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6月27日(月) 晴れ、微風 閑話休題 《 世界遺産に決まった平泉から盛岡への自転車旅 》
中尊寺・金色堂 平泉の中尊寺を中心にした史跡がユネスコの『世界遺産』に登録された。

 これで日本の各種遺産登録は16件となった。こうして遺産登録に躍起になる国もあれば、タイのようにカンボジアとの領土紛争から遺産条約から脱退する国もある。

 タイは5ヶ所の世界遺産を持ち、バンコクは欧米人から見ると『オリエンタル』になるが、このバンコク内には世界遺産はない。バンコクから車で1時間半ほど北方に『アユタヤ』があり、ここは2回訪れたことがある。

 今回の平泉には昔行ったことがあるが、記憶は薄れている。10代の頃自転車で東北、北海道を廻ったことがあり、その時、平泉に立ち寄った。

 その時のルートは福島原発の側を通ったが、原発を見学していこうという気はなかった。自転車の1日行程はだいたい100キロ前後、泊まるのは公園のベンチの上や駅の待合所などで寝袋持参の貧乏旅だった。

 仙台の親戚宅で数日厄介になってNHKの朝の連続テレビドラマを見てから出発、この日は平泉近辺までの行程を考えていたから、中尊寺を見学する気持ちがあったのだろう。

 一関を過ぎてやがて平泉、日はまだ高く有名な中尊寺に行ったが、どのような伽藍だったか全く記憶は残っていない。有名な金色堂にも行ったが、記憶が曖昧で覆堂を見ただけのようでもあり、金色堂を見たような気もする。

 ただ、記憶の中に光る金色ではなく、くすんだ黄色があって観ているのかも知れない。現在の覆堂はコンクリート造り1965年建設とあり、金色堂はガラス越しに観るようなっているからそうだったかなという気もする。

 毛越寺の有名な庭園も観たような記憶を持つが、今思うとそうやって拝観料を払えるような金を持っていたか疑問だが、仙台の親戚宅を出る時、旅の足しにと餞別をもらっているから、少し自由に使える金があったのだろう。

 義経が討ち死にしたと伝えられる場所には行かなかったが、北上川越しにあの辺りかと眺めた記憶はある。さて、見学終えて平泉近辺に一晩をと思ったが、当時の平泉は寂れた場所で、とても泊まるような場所がなかった。

 日は暮れて来ているし、思い切って国道沿いの仮寝が出来るドライブ・インまで行くかとそのまま夕闇の中を走り出した。夜に走るのは初めてで、国道沿いを疾走する大型トラック(まだ高速道路は東名名神があるだけ)にヒヤヒヤしたが、日中の暑さから比べれば思ったより快適で距離は進んだ。

 結局、未明に盛岡に到着、見つけたドライブ・インで倒れ込むようにして寝た。さすがにその朝は寝過ごし、身体も痛かったが次の町に向かって車輪を進めた。

 仙台―盛岡間の走行距離は200キロはあったと思うが、その位、10代の頃は元気もあったと懐かしむ。

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author:cebushima, category:閑話休題2011年6月, 10:16
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