RSS | ATOM | SEARCH
5月31日(金) 朝方雨のち曇り時々小雨、微風 閑話休題 《 5月最後の新聞記事から 》
 何気なく広げたフィリピンで発行している唯一の邦字紙、今日の3面の角上にあった『自殺の酪農家遺族、東電提訴』という記事に目が止まった。

 この酪農家の自殺というのは2011311日、東日本大震災の津波によって東電福島第一原発が壊滅的打撃、メルトダウン、建屋爆発などの大騒ぎをした日本で、その3カ月後の610日、福島県相馬市に住む乳牛を飼う酪農家男性の事件で、牛舎の壁にチョークで『原発さえなければ』と書かれた叫びは大きな反響を起こした。

 私もこの震災にセブから支援できないかと考えていた時期でこの男性の自殺が私の気持ちを押し、その後準備期間を経て
8月から11月にかけてフィリピンからチームを組んで被災した国際結婚家庭を支援する活動のきっかけとなった。

 この自殺した男性はフィリピン人妻と二人の子どもをフィリピンに返し、孤独のうちに命を絶ってしまった無残さは衝撃的で、福島原発危機の時はフィリピンでもニュースは頻繁に流れた。特に日本からフィリピンに避難した子ども連れのフィリピン人妻の姿にはドラマ性もあって注目を浴び、中にはもう危険な日本に帰らないと宣言して日本人夫と新たな家庭問題が生じているなどとも聞くが、今はどうなっているのだろうか。

 支援
3カ月の活動は宮城、岩手の津波被害沿岸部、その後福島県に入ったが、当初は自殺された酪農家の家まで行き、相馬市を拠点に活動を始める予定だったが、風向きが福島原発から常時吹いているような状態で、自ら放射能汚染に身を晒すこともないと判断し、風下のいわき市で支援活動を行った。

 今回の訴訟がどうなるか分からないが、あれほどの原発、放射能汚染騒動も喉元過ぎれば忘れる日本人の悪い癖で、多くの人々の気持ちはすっかり終わった復活気分。そこを見透かして自民党は原発稼働を国の成長の中心にするなどと言いだす始末。原爆といい福島といい日本人は過去に何も学んでいないことを世界に発信し、てんと恥じていないから困った国民である。

 過去に学ばないという点では同じ新聞の
2面に載っている大阪市長の問責決議を巡っての記事も似たようなものだ。私のように長く海外に住んでいると、日本の週刊誌やテレビ、特にワイドショーといった下劣な物とは全く縁がなく、割合自分の目と耳で集めたニュースで物事を判断することが出来る。これはまた逆に情報の乏しさからおかしな判断にもつながり、自戒しなければいけないが、少なくても今の日本のマスコミの情報の垂れ流し災厄からは被害を免れ、立ち位置としては悪くない。

 大阪の市長が橋下は分かるが、最初はハシモトと読めなかったし、今もパソコンでは『ハシシタ』でないと変換が出来ない。この人物がどういう経緯で知事になり市長になったかは良く分からないが、ただ、発言を見ると『口舌の徒』の典型、今の日本人はこの手のキャラクターを好むのかと、日本人の知的レベルは一層落ちたと感じざるを得ない。

 それにしてもこの記事で橋下に恫喝されて意思を変える党派など子ども以下の連中だなと思うし、海外に居る身としてはなぜこの時期に『慰安婦』問題を声高に言わなければならないのか不思議なことが多い。徴兵制を叫ぶ年寄りは多いが、その軍が中国やフィリピンといった占領地域で強姦し放題で、さすがに国際問題化を怖れた軍中枢が『慰安所』を組織的に作ったのは靖国神社に入っている連中に聞いてみれば分かることで、証拠がどうのという話ではない。

 橋下の一番の問題は強姦された側の女性の視点が全く欠け、男は皆強姦する存在と見ていることで、それだけで上に立つ人間としては失格である。
 


author:cebushima, category:閑話休題2013年5月, 20:30
-, trackbacks(0), pookmark
5月29日(水) 曇り時々晴れ、微風 閑話休題 《 ヴィエンチャンで見たBMWのオートバイ 》
 今はオートバイ(バイク)に乗らなくなったが、かつては常にバイクを持っていた。といってもいわゆる『原付』で、その内自動2輪免許を取ろうと思っている内に、ドンドン取るのがややこしくなってしまった。

 早い時期に取っておけば良かったなと臍を噛んでも既に遅く、それでも仕方なく
30代の頃に自動二輪中型免許に挑戦したが、教習所で練習中に海外へ出るようになってそれ以来自動二輪免許を取るのは諦めた。

 ところが日本の普通自動車免許をフィリピンで書き換えたら、日本のように排気量別で区分けるなどの小細工はなく自動的に『モーターサイクル』の免許も付き、何でも乗れるようになった。

 初めてバイクに乗ったのは中学生の頃で、近所のおじさんが見ていたら『乗ってみるか』というので乗り回したが、小さなメーカーのバイクでノークラッチ仕様は自転車より楽で便利な乗り物と思った。

 勿論、無免許だがまだ鷹揚な頃で、『原付自転車』の字義通りの黒い自転車に小さなエンジンを付けたのや、陸王や目黒の国産大型バイクがまだ街で見かけ、ヘルメットの義務など勿論なかった良き時代でもあった。

 セブに住むようになって、その時は
125CCのヤマハのオフロードの新車に乗ったが、このバイクは当時勤めていた日本の会社の残業手当で買えたから、会社も日本も景気の良い時代で今のように『残業代カット』や『サービス残業』などと言うミミッチイことなど毛ほどもなかった。

 このバイクで家人を乗せてセブ島内をくまなく走り回ったが、まだ走る車など少なく場所によっては
100Kmを出せる道があった。今でもその直線道路を車で走り抜けるが、車が多くなって60Kmを出すのがヤットという状態になってしまった。

 写真は年初に滞在したラオス・ヴィエンチャンで写したもので、ホテルの駐車場に停まっていた
2台。どうも世界一周をしているようで、出発地は張ってあるシールでカナダと分かり、使っているバイクがBMWR1200BMWGSで、こんな大きなバイクで旅をするとは涎の出そうな思いを持つ。同じホテルに泊まっているので一度話をしたいと思ったが、すれ違っていてその内、1台を残してどこかへ行ってしまい、再び気が付いたら2台とも消えていた。

 BMW
は四輪車で有名だがバイクでも独特のポリシーがあって、特にエンジン回りの『水平対向2気筒』『シャフト・ドライブ』などは他社の追随を許さない。写真のバイクは日本でいくら位するかと調べたら新車でR1200250万近いから、これは並みの四輪車より高く、バイクは転倒することが多いからこのバイクで転倒したら修理費は莫大だなとつまらぬことを考える。

 セブやマニラで
BMWバイクのヴィンテージ物が時々売りに出るがその値段が日本円で100万位。タイプは1955年から1960年に製造されたR50R60になるが、いかにも古い風格のあるデザインで、一度などその気になって買うことを決めたがたかがバイクにそんな大金を突っ込むなどと反対されて取り止め。まあ、買っても走らせるよりは飾って置く方になるだろうから高い買い物には間違いない。


 
author:cebushima, category:閑話休題2013年5月, 19:38
-, trackbacks(0), pookmark
5月28日(火) 曇り時々雨、風なし 閑話休題 《 本日のセブは雨模様で肌寒い 》
 フィリピンの新学年は6月始まりで、公立学校は6月10日から始まる。3月に卒業式を終えてこの期間は『夏休み』になり、入学式、始業式が近づく今頃は『Back to School』と銘打って、文具を売る店などはかなり込み合い、この込み具合を見て『学校が始まる』と実感させられる。

 大学などもこの時期は自校の広告を新聞やラジオに煩雑に出して宣伝に努める一年の搔きいれ時になるが、その様子はどこかの商店の大売り出し、呼び込み広告と変わらず、フィリピンの大学は教育機関ではなく『ビジネス』部門の一つと認識させられる。

 年中暑いフィリピンにも夏休みがあるのかと不思議に思うだろうが、4月、5月は確かに暑い。我が家はエアコンなしで過ごしているが、4月、5月は特別暑い日が夜まで続く時があって『やはりエアコンを入れよう』と一度は決意するのだが、その内文字通り暑さは峠を越してエアコンの話などまた来年という顛末になる。

 5
月の半ば過ぎ頃から夜間や未明にザーっと雨が降るようになり、それまでほとんど雨の降らないセブもいよいよ『雨季』に入るのかと思っていたが、今日などは朝からドンよりした空模様で、時々パラパラ小雨が降り、時間を置いて横殴りの強い雨となったりで、夏は終わったなと思わせる。

 陽が差さないので気温も低いが、といっても現在25度以上はあるから肌寒いという表現はおかしいかも知れないが、いつもだったら33度から35度位がセブの気温で10度近く下がると体感気温はさすがに肌寒く感じる。

 エアコンは設置しない我が家でも、貯湯式の装置を家を作った当時から備えているが、夏の間は西日が配管部分に当たり溜まっていた水がお湯に変わっていて午後5時過ぎでも、シャワーを浴びると熱く、スイッチを入れなくて済む状態になるが、今日のような天気では温まらずいつになく冷たい水になっている。

 この偶然の配管は予期せぬ『ソーラー装置』になり、もう少し工夫してこの熱湯を溜めていつでもお湯を使えるようにしたら、アジアで最も高いというフィリピンの電気代削減になるのではと思い、『手作りのソーラー装置』などとネット上で逍遥するが、考えるだけで実行には移せていない。

 セブの雨季は不定期的に降る雨なので、これは乾季でも同じで、明確な線引きはないのが実情だが、今まで吹かなかった東寄りの風が吹き出したから季節が変わったのは確かなようだ。

 雨季で思い出すのはその昔住んだアフリカのことで、私が住んだ内陸部の国は半年ごとにキッチリ測ったように雨季と乾季がやって来たから不思議だった。乾季から雨季の境目は数日前から遠雷が聞こえ、当日はいきなりの土砂降り、半年も雨の降らない毎日だったから土砂降りが埃を巻き上げて『雨にも匂いがある』と感じたのもその時だった。

 それからは連日の雨、と言っても数時間位しか続かないが、それまでカチカチの道路は泥濘というより水田のような有様で、当時仕事にオートバイを使っていたが、ツルツル滑って転倒の連続。『ここで死ぬんじゃないか』と本当に思ったが、人間というのは慣れも早くサーカス張りの運転技術で幸い怪我なく過ごせた。

 写真は近所のセブン―イレブンのアイスクリーム。この大きさで15ペソ(約35円)とお買い得だが、さすがに今日のような肌寒さではそんな気も起きない。


 
author:cebushima, category:閑話休題2013年5月, 21:45
-, trackbacks(0), pookmark