RSS | ATOM | SEARCH
空想旅行記2020 第1回 『特急を中心に廻る日本一周 鉄道の旅』 8日目=益田⇒新山口⇒博多⇒佐世保⇒たびら平戸口⇒佐世保

【益田から蒸気機関車の停まる津和野へ】

 

【写真−1 新幹線全線乗車の旅では同型の特急2本に乗車済み】

 

 隠岐の島に寄り道した番外篇から『空想旅行記』を元に戻し、7日目に泊まった島根県益田市から8日目の旅は始まり、益田駅発8:40の特急『スーパーおき1号』に乗車し、山陰から山陽を経由して九州に入る。

 

 写真−1で分かるように、どうして『スーパー』などとわざわざ冠詞が付いているのか分からない平凡な車両デザインと色合いだが、山陰、山陽地域の特急列車は皆同じのが走っている。平凡と書いたが毎年優秀車両を鉄道マニアで選定する『ローレル賞』というのがあって、2002年に選定されている。

 

【写真−2 東京の両国駅から蒸気機関車に乗ったことがあり煙たかった】

 

 特急『スーパーおき』は、山陰本線の鳥取駅から山口線の新山口駅まで378キロを走り、通常3〜4時間程度しか走らない特急の中で乗車時間は5時間以上に及びかなり長く、1日3本を運行しているが『スーパーおき1号』は米子始発5:50と早く、それを益田から途中乗車。

 

 山口線の途中駅に城下町津和野があり、下車したいところだが写真−2の構内に停まる蒸気機関車の写真を撮るだけにした。これは津和野−新山口間69.9キロを走る特別列車の『SLやまぐち号』で、貴婦人の愛称を持つ1937(昭和12)年製造の『C−57』。C−57は201両製造され、現役のこの車両は第1号になり、重要文化財に指定して良い頑張りよう。

 

【新山口駅の昔の駅名を思い出し新幹線で博多へ】

 

【写真−3 新山口には覚えはないが小郡には聞き覚えがある】

 

 14:15に特急『スーパーおき1号』は新山口駅に到着。1時間30分余の乗車時間であった。ここで、写真−3の同駅新幹線に乗り換え博多に向かうが、この新山口駅、新と付いているように新横浜や新大阪同様、新幹線のために新しく造られた駅かと思っていたが、以前は『小郡(おごおり)』という駅名であった。

 

 それが、2003(平成15)に新山口駅と改称した。ただし、小郡駅に山陽新幹線が乗り入れたのは1975(昭和50)年で、改称するまで28年間も新幹線の乗り入れる小郡駅名を維持していた。山口県の県庁所在地山口市は、小郡から鉄道で20分ほどかかる内陸部にあるが政治的に改称されたといって良いだろう。

【写真−4 博多へはこの春に行く予定であったがコロナ禍でキャンセル】

 

 新山口駅で10:22発の『こだま731号』に乗り換えるが、山口線から新幹線に乗り換えるまでの時間は7分しかなく、駆け足で乗り込む。新幹線から在来線に乗り換える標準時間というのが時刻表に載っていて、山口線は7分必要とありギリギリであった。

 

 博多駅には53分で到着。新幹線全線乗車の旅で、博多駅から一駅だが普通運賃で乗れる新幹線と知られる『南博多駅』を往復している。写真−4は新幹線博多駅から在来線乗り換えの改札口方面で、ここから佐世保に向かう。

 

【博多から特急で佐世保へ】

 

【写真−5 佐世保駅構内での特急みどり】

 

 博多から佐世保に向かうのは写真−5の特急『みどり9号』で、博多発11:31、佐世保着13:25となっている。全面が斜めになっていて新しいデザインのようだが、1988(昭和63)年に国鉄民営分割後最初に製作された特急デザインでかなり古い。

 

 車両は『783系』と呼ばれ、総ステンレス製でみどりと名前が付いているように前面のスカートやドアにアクセントのように緑色が使われている。この方面には『ハウステンボス』があり、同型で運転席全体が赤く塗装された『ハウステンボス号』を走らせている。
 

【写真−6 こういう雰囲気好きだなあ】

 

 佐世保駅で『松浦鉄道』に乗り換えるが、この鉄道国鉄民営化後に第3セクター路線として運行し佐世保から有田まで九州の西にある松浦半島を廻り、その距離非電化の93.8キロ。写真−6は佐世保駅の松浦鉄道ホームで、ここから鉄道の駅では日本最西端になる『たびら平戸口』駅へ向かう。

 

 この路線『西九州線』と呼ばれ、使われている車両は写真で分かるようにかなり新しい。左の車両前面に『MR606』とあり、MRは松浦鉄道で、600番台車両は2007年から自治体と国の支援で導入した1両1億円の気動車で、ワンマン仕様。

 

【日本最西端の鉄道駅に降りとんぼ返りで佐世保に戻る】

 

【写真−7 たまに物好きな鉄道マニアが訪れる有人駅】

 

 佐世保発14:23の各駅停車気動車で写真−7の『たびら平戸口』駅に15:32に到着。『たびら』は平戸市と合併する前は田平町に駅があったためで、平仮名にしたのは不明。この駅は日本の鉄道駅では最西端になり、写真でも分かるように改札口上に表示の看板があり、すぐ傍には『日本最西端の駅』と縦に彫られた石碑も建てられている。

 

 2003年に開通した沖縄の『沖縄都市モノレール線』の始発駅『那覇空港駅』が日本最西端の駅ではないかとの論議があって、モノレールを鉄道と見るかで変わるが軌道上を走るので鉄道のような気がする。このモノレールには2007年に乗車しているので、沖縄の方が最西端駅となっても行く必要はない。

 

【写真−8 平戸島は歴史のある島で行ってみたい島である】

 

 『たびら平戸口』駅は平戸口とあるように平戸島へ渡る船に乗る出入口の駅で、佐世保に戻る列車の乗車時間は16:45なので1時間以上余裕があり、500m先にある港へ行ってみるが、最盛期には24時間体制でフェリーを運航していたらしいがその面影は全くない。

 

 それもそのはずで、1977(昭和52)年に本土側と平戸島間に写真−8(右側が平戸島)の665mの橋が架けられ、フェリーは廃止された。田平港からも赤く塗られた金門橋に似たデザインの橋が見える。この橋、当初は有料であったらしいが2002(平成22)年無料開放された。

 

 たびら平戸口駅発16:45の普通列車に乗って佐世保へ戻るが、この時間帯だと学生や勤め人の利用者が目立ち、かなりの人出の佐世保駅に18:09分に到着し、駅前の東横インに宿泊。

 


 

author:cebushima, category:空想旅行記2020 第1回 『特急を中心に廻る日本一周 鉄道の旅』, 19:19
-, -, pookmark