RSS | ATOM | SEARCH
10月31日(木) 曇り時々晴れ、風なし 閑話休題 《 空港内でゴロ寝する話 》
 マニラ国際空港は3つ(正確にはかつての国内線便用建物を含めると4つ)のターミナルビルを持ち、この内、竣工後32年経ち老朽化と保守管理の悪さから、世界で最悪と有名な第1ターミナルが今年の民間ウェブサイトで、またもや最悪の評価を得た。この第1ターミナルは78年前に乗り継ぎのために利用したことがあって、確かにトイレは驚くほど臭く、水も流れず、今回も同じことを指摘されているから、この空港の連中のやる気のなさをまたもや天下に晒した。

 写真は韓国・仁川空港で撮っていて、この空港は世界に数ある空港でもトップ・クラスの良い評価を受け、今回の評価でもシンガポール・チャンギ空港に続く2位に付けた。

 このウェブサイトの評価は『快適に空港内で寝られるか』がポイントとなっていて、
VIPルームを使ったり、ここぞとばかりに安くもない免税品を買い込むような俗物とは関係ないが、今や乗り継ぎで空港内に長時間留まるのは珍しくなく、寝やすい空港は他の面でも良いと考えても良いだろう。

 実際、評価を下したウェブサイトには上位に入った空港の写真を載せてあり、飛行機の座席よりはるかにゆったりしたリクライニングのできるような安楽椅子が写っていて、これなら横になるのも長時間待つのも快適だと思った。こういった良い空港はヨーロッパ方面に多く、反対にマニラを筆頭にアジア方面は悪い空港が多い。といってもチャンギや仁川と上位に入る空港もあるから、アジアの空港も
2極化しているのだろう。

 私も、空港内で過去に何度か寝ていて、初めて寝た空港はどこだったかなと、記憶をたどるが、たぶんバンコクの前の空港ドンムアンかシンガポール・チャンギだったような気がし、その時は世界中の乗客がゴロゴロ横になっている看板の裏のような場所で寝た。

 記憶がはっきりしているのでは、香港国際空港がある。これはセブからタイへ行く時、飛行便の関係から香港経由でしかも到着は深夜。乗り継ぎ便は朝なので、市内に泊まっても中途半端、結局空港内で寝ることにした。翌朝乗るゲートまで行って写真と似た椅子へ横になるが、この空港は今回の評価で上位
4位に入っているから悪くない空港で、その頃は椅子の上で横になっている者などどこにも見えず、巡回の警備員が見えた時何かいわれるかと思ったが何でもなかった。

 最近といっても、もう
7年くらい前になるが、フィリピンからホンジュラスへ向かう時、マニラからロスアンゼルスへ飛び、そこからテキサス・ヒューストンに向かうがやはり乗り継ぎが悪くゲートのそばで横になる。ただし、その場所にあった椅子はアームがそれぞれ付いていて横になれない作りだった。そこをアームの下に身体をクネクネ潜らせて横になったが、身体の大きいアメリカ人にはできない芸当で、向かいに座っていたアメリカ人など『ニンジャ』といって笑っていた。

 ヒューストンでも乗り継ぎ時間が長く、同じ手を使ったが、今度はゲートの係員が驚いていたが注意されることはなかった。こうして、マニラ―ロスアンゼルス間の太平洋横断
13時間搭乗で受けた疲れを回復させたが、あんな無理なスケジュールは2度とやりたくないと思っている、

 今年の
1月にラオスに行った時、セブからバンコクまでの直行便が出ていて非常に便利になったが、バンコク着は夜半になりラオス便は明朝となるので、空港内でゴロ寝かとも考えたが、空港外の安いホテルをネットで予約。

 この予約も空港から出ている鉄道駅の近くなら便利だろうと思って見当を付けたが、行きはタクシー利用の上、夜だったの高架線路がホテルの真横を走っていても、駅はどこにあるか分からず、フロントで聞いても変な顔をするばかり。

 翌朝早起きして駅まで様子見に歩いて行くが、これが行けども行けども駅にぶつからず駅まで歩いて空港には電車で行く目論みは崩れ、結局タクシーでまた空港へ向かうことになり、安いホテルのはずが高くついたお粗末と相成った。

 後日、この鉄道に乗って駅を通過、泊まったホテルまでの距離を見たら確かに荷物を持ってなくても駅まで歩くのは無理で、道理でホテルのフロントで聞いても『駅まで歩いて行くような奴はいない』という顔をしていたのに納得した。


 
author:cebushima, category:閑話休題2013年10月, 20:53
-, trackbacks(0), pookmark
10月30日(水) 晴れたり曇ったり、風なし 閑話休題 《 食品偽装大国・日本 》

写真はセブで普通に売っている貝で、一見『アサリ』に似ているがアサリのような風味はない。それでもこちらにある日本食レストランでは味噌汁の具にアサリとして出している店も無きにしも非ずで、客の方もそれほどセブでアサリを食べたいほど所望しているわけでなく偽装というより代用の範囲になるだろう。しかし、最初から黙ってアサリと称して代金を取っていれば、これは詐欺行為に当たる。

 日本で関西の有名ホテルがメニューの表示と違う品物を出し続けていたのが発覚、ついには社長辞任、客への返金が億を超える騒ぎとなっている。

 絞りたてのジュースとメニューに書いて、実はパック入りのジュースを出すなど、どこの飲食店でも陰で
半分を混ぜたりする手だが、こういった高級ホテルでは1杯1000円以上は請求するだろうから、暴利、悪質であるのは間違いない。この他、色々な食材が表示通りでなく、数々暴露され客商売としては食中毒を出したのと同様な致命傷になっている。

 ただ、このニュースを読んで、偽物を出されても客の方は『高級ホテルのレストランの味はさすが』などと気取って舌鼓を打っていただろうから、こういった連中の舌も大したものじゃないなと感じる。

 このような偽装行為は特に食品関係業界に蔓延していて、時々、悪質なのが刑事摘発されているが、最近では水産物で日本産なのに韓国産と偽った例があって、日本産は福島原発の放射能汚染のイメージの悪さから逃れるために偽ったようだ。

 以前だったら外国産を日本産と偽装するのが定石だったが、フクシマ以降は業者の偽装もややこしくなって、こういったことに対して業者への東電の賠償責任はどうなのだろうか。恐らく『犯罪行為』には賠償義務はないというだろうから、偽装した業者に同情さえ感じてしまう。

 日本の業界によってはこの食品『偽装』を『代用』と称しているそうだが、どう見ても詐欺、詐称行為としか思えない。その代表的なのが回転寿司業界で使われているネタで、品書き通りの魚をネタに使っているのはほとんどないという実態は公然の秘密で、特に一皿
100円を売り物にする店はこの手ばかりだという。

 私の妻が日本に留学していた時、良く通った
100円回転寿司店が渋谷にあって、私も日本に行った時は良く利用した。この店が感心なのは100円の値段を動かさず、消費税ができた時ようやくその分3%を上乗せしただけで営業を続けていた。この店は外国人には有名な店で、各国からのお客が外に列を作って並んで待ち、どんな国の人が来ているのかと顔を見るのも楽しみだった。

 それが昨年久しぶりに行ったら
1100円では経営が難しくなったのだろうか、閉店していて夫婦で店のあった場所でがっかりした覚えがある。100円寿司では似た味と風合いを求めて、世界中から魚を集めているそうで、それはそれなりの企業努力と評価して良いが、鯛でもないのに鯛と紛らわしい名前を付けて売るのは詐欺と同じ。

 例えば淡水養殖魚に『テラピア』という魚があって、これが回転寿司では『いずみ鯛』として握られている。淡水魚に鯛の名前を付けるなど良く考えたとは思うが、いい加減にインチキは止めろといいたい。テラピアは普通に食べたのでは美味い魚ではないが、一度冷凍にしてから刺身にして食べると思わぬ美味さが出て、私も中米で食べて美味いと思った。

 鯛紛いの姑息な名前を付けずに堂々と『テラピア』として看板を掲げて売れば良いと思うが、こうなると寿司屋の品書きが聞いたこともないカタカナ書きの魚で埋まってしまうから不味そうで無理な話か。
100円寿司など、客も偽装は承知として食べている節もあるが、その偽装ネタを味に似せるために化学物質で更に加工しているというから、こうなると安全な食品といえるかどうか。

 また、安い店ばかりが偽装しているとはいえず、高級な寿司店も結構偽装ネタを使っているのも多いと聞くから、こういった店で粋がって食べる客の質も問題である。

 さて、写真のセブ産の貝、回転寿司店では『アサリ味噌汁』に化けているかも知れないが、どう見ても大量に採れる貝でなく、そういうことはないだろう。


author:cebushima, category:閑話休題2013年10月, 20:38
-, trackbacks(0), pookmark
10月29日(火) 晴れのち曇り、風なし 閑話休題 《 落語名作全集を読み終えて 》
 家の片隅に眠っていた全6巻(他に別巻1)の『落語名作全集』を読み終えたが、久しぶりに本を読みながら笑った。この全集をまとめたのは『小島貞二』という作家で、身体が大きいので双葉山が70連勝を阻まれた時に相撲取りをやっていたという。その後文筆の世界に入り相撲や寄席に関してたくさんの著作を残し、2003年、84歳で永眠した。

 この全集は落語家の噺を語っている通りにまとめているが、その合間、合間に挿入された寄席にまつわる数々の薀蓄話も面白く、別巻は筆者が落語界の変人、奇人を書いたものでこれがまた面白い。

 落語というのは耳で聞き、噺家の仕草を見ることによって面白さが伝わるものだと思っていたが、こうやって活字の上で読んで見ても面白さは変わらなかったから、ストーリー、文体はかなり研ぎ澄まされ今日に繋がっているのだなと改めて思った。

 また、噺家は話の題名などいわずに始めるのが多く、今回読んで、あの話はこういう題名だったのかと勉強になった。
6巻の中では明治から1960年代に活躍した東西の落語家60人余の話を載せているが、1巻目の最初は『古今亭志ん朝』の『桃太郎』、トリがその父親の『古今亭志ん生』の『火焔太鼓』。

 落語家の名前は代々受け継がれるから、初代以外は何代目何がしとなるが、この全集に出てくる名前は今の落語界で活躍する名前の2〜
3代前の噺家だからそこを整理するのも頭の体操になる。

 2
巻目に林家三平が『マイ・ケンタイキ・ホーム』という題で演じているが、三平は最初から三平の名前で通した昭和の爆笑王で、私も寄席で何度か聞いている。その息子が先年9代目『林家正蔵』を襲名し、その息子が2代目『林家三平』を襲名した。

 先代の正蔵は『林家彦六』となって相変わらず渋い高座を続け、独演会で『鰍沢』を聞いたことがあり、
198286歳で没した。この襲名で思い出すのは、2007年だったか、ホンジュラスから日本へ一時帰国して、浅草六区『浅草演芸ホール』の前を通ったら『林家木久蔵』と『林家木久扇』の親子ダブル襲名披露興行というのをやっていたので中に入った。

 館内は満員で昼間から良く客が入るなと思ったが、元々寄席というものはそういう所で、この木久扇が彦六の弟子だったこともあり、彦六をネタにするのが得意だった。と書き出すとキリがないので全集に戻るが、別巻で取り上げている三遊亭歌笑の評伝などもなかなか面白い。

 歌笑は独特のキャラクターと七五調の詩を唱えて、戦後大人気を博したが、
1950年(昭和25年)、銀座通りで米軍のジープに轢かれて死亡、32歳だった。歌笑は東京西多摩郡の産で裕福な家の出だったが、何しろ本人が顔の印刷がずれてしまってと話のネタにしているような醜男で、落語家を目指し家出、もうその辺りからいかにも落語家らしい人生を歩むのだが、大なり、小なり落語家を目指す者はこういったおかしみのある人生を歩んでいるのが共通している。

 今の落語家が面白くないというのは大学の落語研究会から落語家になった、無菌のように育った人物が多いことと関係あると思うが。歌笑の次は『古今亭志ん生』の評伝が続く。

 志ん生の自伝は他にも読んでいるが、やはり酒と貧乏が終始まつわった売れない頃の話は何度読んでも面白い。何しろ関東大震災の時、これで酒が飲めなくなると思って揺れている中、酒屋に駆けつけて升酒を飲み、一升瓶を抱えて家に戻ったという御仁だから、もうハチャメチャ、こういう落語家は今後出ないであろう。

 写真は上野鈴本の入り口の様子で、映画の入場料の倍という値段
3500円と分かるが、写真入りで紹介されている噺家連中はもう代が変わっているためか正蔵、猫八くらいしか分からない。しかし昼の部のトリを取る『三遊亭圓歌』はかつての『歌奴』。本落語全集1巻に『肥満小型』という演題で載っているから、当時から力と人気があったのは確か。

 こういった新作落語も良いが、いわゆる古典物、人情話も全集には入っていて、それらの話は今時の文学賞の受賞作よりよほど良い内容を持っている。


 
author:cebushima, category:閑話休題2013年10月, 20:54
-, trackbacks(0), pookmark