7月26日(金) 曇り時々晴れ、微風 閑話休題 《 セブの砂浜に舞い落ちる妖精 》
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2013.07.26 Friday
平日の朝早く、ビーチへ行った。ここは入場料を払って入るが、さすがに朝早いために地元の人間の姿も見えなく、もちろん観光客の姿も見えず、独占状態。
この所、セブも雨の多い日が続くが、この日は梅雨の晴れ間のような日差しで、海岸べりに大きく枝を張り、日陰を作る樹の下に座ろうと歩くと、写真の花が点々と砂浜に落ちていた。
変わった花だなと思っていると頭上の枝からパラリとこの花が落ちてくる。このビーチには時々来るが、7月のこの時期に来たのは初めてで、この海べりに生える大きな樹に花が咲くとは知らなかった。
セブの海岸には地元で『タリサイ』と呼ぶ、枝が横に広がって木陰を作る樹が普通に見られて、この花を咲かした樹もタリサイと同じような葉を付けているので、今までタリサイかと思っていた。
しかしタリサイの花というのはあまり聞かないし、念のため裏の方にあったタリサイの樹と比べてみると、タリサイの樹は幹が分岐しないで伸びていて、花を咲かす樹は根元から何本にも分岐し、新芽も根元からたくさん生えていて、明らかにタリサイの樹ではないと分かった。
花の大きさは手のひら大、繊細な針のようなピンクと白の絶妙な配色を持ち、ハラリ、ハラリと音もなく朝方の砂浜に落ちてくる。花は白い卵より小さい蕾がいくつもあって次々と夜に開花し、一晩咲いて朝方落下するのでまさに『花の命は短くて』を具現するような花。
土地の人間にこの樹の名前を聞いてもよく分からなく、後で調べるために幹の形状、葉の密集具合、花の付け方と写真に撮っていると一つ『実』がぶら下がっているのがあった。
それで、家に帰ってからFacebookを通じて『この樹の名前を教えてください』と、写真と記事を載せたら、5年くらい前に中米・ホンジュラスで一緒だった植物に造詣の深い方から参考になる意見が寄せられた。
それによると『花はサガリバナとそっくりだが、単独で咲いているから違う……』とあり、それをヒントにネットで調べたらこの写真の花は『ゴバンノアシ』と分かった。
和名の漢字で書くと『碁盤の脚』で、妖精のようなその花の姿に似合わずずいぶん無粋な名前を付けるなと思ったが、この名前の由来は実の形で、確かに碁盤の脚と同じ形をしている。
その名前と形で思い出したのが、10年位前に他の島に行った時、海岸で面白い形の茶色い実をいくつも拾って家に持って帰ったことがあった。その実はガラス瓶に入れられてまだあるが、ようやくこの実がゴバンノアシの樹の実だったと判明。
この樹は実を海に落として遠くに漂着させて増えるらしいが、フィリピンでは珍しくなくても沖縄では絶滅危惧種にリスト・アップされた貴重な樹に入るが、フィリピンでは邪魔となれば簡単に伐って薪にされてしまう樹である。
砂浜に落ちた花と書いているが、正確には雄蕊であって、写真の花の先に白く見える物が花弁で樹に咲いている様子を見ると4枚の花弁に包まれているのが分かる。
この花は芳香を持つというが朝方だったためか匂いは感じなかった。夜に来ればその芳香が砂浜に漂っているのかと思い、今度は夜に訪れてみようと思っている。
7月24日(水) 曇り、にわか雨、風なし 閑話休題 《 写真を整理して思い出す津波被災地の人々 》
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2013.07.24 Wednesday
パソコンの不具合が生じ、今は使えるようになったとこの前に書いたが、まだソフトやファイルを改めて入れたり編集し直していて、一番手がかかるのはパソコンに入っていた『写真』の処理、整理だった。
もちろんバックアップは取ってあり写真画像が消失することはなかったが、その写真を入れていたソフトが消滅していた。今まで写真用にはニコンのソフトとグーグルの『Picasa』を二重に使用していたがどちらも駄目。
ニコンはソフトの入っていたCDが見つからず、メーカーからダウンロードできるかと思ったら、機種が古いので載っていなくて諦めた。
Picasaの方はエイヤっと半ば恐れながら入れ直した。こういったソフトの仕組みはどうなっているのかさっぱり分からず、ソフト任せにするしかないが『案ずるよりも産むが易し』の例え通り、元通りのファイル順、画像で復活した。
このPicasaには『人物』という項目があって、画像全部から人物の顔を自動的に認識して抽出、羅列する機能があって、そちらも問題なく復活した。その次に抽出された顔を個人別にファイルを作成して選り分けていくが、これは半日かかりの作業となった。
こういった識別、選別作業ではコンピューター機能は凄いとは思うが、中には選挙ポスターや広告の顔写真、人形などの顔も人間の顔として抽出、あるいは単なる風景写真の豆粒のような顔まで多数抽出していて、その区別能力はやはり人間の判断力には及ばないなと感じた。
その作業の中で、懐かしい顔に出会い、写真がその一枚で撮影地は津波で大被害を受けた岩手県陸前高田市になる。私はあまり人の顔とか名前を憶えられない人間だが、この被災地の人々の顔は今でも良く覚えていて写真選り分けに困ることはなかった。
撮影時期は2011年9月16日、陸前高田市の山裾にある公民館で炊き出しをした時の一枚で、参加者は国際結婚をした家族で女性ばかり写っているが男連中は隣の部屋で談笑中。
最近、陸前高田は枯れてしまった『奇跡の一本松』が復元されたとニュースになったが、そんなニュースよりも被災者が今どうなっているかを伝えるのがマスコミの役目と思うが、相変わらずすぐに忘れる日本人の性根は変わらない。
プラスティックの葉を付けた一本松は2億円もの寄付を集めたが、地元の人が一本松のあった松原の木を京都の五山で被災者鎮魂のために焚き上げようとしたら『放射能汚染』されているとデマで大騒ぎして、中止させたのは同じ浄財を集めた日本人ではなかったか。
津波被害からまだ2年半も経っていないが、福島の原発といい、日本人は反省もせず、忘却してしまう民族だとつくづく思う。そういう国民性だから70年近く前の戦争など遠い遠い昔の話になってしまい、アメリカの手先になって自衛隊を海外に出兵しようともくろむ時代に入ってしまった。
この間の参議院選挙で自民党の安倍など得意絶頂で、自分の爺さんがA級戦争犯罪人で巣鴨拘置所で判決を待っていた位は話に聞いているだろうが、あの爺さんが起こした戦争は正しい戦争なのだと、歴史のネジを逆回転させている世界観の人物だから戦後の同じ『6・3』制の義務教育を受けた人間とは思えない(大体、あんな人物=岸信介が後に総理大臣になってしまうのだから日本人は馬鹿としか言いようがない)。
話が飛躍してしまったが、私の震災支援の旅は写真に写る外国人花嫁たちの日本でのたくましい生活ぶりに触れた旅でもあり、それぞれの顔に津波被災を含めて一つ一つ重いドラマを抱えていて、日本人がこのフィリピンに住んでいる状態と比較すると、日本人男の弱弱しさだけが目立ってしまう。
あれから2年、写真に写る人々はまだ仮設住宅に住んで先の見えない時間を送っているのか気になるが、元気でいて欲しいと願う。
7月22日(月) 曇り時々雨、風なし 閑話休題 《 パソコンを出荷時の状態に戻す作業顛末 》
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2013.07.22 Monday
17日の金曜夜、いつものようにパソコンをシャットダウンしたら『更新ファイルをインストール中なので電源を切らないでください』との表示が出た。この表示はマイクロソフトから自動的に送られて更新されるのでいつものことだと電源を入れたままにして席を離れた。
しばらく経って画面を見ると更新は2個の内の2個目に入っていて、まだ時間がかかりそうだったので就寝前に見ることにした。
その就寝前に見たら画面は消えていたので電源のコンセントを抜いた。(これはどうもスリープ状態に入って画面が消えたのであって、更新は途中までで、これが今回の不具合の発端だったのではないかと推察する)。
翌朝、いつものようにスイッチを入れると昨夜の起動はするが、画面はお待ちくださいの次が進まず真っ黒。電源を切って通常起動に入れなおしても真っ黒で、どうにもならず。スイッチを入れたり切ったりの繰り返し。復元ポイントも試みるがエラーの連続。これは専門家を呼んで見てもらわないと治らないなと観念したが、駄目で元々と思って最後の手段『出荷時の状態』にパソコンを戻すことにした。
今までノートパソコンを何台も使用しているが、大体3年も経つと故障が出てきて、この世界に詳しい人間によると『3年ぐらいの寿命で作っているから、修理しないで安い機種を定期的に買い換えたほうが得』という。もっとも今は使っていないが、昔のごついノートパソコンはまだどこも悪くなく、どうも今のような軽く、薄く、高性能を狙った無理な仕様時代から壊れやすくなったようだ。
さて、このパソコン【写真】は2011年11月に日本で購入し、テレビ・モニターだと偽ってフィリピンのカスタムを通過させた一体型パソコンで、まだ2年にもならない製品。故障するには早過ぎるし、メーカーのHPは以前使っていた東芝が故障続きだったので乗り換えた会社で、今のところ故障、不具合はなかった。
出荷前に戻す作業に入ると、まず今まで蓄積した写真、ファイルのバックアップを取らなければならず、その容量が80GB近く、写真で分かるようにDVDディスクで20枚必要だった。さっそく作業を始めたが1枚の読み込みが30分以上もかかり、全部終わるまでに10時間以上、覚悟を決めてやるが忙しい人には無理な作業。
ところが16枚目に入って間違えてキャンセルをクリックしてしまって、今まで全部がお釈迦になってしまった。次の日、気を取り直して再挑戦。2度目のためか時間は早く読み込めたがそれでも半日以上。次にパソコンを出荷状態に戻し、読み込んだ20枚のディスクをパソコンに読み込ませるがこれも半日仕事。
出荷状態の画面というのはアイコンが3つしかなく、アイコンは個人の作業の結晶と知るが、特にオフィスはソフト用のキーがあってそれを打ち込んで復帰させなければならない。どこかにそのキーが書いてあった袋があったなと、その後はそのキー探しで家中を探し回る始末。幸い見つけて恐る恐る打ち込むと難なく復帰、良かった良かったと胸をなでおろす。
しかし時間をかけて読み込ませたバックアップファイルもどこに何があるのかよく分からない表示と状態で、一つ一つ開けて確認作業があり、これがまた非常に面倒臭いがやらないわけには行かない。特に写真などはいくつかのソフトに入れておいても、そのソフトは消滅しファイル毎の写真で残っていた。これを元のようにするのが大変だが、時間をかければ何とかなるだろう。
また、各種の接続も初めから設定をやり直すなどこうしてコツコツ復帰作業にかかったが、ようやくインターネットにアクセスできたのが昨日の21日。
以前のように使いやすい状態に戻すにはまだまだ時間はかかり、この機会にパソコンを止めてしまうのも一計かなと作業しながら思ったが、写真だけは大事だし、外部との連絡はメールだから自分だけが止めてもどうにならず続けるしかない。
こうしてパソコンの世界に取り込まれてしまうのが現代人なのだろうが、何とも機械に使われてしまう物悲しい時代でもある。