- ラオス南部・二人旅 そのー23 (最終回) パクセーからの帰りは飛行機であっという間にヴィエンチャンへ
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2017.02.11 Saturday
コーン島から戻ってパクセーに一泊し、泊まったのは昔からあるホテルで、この地域では割合良いようだが、古いのと部屋の造りが狭かった。
【写真−1 泊まらなかったが結構目立つ日系のホテル】
写真−1はパクセーで日系の企業が営業するホテルで、浴場があるとかの歌い文句で日本人向けに宣伝しているが、何もラオスまで来て、こんな所で日本人の顔など見る必要はなく、私などどこの国へ行っても日本人が泊まる評判の所は敬遠する。
この建物の片隅でラオス版『一村一品』プロジェクトを進める日本のNGOが店を構えているが、日本人向けなのだろか値段が高い。このNGOはラオスを拠点にJICAの予算でプロジェクトを進めているが、成果はいまいちで、JICAも予算の垂れ流しをしているのでは思う節が多々。
一般にはNGOなどというと純粋なイメージを持つが、『NGOの大手』などと不可思議に呼ばれる巨額な予算を動かすNGOも日本に出現したが、結構怪しげなNGOはフィリピンもそうだが多く、またNGOは組織や資金の規模ではなく内容であって、かつてNGOなどというと『反政府』の人間と見られた日本のその時代を思い出す。
【写真−2 こういう竹製品がまだ日常的に流通している】
写真−2は市内で一番大きい市場。いつものように市場へ行けば面白いものが手に入るかと思ったが、写真で見るように竹で編んだ製品にはこれといって面白い物がない。もっとも、ここは今も日常的に使われている製品を商っているわけで、何か面白い物という考えがおかしいのであろう。
ヴィエンチャンからパクセーまでは前述したように昼間のバスに乗って1日かけて来たが、帰りも同じことをするには疲れるので、ラオス航空の飛行機を利用した。
【写真−3 メコン河は写真を撮った反対側】
その昔、ラオスのルアンパバンからカンボジアのシェムリアップへ飛行機で飛んだ時に、パクセーの飛行場を経由したことがあって、その時見た飛行場ターミナルは倉庫のような素朴な建物であったが、現在は写真−3で遠くに見えるように立派なターミナルに建て替えられていた。
ヴィエンチャン行きの飛行機は双発のプロペラ機だが、その昔乗った飛行機も同型のプロペラ機で、まさかその頃の機体をまだ運用しているのかと一瞬思った。何でも航空安全情報ではラオスのプロペラ機は老朽化していて搭乗しないようにとの注意が出ているが、気にしているのは日本の外交官や日本のODAで来ている連中だけであろう。
【写真−4 眼下は乾季でも水量は堂々と流れるメコン河】
時間通りに飛び発ったプロペラ機は離陸するとすぐ左側にメコン河を望む。写真−4がその一枚だが、左側が下流で、この辺りにも島があるのを認め、乾季の今は赤茶けた色が全体を支配しているのが良く分かる。
【写真−5 ないよりマシという程度の機内サービス】
離陸してすぐに配られたのが写真−5のスナック。右から中味は忘れた小さなパン、ビスケット2枚、水と紙箱に入っていたが包装用紙の方が過大に目立った。最近は低価格航空を利用することが多く、機内食のサービスなど全くないからこういったサービスをするとはさすが国営航空という感じ。
飛行機の針路を眺めているとかなり大きな湖をかすめてヴィエンチャンへ向かっている。後で調べたら、タイ・北東部にいくつもある湖で、パクセーからは真っ直ぐタイ領を横切った方が速く、この湖の近くを飛ぶようになる。
【写真−6 タイルが30センチ幅なので大きさは分かる】
写真−6はこの旅行で買った『杼(ひ)』で、これは機織りの時に横糸を通す道具になり、ラオスは名だたる織物王国だから、機織りの道具がまだ現役で手に入る。下2本の杼はパクセーで求めた中古品で、持ち主を示す記号が表面に見える。
一番上の杼はヴィエンチャンの中心部にある市場で以前買った物で、日本で機織り用の道具を買うと杼1本が何千円もするが、ラオスでは100円もせず、日本で売っている杼もタイかラオスで作って輸入しているのであろう。
ラオスでは機織り用の用具や小物、各色の糸を取り揃えた店がまだ何軒も健在で、初めてラオスへ行った15年以上前は、ヴィエンチャンの民家の裏側で機織りをしていたが、そういった姿が都市化によって急激に消えてしまったし、作る製品も以前より眼を引く物がなくなった。そのためか、今回の旅では一枚も織物は買わなかった。【了】
- ラオス南部・二人旅 そのー22 コーン島を後にしてパクセーへ戻るがバスが来ない
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2017.02.06 Monday
【写真-1 この写真が今回の旅でベストか】
一泊だけのコーン島滞在だったが、またゆっくり来たいと思う。観光地はこのように『また行きたい』と思うような雰囲気でないと駄目で、ぼったくり、1回行ったらもう御免という観光地が多く、それも著名な観光地ほどその傾向が強い。
写真-1は帰りの船着き場で船を待っていると他の船が船着き場に寄って来た時、写した一枚で子どもがポーズをとっていて、ラオスの子どもには珍しい。フィリピンであったら我も我もとポーズをとる所で、他の子どものはにかんだ様子も良い。
そういえば携帯電話で誰でも簡単に写真を撮れる時代になって、昔ほどカメラを子どもに向けても喜ばなくなり、これは大人も同じで、カメラを持っていると撮ってくれとうるさかった時代を懐かしむ。もっとも、この時代はお金のかかるフィルム・カメラの時代であったが。
【写真−2 こういう所で終日太公望というのも悪くない】
写真-2は乗った船から泊っていたホテルを水面越しに写したもので、椰子に囲まれた風景はフィリピンと良く似ている。
【写真−3 現代のコンテナ施設と似通っているものを感じた】
元来た航路を行くのかと思ったら、別の水面を船は進み、途中写真-3の建造物近くを通る。
これはコーン島で引き揚げた船を鉄道で隣のデット島へ運び、この地点でまた水面に降ろした施設で、今でいうクレーンのような物になるが、100年以上前に良く考え付いて作ったものだと改めて感心する。
【写真−4 右手側が下流でカンボジアに通ずる】
小さな島の間を船は写真−4のように町に近づく。この辺りはメコン河の本流で川幅も広く、水量も多い。
【写真−5 バックパッカーばかり】
船の次はパクセーへ行くバスに乗り継ぐが、このバスがなかなかやって来ない。利用者は外国人ばかりだが仕方がなく、写真−5はその辺りに座り込んで待つばかりの様子。
カンボジアから国境を超えてラオスに入ってきた旅行者のためか、延々と待たされてもバス会社に文句を言う者はなく、さすがにアジアの辺境を旅する人間の心構えが出来ている。
時々来るバスに名前を呼ばれて乗り込むが、どうもこの混乱ぶりはこの日にパクセーへ向かう旅行者が多過ぎて、配車が間に合わなかったようだ。そのくらいいい加減にやっていた訳で、しかも、先に乗りこめる旅行者は手配の旅行業者によって違っていて、我ら二人は一番力のない業者に手配を頼んでいたようだ。
午前中の早い時間にコーン島を発ったが、昼を過ぎてもバスには乗れず、バス会社はパクセーに連絡してバスを寄越すように手配していて、先は見えないが何とかなるだろう状態。といって時間があるからと他へ行くわけにも行かず、ただただ待つばかり。
【写真−6 バスはヴィエンチャン方面行きの夜行バス】
ようやく来たバスに乗り込んだ時は陽もかなり低くなっていて、本来なら昼頃に着くはずがパクセーに着いた時は写真−6のような状態。
それでも明るい内に着いて良かったと思い、パクセーの古いホテルに泊まるが、例えばその日の飛行機に乗るといったような予定だと、今日のような状態ではだいぶ影響を受けるから、こういう辺境の地を旅する時は余裕をもってと当たり前のことを思う。
- ラオス南部・二人旅 そのー21 コーン島の中心集落点描
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2017.02.02 Thursday
【写真−1 写真を撮った所は高架になっている】
その−20で触れたコーン島からデット島に架かる元鉄道橋の袂から見たのが写真−1で、道路はコーン島の中心になる集落内を貫いている。土剥き出しの道路で乾季の時は良いが雨季になったらどうなるのだろうという道で、おりしも外人観光客を乗せたトライシクル(3輪バイク)がやって来る。
薄い水色に塗られた建物は両島間を行き来する観光客のために通行料を徴収する小屋で、少額とはいえまるで関所。その道路を集落内に向かって歩くと、鉄道を100年以上前に敷いただけあって、古い建物が残る。
【写真−2 手を入れて行く行くはレストランか】
写真−2はその一つで、屋根は落ちてしまっているが、当時としては立派なコロニアル建築。この島の監督官が住んだ家が残っていると聞いたが、この家かどうかは分からない。
【写真−3 この中国系は鉄道敷設と運営に関係があったのだろうか】
集落中心近くの空き地で見かけた門柱のような物が写真−3で、表面に漢字が書かれている。その昔、ここに中国人が住んでいた建物の在った証しと思うが、どういう仕事、生活をしていたのだろうか。
【写真−4 何にもせずに時間を過ごすのがここでは最高の贅沢】
写真−4は集落の中心部で、写真右手には船着き場がある。この辺りは観光客用のレストランや貸自転車屋、宿泊施設が固まっていてこの時期はそれほど観光客は多くなかったが、シーズンになると観光客で溢れかえるようだ。
【写真−5 ラオスのような内陸国は逆に四方八方へ行ける】
そのため、レストランや宿泊所には観光客用の案内が掲げられ、写真−5はその一つで、コーン島から行ける各地へのバス路線の案内。国境に近い土地柄、ヴェトナム、カンボジア、タイ方面の国際バスが頻繁に出ている。
この中で眼を引いたのはカンボジア方面の『シェムリアップ』行きで、8時間で行けると書いてある。この方面を知る人間は8時間ではとてもラオスからシェムリアップまで行けないと言っていたが、『New Road』と赤い字でわざわざ書いてある所を見ると、走り易い道路がカンボジア内で整備されたのではないか。
【写真−6 ここに一泊だけではもったいなかった】
そうしてコーン島内の探索は終わり、写真−6は泊まっているホテルのヴェランダから見た対岸のデット島風景。潮風を受ける場所でないと育たないとフィリピンでは言われる椰子の木がこの地にはたくさんあって、フィリピンと良く似た風景が広がる。