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4月28日(木) 晴れ、微風 閑話休題 《 平凡パンチが創刊された日 》
平凡パンチ創刊号表紙 428日というと428『沖縄反戦ディー』を思い出すが、前にも書いたので他の話題にする。

 この日の出来事を調べていたら『平凡パンチ』が創刊された日だった。創刊の年は1964年。

 この年の出来事はフランスと中国が国交樹立、海外渡航自由化(所持金500ドルまで)、新潟地震(死者26人)、東海道新幹線開通(東京―新大阪間のひかり運賃合算で2,480円)、東京オリンピック開催。

 相撲は大鵬が全盛、歌では都はるみ『アンコ椿は恋の花』西田佐知子『東京ブルース』、映画は植木等の『無責任シリーズ』という時代で、戦後高度成長の絶頂期になる。

 写真は創刊号の表紙絵で、この創刊号の表紙、覚えているような覚えていないような記憶だが、作者の『大橋歩』は当時としては斬新なイラストで評判を呼んだ。大橋は1971年まで表紙を書き続け、その数390号に及んでいる。

 創刊号の内容だが、この当時の値段は50円、買わずに朝の混んだ電車内で若い男が読んでいるのを横から覗いて読んだ。鈴鹿で日本グランプリが初めて開催され、ポルシェのレーサータイプを金持ちのドラ息子が走らせる記事があった。

 表紙の若者達の服装が今見ても懐かしい『アイビー・スタイル』で、『VAN』だとか『JUN』だとかいった3文字ファッション・ブランドに若者が熱中した。

 アイビーは後に暗殺されるケネディーが好み、それから日本で認知されたというが、3つボタンのスーツ姿は目新しいファッションだった。ボタンダウンのシャツなどもこの時からで、学校で夏の半袖時期にボタンダウンを着ている奴を見ると妙に小粋に見えたものだった。

 IV
の安売りで名を上げた新宿の『ミツミネ』の広告を見て、新宿に出かけるのが楽しみの一つでもあった。
その影響からか齢を重ねてもYシャツはボタンダウンを私もなぜか好んでいる。

 この週刊誌は印象が深い割にはあまり買った記憶がないのは、同級生が必ず買っていてそれを回し読みしたためであろう。

 平凡パンチは今でいうアイドルのグラビア写真が売り物だったが、初期の頃はおとなしく、ビキニ姿が関の山だった。中でも『アグネス・ラム』のビキニ姿は当時の若者を虜にした。今はこの位のモデルはいくらでもいるが、やはり時代なのであろう。

 私も30代の頃初めてハワイに行った時、アグネス・ラムの家まで行って写真を撮りたいといいだし同行者から呆れられた。結局、行かなかったのは『おばさんになったアグネス・ラムを見ても幻滅するだけ』の科白が決め手となった。

 平凡パンチは2年後の1966年に100万部を突破、これ以降下降に向かったから全盛期は非常に短い。1988年に休刊、翌年復刊したが数ヶ月で休刊、そのまま終焉を迎えた。既に時代は多様化、一時代を画した週刊誌は消えた。
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author:cebushima, category:閑話休題2011年4月, 10:03
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