した地には墓があるのかなどと暇な想像が湧き上がる。
 幸いというか、日本で良くある駅弁屋とか羊羹屋の本家や元祖争い争いのような事はなく、子孫はひっそり暮らしていて貴種の驕りはないと言う。


 
author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし100景, 14:33
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