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11月30日(金)フィリピンは休日 晴れ、微風 閑話休題 《 海外で死んだらどうするか 》
 日本の書評を読んでいたら今年の『開高健ノンフィクション賞』を受章した佐々涼子著『エンジェル フライト 国際霊柩送還士』に目が留まった。

 このノンフィクション賞は昨年フィリピンの邦字日刊紙の記者が『日本を捨てた男たちーフィリピンでホームレス』で受賞している。

 開高健の著作はほとんど読んでいるが、死後創設されたこの賞では初めてご当地を書いたその本しか読んでいない。

 ただし、出版社の商売が上手いのと、テーマも開高健らしさもあってか本の売れ行きはこの手のノンフィクション物では売れているそうだ。

 今年の受賞作は読んでいないからひと口では書けないが、海外で亡くなった邦人、あるいは日本で亡くなった外国人はどのように本国に帰るかを描いているようで、その遺体、遺骨を取り扱う会社、職業、関係者を取材している。

 分かり易く書けば『国際葬儀屋』で、専門の会社が
2003年に設立されホームページを見ると、日本語、英語、中国語、スペイン語、ロシア語で記載されているから、それだけ需要が国際的と分かる。

 この中に国際霊柩送還士とか特殊入国管理官などという言葉があって、遺体や遺骨は確かに特殊な入国になるから特殊な部署も必要なのだろう。

 私の身の回りでもセブで亡くなられた日本人は多いが、荼毘に付して遺骨を日本に持ち帰る時、煩雑な手続きが必要でそこまで必要かと思うが規則は規則なのだろう。これが遺体となると、まだ私の知り合いではそのケースはないが遺骨以上に日本に移送するのは面倒で、しかも莫大な費用がかかる。

 そのために専業の会社があるのだろう。実際に調べたわけではなく、本当か嘘か分からないが、遺体を収めた棺の飛行機料金はファーストクラス料金、といって客室内に置くわけではなく棺ごと合板製の箱に入れて貨物扱いで搬送される(これは本当)。

 ともかく金がかかるから遺体搬送の保険でも適用されているとか会社や役所役務での殉職、個人でも遺族側に金銭的余裕がないと遺体を日本に持って帰るなど大変で現地で荼毘ということになる。

 これも関係者がシッカリしていれば良いが、フィリピンで最近急増の当地で死ぬと日本の身内、縁戚などの関係者は関わりを持ちたくないのが多く、遺体がいつまでも宙に浮いているなど珍しくない。首尾よく当地で遺骨にしても日本側で受取拒否と踏んだり蹴ったり、亡くなった当人の行いが悪かったといえばそれまでだが、それではあんまりだというようなケースが多い。

 浮いてしまった遺骨はどこかで長期保存となるが、セブでは日本人会がそういった場所を当地の墓地に設けているが、早い話が無縁仏。この間、老齢夫婦がセブのリゾートで心中したケースではここに遺骨が収められているが、勝手に死んでどうも死後の始末はセブに押し付けという気が拭えない。

 こういう手合いは退職者ヴィザなどというものでフィリピン永住を図る者に多そうで、どこに住もうが死ぬ時は必ず来るのだから、死後の始末はこれこそ自己責任、自己完結が必要、そう偉そうに書く私は何にも考えていないが。


 
author:cebushima, category:閑話休題2012年11月, 07:58
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11月28日(水) 曇り時々晴れ、風なし 閑話休題 《 新宿西口の飲み屋街 》 
 日本の新聞はニュースを伝えることを第一としているが、先の福島原発報道を巡って図らずも暴露されたことは、記者クラブなどという珍妙な組織を通じて政府発表のニュースが流され、大手マスコミが政府の御用機関であったことで、それを称して今や『マスゴミ』などと叩かれる始末。

 この体質は明治以降生まれた日本の報道というものがいくつもの戦争を挟んでも変わっていないことを現し、ニュースを流す方もニュースを受けとり書く側も教育レベル、育ち方が同一『同じムジナ』集団のためで、日本には良質の報道陣が育たないなどと海外のジャーナリストから指摘されている。

 まあ、難しいことはその位にして、批判にさらされる大手新聞も最近は若干の工夫を凝らし、ニュース以外で面白い一角を設けている。

 例えば朝日は『どらく』という別版があり、ここはかなり切り口の違うトピックを載せ、特に各国の列車に揺られるシリーズなど毎回楽しみにしている。

 産経はこういった別版はないようだが、全体的に週刊誌のような見出しの付け方で興味を引かせるが、中身は単純、大袈裟に書いているだけ。毎日は『楽しくなるのはこれからだ』というのがあって、写真と文章で社員の記事を作っているが、その中で『そして名画があった』は楽しめる。

 読売は『新おとな総研』と何やら堅苦しい名前の別版が面白い。こういった各新聞の狙いはシニア層などと最近は気取って命名しているが、要するにやがて日本の人口の四分の一は占める閑で小金のある爺さん婆さんが喜びそうなテーマで編集していることは確かである。

 さてこの中でようやく表題に入るのだが、読売が写真の『思い出横丁』に触れている。思い出横丁などと文学的な看板を掲げているが、ここは『ションベン横丁』の名前の方が知られ、私も学生時代は良く通った。

 といっても飲みに行ったのではなく、ここへ行くと『ゲイカツ』が食べられた。ゲイカツとは『鯨カツ』のことで、まだ、捕鯨問題がうるさくない時代でそんなに珍しい食べ物ではなく、値段が安く量もあったので結構食べにくる人は多かった。

 味の方はソースをたっぷりかけるからソース味に化けてしまうが、黒茶色の肉は確かに鯨肉、これと味噌汁にお新香、ご飯が付いていくらだったか覚えていないが、当時は今のように手軽に安く食べる牛丼屋とかいった類の店はあまりなかったから、それと同じ位の値段だったのではないか。

 新宿西口地下広場が毎週土曜日解放区のようになった時代で、このゲイカツを思い出すと1970年代の喧騒も同時に思い出す。最後にここでゲイカツを食べたのはいつだか忘れたが、もう海外に出ていて一時帰国の時食べに行ったような気がするし、行く度に迷路のようだった横丁が何だか綺麗に整理されているのを見てもう中まで入る気は失い、こうやって外から写真を撮るだけになった。


author:cebushima, category:閑話休題2012年11月, 21:22
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11月27日(火) 晴れ、風なし 閑話休題 《 点描 サン・カルロス大学 》
 昨日の続き。サン・カルロス大学本校内の壁に張られていた図を撮影。

 これは非常時に校内のどこに避難すれば良いかの案内で、本校舎は台形状の土地と書いたがその通りで、右側の道がハイウェイで左側がサンシャンコ通りになる。

 赤く塗られている部分は戦前からの四階建て校舎(丸く印があるハイウェイ沿いが戦前からの校舎)と建て増しした校舎に囲まれた中庭が緑色に塗られていて、そこへ避難するようになっている。

 セブは地震は珍しいから出火した時にここへ集まるようにという指示と見て良いだろうが、こんなペラペラの紙一枚の表示でこの指示が徹底するかどうかはカトリック系の大学だから非常事態があるかどうかは『神のみぞ知る』で良いのだろう。

 この中庭の周りには時間を偲ばせる太い樹がいくつもあって落ち着いた感じはあるが駐車場にもなっていて、非常時にはこれらの駐車した車は邪魔になるのではと思うが、そこまでは考えが至っていないようだ。

 図の左下角に四角く囲まれている部分は体育館で両側に観覧席があってかなり大きい。戦前の鉄道はサンシャンコと平行に敷かれたレールがこの体育館の左下角辺りで角度を付けて曲がっているとは昨日書いた。

 サンシャンコ通りというのは古い通りで、戦後すぐに米軍が上空から撮影したと見られる写真を見ると、この通り沿いの建物は米軍の空爆と艦砲射撃から被害を免れていてかなり残って写っている。

 サンシャンコから海にかけての一帯は、フィリピンで一番古いといわれる道のコロン通りにわずかな建物を残すだけで壊滅状態、建物の跡なども残っていなくて更地同然、米軍の物量に物をいわせた攻撃の激しかったことが良く分かる。

 こういった写真を見ると、アメリカ人というのはジェノサイド思想が強く、これが東京大空襲、広島、長崎の原爆投下となり、ヴェトナム戦争時の北爆、あるいは補給路を断つという名目でヴェトナム−ラオス国境の山岳部への想像を絶する空爆(ヴェトナム戦争では第二次世界大戦中に参戦国が使った爆弾の何倍も投下したというから、白人のアジア人蔑視も如実である)。

 あるいはジャングルへの猛毒の枯葉剤散布など、また最近の湾岸戦争などその思想が連綿と繋がり、これはもう狂気、犯罪としか言いようがない。

 さて、サン・カルロス大学にはここ以外にセブの外れに別のキャンパスがある。セブの外れといってもセブは小さな都市だから、東京の大学のようにとんでもない田舎にキャンパスを作るのとは違い、渋滞がなければ車で
20分位の山裾にキャンパスは広がる。

 このキャンパスのある辺りかつては本当にセブも外れだったが、道路が広がり住宅開発が進んで、すっかりかつての山道風、鬱蒼とした雰囲気はなくなりどこにでもあるファースト・フードの店などが並ぶ特徴のない町の光景に取り込まれてしまった。
 


author:cebushima, category:閑話休題2012年11月, 21:09
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