- Philippines 2010 選挙 Watch (42) 2010年上院選に見る諸事情
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2010.06.17 Thursdayフィリピンの上院議員は定数24人、3年毎に半数の12人が改選される。
歴代の大統領、副大統領はほとんどが上院議員経験者だから、権力を登り詰めるためには不可欠になる。
今回の大統領選でも5人の現、元職の上院議員で争ったし、副大統領選は現職の2人が出た。(写真は野放図に張られた地方議員の選挙ポスター、張りっ放しで選挙後は候補者の責任で剥がすようにしないと、この国の選挙モラルは向上しない)
日本では現職が他の議席に立候補する時は辞職するが、フィリピンの場合、辞職しなくて立候補出来るので、落選しても席は確保されている。
今回、大統領選落選のヴィリヤールは任期3年を残して上院に復帰するし、副大統領選では落選のロハス、連続落選のレガルダも同様である。
アメリカも同じシステムを取っていて、以前大統領選で落選したケリーが上院で復帰した。フィリピンはアメリカの猿真似をして制度を作ったのだろうが、つまらぬ制度を温存しているものだ。
さて、今回の上院選だが現職が6人、前(前回落選もしくは3年間休み)3人、元1人、新2人と現職が強みを発揮している。
地域ではやはりルソン島中部タガログ圏が圧倒的に優勢で、7人、同島北部2人(エンリレ、マルコス)ヴィサヤ方面3人(サンチャゴ、ドリロン、オスメーニャ)と見る。
エンリレは上院議長だが、1度落選経験があり、北部ルソン島カガヤン地域の大ボスである。マルコスはかの独裁者の息子でイロコスに地盤を持つ。マルコス一族も露骨な連中で、知事、下院議員を一族でたらい回している。
ヴィサヤ方面を細かく分けると、サンチャゴ、ドリロンはイロイロ地方、オスメーニャはセブになる。
前の2人はそれ程政治屋王朝の話は聞かないが、オスメーニャはフィリピン有数の政治屋王朝一族出である。
この一族は2人の上院議員を振り分けて出していたが、今はやっと1人を当選させる力しか無い。今1人のオスメーニャは現職としてはみっともない票数で落選、諦めたのか今回の選挙ではセブ市長選に出てひとケタ低い票数で落選した。
こう見て行くとミンダナオ島出身の上院議員が居ない。実際はピメンテルというミンダナオ北部を地盤とする議員が居るのだが、3期連続禁止規定に引っ掛かって今回は立候補出来なかった。
この人物は反マルコスで鳴らし、現在は野党側の重鎮だが、年とって呆けたのか後釜に前回は息子、今回は娘を上院選に立候補させたがいずれも問題にならずに落選。反権力の闘士もフィリピン的風土の中ではタダの政治屋に堕落するようだ。
非改選の12人については稿を改めて書きたいが、全員ルソン島出身だった気がする。このように上院議員も大統領同様著しい地域格差が生じている。
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- Philippines 2010 選挙 Watch (41) 歴代大統領に見る南北地域格差
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2010.06.16 Wednesdayアキノ新大統領は15代目になり、歴代の大統領出身地を調べると色々な興味が湧く。
フィリピンは地域地域の言語が何百もあるが、マニラ中心の『タガログ語』は学校や中央のテレビなどを通じ、英語に次ぐ『共通語』的存在で普及している。
しかし、セブを中心とする『ヴィサヤ語』を母語とするのが一番多く、全人口の20数%と言われている。
さて、大統領の出身地を分類すると、タガログ圏が圧倒的に多く10人。ヴィサヤ圏では3人、辺境のルソン島北部のイロカノが2人と数えられる。
タガログ圏は10人と一緒にしたが、実際は独自の言語もあって馴染まない所もある。しかし、マニラを中心にするルソン島中部である事は間違い無い。
一方、ヴィサヤ地域では第8代ガルシア(写真)が出て以来、半世紀も大統領とは縁が無くなった。このガルシアはセブ島の隣のボホール島出身の変わり種になる。
第4代オスメーニャ(セブ)、第5代ロハス(イロイロ島)と、その昔はマニラと対等にヴィサヤ人は政治的力を持っていたのが分かる。それが、第9代マカパガル(14代アロヨの実父)から、ルソン島出身の大統領だけになった。
しかも、第10代のマルコス(イロコス)を除いて、11代アキノ(新大統領の実母)から全員タガログ圏の出身と著しく偏って来た。今回の選挙でもやはりタガログ圏の候補者だけで争っている。
今やヴィサヤは政治的には田舎に過ぎない位置に落ちている。これは、ヴィサヤ人の地盤沈下を意味し、益々中央集権体制が進んでいる証拠ではないかと思う。
私は外国人だから分かる事だが、タガログとヴィサヤは非常に仲が悪い。タガログはヴィサヤを田舎と馬鹿にするし、ヴィサヤはヴィサヤでタガログに対して劣等感を持っている。
政治的な沈下はヴィサヤ人の小型化も関係があるだろう。せいぜい、内閣に閣僚を送り込んで喜ぶのが関の山のヴィサヤ人だから軽く見られているし人材も居ない。
富が富める所に集まるように政治もマニラへ一極集中し、ヴィサヤはこの先大きな田舎になりそうだ。実際、アロヨ在中の大規模インフラの整備、高速道路、高架鉄道などほとんどタガログ圏だけに投じられた。
これがタガログ圏への人口集中を加速し、他の地方は益々置いてきぼりになる悪循環を生む。これをヴィサヤ人は『タガログの陰謀』と言うが、半分当たっている。
軽んじられるヴィサヤになるが、前回2004年大統領選ではアロヨが対立候補に100万余票の僅差で辛勝し、その100万票差はヴィサヤから出た圧倒的な票が物を言った。そのため、アロヨは恩義を感じて史上初めて大統領就任式をセブで行った経緯がある。
今回の選挙でもヴィサヤ票は次点のエストラーダが総投票数の10%程度の得票しかなかったのに、アキノは60%を超える得票率で、今回選挙の圧勝を導いた。
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- Philippines 2010 選挙 Watch (40) アキノ−ビナイの当選確定? 》
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2010.06.11 Friday6月9日、フィリピン正副大統領の当選が確定した。(写真は左から上院議長、ビナイ、アキノ、下院議長)
と書きたいが、副大統領選に関しては300万票近い『無効票』の扱いで、落選したロハス側が異議を唱えていて、どこから見ても問題無い確定とは言い難い。
投票日は5月10日だったから、上下院合同で点検していた委員会の当選宣言までちょうど1ヶ月かかった。
これでも早い方で、前回2004年大統領選では46日かかった。それだけかけても、アロヨの選挙不正工作解明は藪の中、有耶無耶に終わった。
アキノは15代大統領になるが、母親は11代大統領だから『世襲』の典型的な例になる。もっとも、フィリピンから世襲の政治家を除外したら、国政、地方を問わず空っぽになってしまうから、世襲はフィリピンの宿業、病気と言って良い。
アキノは50歳で独身。私などアキノの所作を最初に見た時、フィリピンに多い『バクラ=おかま』と思った。
副大統領になったビナイはマニラ首都圏のマカティ市長からの出馬だが、選挙前は泡沫候補で本人は当選すると思っていなかったから運命は分からない。
マカティ市と言うのは日本で言えば、丸の内と銀座に麻布、青山を合わせた様な市で、フィリピンで最も裕福な市になる。
ビナイはそこの市長を7期21年もやった。首長は続けて3期9年以上は出来ないので、4期目は自分の妻を立てて当選。一回休んで妻と交代して長期に市政を牛耳った。
本人は副大統領選に当選するとは思っていなくて、今回の選挙には息子を立てて(当選)、自分が落選後の道を確保していた。
ビナイは人権派弁護士として反マルコスで頭角を現わし、アキノ(母親)が大統領になった時に、アキノからマカティ市の市長代行に任命されたのが出世のきっかけとなった。
今回の選挙でアキノと組んだロハスを蹴落としたのには、昨年8月に死去したアキノも墓の中で苦笑している事であろう。
本人は貧しい家の出を強調しているが、『ビナイ王朝』と言われているように、既に既成権力と富に身をどっぷり漬かり込んでいる。
歴代の正副大統領のほとんどは上院議員経験者が占め、ビナイの様に地方自治体首長から副大統領になったのは史上初めてになる。
ビナイは67歳で、6年後は73歳になりフィリピンでは政治家としては賞味の切れる年齢だが、一緒に戦ったエストラーダが73歳で出馬して、1,000万票近く集めた事を考えると、大統領への野望は非常に強いのではないか。
実際、副大統領は大統領の予備的存在で政治的立場は弱いが、アキノ内閣の閣僚ポストを要求し、橋頭保を固める様な話も出ている。
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