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この一枚2014年 その(11) 時間のかかる建設現場


 近所にあるショッピング・モールの2階入り口から眺めた風景で、道路を挟んだ向こう正面では2階建ての建物が建設中。

 この建物は軽自動車で有名な日本の会社の車を扱う店で、いつから建築が始まったか覚えていないくらい長い時間がかかっている。

 この通りは日本食レストランの多い通りとして有名だが、自動車販売会社も新車、中古車を扱う店がかなり進出し、渋滞でも有名な通りになる。

 建設している場所は、元々道路側に小さな店、その裏側には迷路のように小さな家が重なるように密集し何百人も住んでいた。

 これが、写真を撮ったモールができてから一等地になり、最初はガソリン・スタンドになるはずだったが、すぐ隣にガソリン・スタンドができたので自動車販売店になったのかどうかは分からないが更地にしてからだいぶ経ってから建設が始まっている。

 フィリピンでは『スクオッター』といって、他人の土地に住んでしまうことは珍しくなく、立ち退きを巡って流血騒ぎというのは結構ニュースで流れる。

 写真の場所は権利関係がはっきりしていたのか、割合スンナリ他へ立ち退いたようだが、後で聞いた話では補償金を多く、区別なく払ったためだといい、結局騒ぎになる原因はその補償額いかんによるようだ。

 更地になってやがて地ならしして建設が始まったが、冒頭書いたように鉄骨の2階建てなのになかなか完成しない。

 こちらは近所の住宅だが、いきなりパタパタと割合しっかりした家を造りだし、窓を入れる段階でストップした家がある。その状態で2年くらい経つが、一向に工事が進む様子がなく、聞いたら施主は海外で働いている人物で金を貯めるまで止まっているとのこと。

 こういう計画性のないやり方はフィリピンでは普通で、施工途中で何年もそのままというのは珍しくなく、個人宅だけではなく大きなビルでも資金が尽きて、野ざらしのままというのは多い。

 それにしても鉄骨なら早くできると始めた写真の建物、いくらなんでも時間がかかり過ぎて、『
Soon to Rise』の垂れ幕が白々しくいつまでもかかっている始末で、喜んでいるのは日雇いの現場で働いている人々だけ、完成が長引けば長引くほどありがたいのは確か。


 
author:cebushima, category:この一枚2014年, 16:25
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この一枚2014年 その(10) 【台風ヨランダ-12】 トラックで水を配送


電気はなくても『水』はないと人間は生きていけず、台風被災時でも一に水、二に食糧の順に支給される。

 特にフィリピンの様な暑い土地では水は最重要で、甚大被害を受けた被災地に入ったジャーナリストも自分自身の飲料水の確保に困ったと報告している。

 これも水道に頼りきった都市部に生じた現象で、元から集落に井戸を持ち、使用していた地域では水に関して切迫性は少なかった。

 それにも関わらず、事情の分からない都会の支援団体などがペットボトルの水を支援物資として無造作に大量に配っていたが、むろん困るものでもないので大いに結構。

 フィリピンではこの手の水は『ミネラル』と呼ばれ、こういった水は昔から売られていたが、爆発的に売れるようになったのは20年くらい前からだった。

 もっともミネラルと称していながら、ボトルの中身は普通の水道水を詰めただけのインチキとばれた商品もあって、当時の大統領ラモスが激怒したニュースもあった。

 こういう話は今はなくなったと思うが、時々ミネラル・ウォーターとして売っている銘柄が、源泉から汲んでいる量と市販している量に大きく食い違い、インチキではないかとニュースになり、相変わらずそういうインチキ精神健在かと怒るより嬉しくなったりする。

 フィリピン人は食事の時に水を飲むようにコカ・コーラを飲む習慣を持つが、この市販の水はコカ・コーラよりも高い値段が付いていて、今はそうでもなくなったが、ペットボトルの水を飲むのは高級なものと見られている。

 さて、写真は炊き出し拠点前に停まった、そういった高い水を売っている会社の配送トラックで、1125日に写している。

 この水は普通の水をそれ用の濾過設備で処理しているもので、それほど高い設備ではないので商売としてチョッとした町には必ずあり、炊き出しをした町にもあってトラックで配送していた。

 この町の台風による停電は長期に渡ったが、中心部は早くから復帰していて、この水処理会社も中心部にあり、商売は早くから再開し、このようにまだ屋根など復旧するのは先の状態の中、被災者へ水タンクを売っていた。

 トラックの停まる道はセブ島の幹線道路で、トラック後方には空が広く見えるが被災前は鬱蒼と木や枝が茂り向こう側はこのように見通し良く見えず、注意して見ると椰子の樹の葉が吹き飛ばされているのが分かる。

 被災地では飲料水だけではなく生活用水も大事で、特に水洗トイレの水に困って、人影のない所で用を足すしかなく、それが疫病を誘引するし、何よりも環境が悪くなる。

 こういった生活用水を海の水から作れれば、四面海に囲まれたフィリピンではかなり効果的と思うが、まだそこまでの考えには至っていないようだ。


 
author:cebushima, category:この一枚2014年, 10:07
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この一枚2014年 その(9) 【台風ヨランダ-11】 壊れた井戸の手押しポンプ


炊き出し拠点のあった地域に簡易水道が引かれたのは10年くらい前だった記憶がある。

 この簡易水道というのは、集中管理して広大な町域に水道配管を巡らすのは金がかかるので地域単位で給水塔を設置して、そこから地域内に配水するシステムで、その水源は地下水になる。

 写真はこの地域にある高校正門に向かう道の角で、遠くにはその校舎も写り、その校庭の奥にはこの地区に配水する給水塔がある。

 写真中央のコンクリートの設置物はかつての手押しポンプ井戸の跡で、現在はご覧の通りポンプ本体は壊れ使われていない。

 炊き出しでは水に困ったと書いているが、給水塔への井戸からの揚水は電気に頼るから、台風で電柱が軒並み倒壊した状態では電気は止まり、復旧するまで長い間断水が続いた。

 それでもあまりに不便なので途中から発電機を入れて給水塔に揚水を始めたが、そのガソリン代がなくて、住民から少額の金を徴収してガソリンを買ってどうにか数時間発電機を回していた。

 簡易水道が引けて蛇口を捻れば水が出る便利な生活と共に、写真のような公共の井戸は放棄されたが、個人宅で持っている井戸は今も健在で日常的に使用している家も多い。

 水道の機能が止まった時は、こういった井戸が大活躍で、炊き出しでもその井戸から水をもらっていたが、近所の人も来るので井戸から炊き出し拠点まで20リットルのポリタンクを持って帰って来るまで1時間近くかかる始末。

 写真の壊れたポンプは炊き出し拠点から見える範囲にあるから、こういう非常時に使えたら役に立ったと思うが、簡易水道が引けてからは誰も見なくなってご覧のざまになってしまった。

 今回のような稀に見る台風の時は、電気は止まりそれを電源とするポンプは止まってしまうのが分かっただろうから、こういった見捨てられた井戸を見直して、緊急時に使用できるようにすることも必要、大事なのではと思う。

 台風被害の酷かったレイテ島タクロバン市の様な都市部も昔は井戸を使っていただろうが、便利になるに連れて姿を消してしまい、被災後は飲料水に困り、略奪騒ぎさえあった。

 これも都市部は100%水道に頼っている事情のため、緊急時にはもろかった一端ともいえる。

 現在、被災地は急ピッチで家屋の再建は進んでいるが『井戸を掘り、緊急時に備える』という発想を持つNGOなり機関があっても良いと思うが、そういった話は伝わってこない。『備えあれば憂いなし』の考えを植え付けるにはフィリピンは余裕がなさすぎるともいえるが。


author:cebushima, category:この一枚2014年, 20:45
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