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空想旅行記2020 第1回 『特急を中心に廻る日本一周 鉄道の旅』 14日目=甲府⇒東京⇒仙台⇒東京(最終回)

【甲府駅から新宿を素通りして東京駅へ】

 

【写真−1 甲府駅は南口と北口とでは雰囲気はかなり違う】

 

 甲府駅は駅ビルが南口にあり、県庁や県警などの官庁や繁華街もこちら側にあり市の中心になるが、その反対側の北口で県立図書館や武田神社はこちら側にあり、駅前は2010年に再開発されたが、ビル化されず大きな広場になっている。

 

 写真−1は広場にある『藤村記念館』で、島崎藤村とは関係のない明治期の官僚で山梨県知事も歴任した藤村紫朗の名を取った。建物は1875(明治8)年に小学校として建てられた物で、ここには2度目の移築で国の重要無形文化財。

 

 建物の前に『太白(たいはく)桜』とあるのは、明治期に笛吹川に植えられ当時は地名から『乙黒桜』と呼ばれていたが河川改修でなくなりやがて日本からは絶滅。しかしイギリスにあった樹が逆輸入されて太白桜と命名され現在に至る。花弁の直径は5センチもあり、色は名前通りの白でこの駅前に植樹されている。

 

【写真−2 歌に謳われていた時代の『あずさ』とは全く違う車種】

 

 写真−2の甲府駅発9:04の特急『あずさ6号』に乗車し、東京駅に10:45に到着。中央線を走る特急『あずさ』は1977年にそのものズバリの歌になり大ヒットし、当時は新宿−松本間を定番としたが、今は東京駅どころか千葉まで行く『あずさ』もあるというから驚く。

 

 特急『あずさ6号』の使用車両は2017年運行開始の『E353系』でかなり新しい。昔、あずさに乗ったことがあり、当時の車両は『国鉄色』といわれ、運転席が屋根に突き出た濃いヴェージュ色で特急らしい雰囲気はあったが、この車両は形も色もすっかり洗練されている。

 

 グリーン席は回転が出来る黒と赤の落ち着いた色調でまとめ、新幹線同様の無料のWiFiが使える。あずさで面白いのは指定席の頭上に小さなランプが付いていて、赤は座って良い、黄は後から乗って来るので席を譲る必要がある、緑は着席不可と分かることで便利といえば便利。

 

【日本で昼間では2番目に長い距離を走る特急に】

 

【写真−3 今の時代は特急を使って通勤する人も多い】

 

 東京駅には1時間41分の乗車で10:45に到着。写真−3は昨年の新幹線全線乗車の旅で東京駅で特急『ひたち21号』に乗り換えた時の写真で、この時はビルの窓の明かりが見えるように夕方の通勤時刻帯に入っていた。

 

 常磐線は上野発と思っていたが、特急の場合品川発となっていて、東北の窓口であった上野駅はただの停車駅となって地盤沈下は著しい。常磐線を走る特急『ひたち』の多くはいわき駅止まりで、東京駅発12:53の特急『ひたち13号』は仙台まで行く数少ない特急。

 

【写真−4 狭軌のグリーン席なのに2席×2席の4席仕様】

 

 特急名に『ひたち』と付いているように、元々は古名の常陸から取ったものだが、日立市にある巨大企業の日立製作所を連想させる。写真−4は特急『ひたち』のグリーン席の様子で、それなりに席は埋まっているが、どう見ても利用者の雰囲気は東京出張のサラリーマンが利用している感じ。

 

 特急『ひたち13号』の車両は『E657系』、10両編成、グリーン車は5号車の中ほどにある。この車両の運行開始は2015年3月からで、2011年の東京電力福島原発爆発による放射能汚染区域を走る区間は長らく不通であったが、JRとしては着々とこの区間に新型車両投入を進めていたようだ。

 

【廃炉中の東京電力福島原発そばを何事もなかったように特急は通過】

 

【写真−5 廃炉はこれからだから通過時に鉄道従事者も考えてしまうのでは】

 

 常磐線は上述したように、2011(平成23)年3月11日の『東日本大震災』による津波と福島原発爆発で大きな被害を受けた。津波の被害区間は徐々に復旧させ細切れに列車も運行させたが、富岡−浪江の放射能汚染地域区間は簡単ではなく、最終的に全線が繋がり開通したのは2020(令和2)年3月14日で、実に9年もかかった。

 

 写真−5は全線開通前の2019年11月に竜田駅近くで撮っているが、この沿線の原発に近いかつて爆発によって放射能汚染された町は原発廃炉のバブルに沸いているが、帰還する元の住民が20%程度、子どもなど極少数という実態から、車窓に流れる平和的に見える家々も空しく見える。

 

【写真−6 先の震災では仙台駅も被害に遭った】

 

 東京駅から367.1キロ走った 特急『ひたち13号』は4時間33分の乗車で17:26に仙台駅に到着。日本で2番目に長い区間を走る昼間の特急と書いたが、日本で1番長い区間を走るのは博多駅−宮崎空港間を走る『にちりんシーガイア』で、その走行距離は413キロ、乗車時間は5時間半から6時間に及ぶ。

 

 写真−6は東北最大の人口110万人近くを擁す仙台市の中心、仙台駅改札口付近の様子で、新幹線は勿論、東北本線、仙石線、仙山線、仙台空港線、市営地下鉄が乗り入れて人の動きは活発。仙台には親戚が居たので子どもの頃『仙台七夕』を観に行った記憶を持つが、当時の駅の様子と今とでは全く違って駅と周辺は開発が進んだ。

 

【出発駅の東京駅に2週間ぶりに戻って来て旅は終わった】

 

【写真−7 新幹線の連結時は本当に静かでいつ終わったか分からない】

 

 仙台駅で東北新幹線に乗り換え東京に戻るが『ジャパンレイル・パス』は一部の新幹線車両を除いて乗り降り自由だから東京から特急で仙台まで行き、新幹線を使ってトンボ帰りで東京へ戻ることなど料金を心配しなくて済むから便利である。

 

 仙台から乗車した新幹線は『やまびこ154号』で、仙台駅発17:43、東京駅着19:48、2時間5分の乗車時間。写真−7は左側が東北新幹線『やまびこ』の車両で、右側は山形新幹線に使われる『つばさ』で、山形からやって来た車両が福島で連結される。こういう車種の違う同士の変則的な連結は鉄道マニアには面白いだろうが、新幹線計画に一貫性のないことを表している。

 

【写真−8 高層ビルに囲まれて煉瓦造りの駅舎が余計に目立つ】

 

 北地方は『陸奥』といわれたように東京からは遠い地域と思っていたが、仙台−東京間を2時間少々で走るのも不思議で、これは東海道新幹線の名古屋辺りと変わらず、それほど遠い所ではないのが分かる。新幹線の出来る前は東北本線利用で、仙台どころか福島へ行くだけでもかなりの時間がかかった記憶がある。

 

 写真−8は本旅行の出発駅であり、終着駅である東京駅の丸の内側。赤煉瓦造りの駅舎はやはり貴重だが、東京駅そのものの構造は迷路のようになってしかも遠く、乗り換え時間にかなりの時間がかかって、駅の機能としては二流。

 

 かつての丸の内側は丸ビルがあり、それなりに重厚な景観を持っていたが今は建て替えられて高層化し雰囲気はかなり変わった。写真を撮った側には古い東京中央郵便局があり、記念切手の売り出し時に行った記憶を持つが、これも2013年に建て替えられ38階の『JPタワー』となった。

 

 丸の内一帯は三菱財閥が明治の頃に国から安く払い下げてもらった土地で、現在も三菱が大地主で君臨するが、明治期の赤煉瓦のオリジナルの『三菱一号館』を開発の名で取り壊し、先年同じように復元したという話を聞いた時は『馬鹿じゃないの』と思ったが、大企業といえどもその程度の頭しかないということなのだろう。

 


 

author:cebushima, category:空想旅行記2020 第1回 『特急を中心に廻る日本一周 鉄道の旅』, 19:49
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