RSS | ATOM | SEARCH
8月31日(金) 曇り、風なし 閑話休題 《 消えた小学校のことなど 》

 写真の蓮華の花が広がるこの空地は私が学んだ小学校跡である。名前は『千寿第六小学』千寿となっているのは縁起担ぎで、隅田川と荒川放水路に挟まれた千住にあった。

 千六(せんろく)と呼んでいたが、私が通っていた当時の千住には小学校が千住小から始まって千住第一小から千住第八小まであり、他に町名の付いた学校が2校、計11校(と思う)あった。

 当時はどこの町に行っても横丁に子どもが溢れていて、在校児童数も1000人くらいの小学校は小さい方だった。これだけ小学校があると、日曜日に野球で集まっても自校のグラウンドが塞がっていると、すぐ近くの小学校に行ってやるなどしょっちゅうだった。

 小学校の整理、統合は都内でも数多くあるが、足立区はその中でも最大、現在までに17校も廃校になった。都市の過疎化と財政が原因で、他区は多くてもせいぜい10校くらいだからその急進さは際立つ。

 1972
年、千六は歩いて5分くらいにある小学校、千七と統合されて廃校。新しい校名は『千寿桜小』と、桜に縁の無い学校なのに通俗的な名前が付けられた。どちらの校舎を桜小にするか互いに綱引きはあっただろうが、千七の方に持って行かれた。

 私はもうその頃千住から離れていたから、統合、廃校騒ぎは何も知らず、もし千住に住んでいたら反対運動をしたかどうか。両校の敷地は千六の方に分があるが、やはり地元の区会議員といった力関係でそちらに行ったのだろう。

 その結果、建築して何年も経っていないコンクリートの校舎を壊し、以降跡地は現在のような空き地になっている。空き地にしているのは災害時に逃げ込める場所を確保するためで、普通だったら公園風にする所をこのように自然な感じで維持していることは悪くない。

 昔だったら野球にもってこいだが、今はサッカーがブーム、写真を撮ったこの日も子どもがサッカーをしていたが、球技は全面的に禁止でコソコソやっているのがいじらしい。もっと開放した方が良いと思うが、考えるに子どもがグラウンドで遊ぶと声がうるさいなど、クレームを付ける住民が多くなったためではないか。

 しかし、犬にとっては素晴らしい環境で、ここに犬が来ると全面土のためか心もちゆったりした表情になるのは気のせいか。

 写真を説明すると、写真を撮った辺りに校舎が建ち、校長室はこの辺だった。前方奥、左から3分の1くらいの所の建物が切れている所に正門があり、門の脇には桜の樹があった。

 右の方にネットを見るが、ここが野球をする時のかつてのホームベース。さらに右に視点を移すと大きな桐の樹があって、そこには小屋があって体育用具などが収められていた。今はその後に何年か前に建立された『開校50周年記念』の石碑があり、小学校があったことを偲ばせる。

 写真の右の方にはプールがあった。私が卒業してからだいぶ後に出来、その位、プールを持つ学校などまだ少なく、体育授業でも水泳は公園にある区営のプールに出かけた。

 校門を出た先に染め物工場があって染めた布がヒラヒラ翻る様はとても良かったが、染め物工場は廃業したのか跡地に『老人ホーム』が建築中で、こうして時は移って行く。


author:cebushima, category:閑話休題2012年8月, 20:47
-, trackbacks(0), pookmark
8月30日(木) 曇り、風なし 閑話休題 《 汚染の進むリゾートのセブ 》

 10数年ぶりにセブの展望台の『Top’=トップス』へ行った。

 ここは標高610m、眼下にセブ市、マンダウエ市の市街地、海峡を挟んで国際空港のあるマクタン島、その先には晴れていればボホール島、先の大戦中の最激戦地レイテ島が見える。

 写真でも分かるようにこの日は雲の多い、太陽がたまに見えるような天気で見通しは悪く、平日の午前中でもあり観光客の姿は見えなかった。

 前に来た時は青空が広がるかんかん照り、しかも強い風が下の谷から吹き上げていた。その時に気が付いたのだが、上空は青いのにセブ市の中心辺りにモヤーッとした傘のような灰色の雲が覆っているのを目にした。ひと目でこれは『スモッグ』だと分かった。何とも異様な光景を目撃したわけだが、その頃は既にフィリピンは都市部の大気汚染が問題になっていた。

 ビーチ・リゾートで売るセブだが、増える自動車に対して対策など何もなく、汚れるに任せているのが実態である。我が家は普通の住宅街に10数年前に建てたが、その頃は窓に付着するのは砂のような細かい粒子で不潔感はなかったが、今は排気ガスの黒いねっとりした粒子が付着する。

 このガラスに付いた黒い粒子を見ると『こんな汚い空気を吸っていると、肺の中は真っ黒だな』と何とも嫌な気持ちになり、早い所、セブの田舎の方に引っ込んだ方が良いと考える。久しぶりのトップスの眺望が悪いのは天気だけではなく、もう全体にスモッグが覆っているためなのではないか。

 フィリピンの大気汚染防止の法律はアメリカ並みに整っているはずだが、運用の面では空念仏、例えば車の『排気ガス検査』が車両登録更新時に必要になっている。

 そのために検査場もあちらこちらにあるが、コンピューターで検査するのは建て前で、検査員に袖の下を渡せば合格する数字に直すのが実態で、この検査場も民間委託と触れ込みは良いが単なる利権の一つでしかない。そのため、どう見ても検査を通りそうもない、排気ガスを黒々と吐き出す車が我が物顔に街中を走っている。

 セブのビーチ・リゾートは大きな都市のすぐそばにあるのが特徴で、またそれを売り物にしているが、メトロ・セブといってセブ市、マンダウエ市、ラプラプ市と近隣の町を加えるとリゾート近くには200万人近い人が生活し、生産活動をしている。この数字が吐き出すゴミや汚染水は膨大な物で海を汚しているのは間違いない。

 海といえば20年以上前にダイビングを始め、セブのポイントは多く潜っているが、何年か前に知人と一緒にマクタン島のリゾート沖を潜ったら、透明度が以前と比べて落ちているのに気が付いた。

 リゾートの排水処理はどうやっているのか不明だが、韓国系の大きな新設ホテルが汚水を直接海に流していたのが問題になったように、いい加減にやって、自らの首を自らの手で絞めるようなことを観光に関係する業界はやっているのではないかと気になる。そんなことはないというなら、マクタンのリゾート沖の海水検査など継続的にやったらどうか。もちろん、大気検査も願いたい。


 
author:cebushima, category:閑話休題2012年8月, 17:08
-, trackbacks(0), pookmark
8月28日(火) 晴れ、風なし 閑話休題 《 利休を書いた本 》
 今月はたまたま『茶道』と『利休』関係の本を続けて読んだ。向こう下2冊は死んだ母の本を整理してセブに持ってきた物で、上2冊は105円の中古で買った。

 母はどのくらい茶道をやっていたのかは分からないが、自宅に4畳半の茶室があり、それなりに腕はあったのだろうが、私が興味を持たないものだから教えてくれるようなことはなかった。

 茶の世界は『三千家』といって千利休から分かれた三流があるのは知っていたが、母が何流だったかは遺品を整理していてようやく分かった。母は『裏千家』で、そういえば前の家元がだいぶ前にヨーロッパで茶会を開いた時、一緒に行ったことを自慢していたが、実際は会場で来た客を出迎えただけらしい。

 やはり遺品の中にもらった茶名の『宗何とか』という書付があって、調べたらそれなりに流派の中では高位の資格と分かるが、その割には茶碗など私の好みは少なかった。子どもの私としては、こういった日本固有の家元制度はネズミ講と同じと思っていて、母は時間と金があっただけと点は辛い。

 さて、野上弥生子の『秀吉と利休』この本は読むのに時間がかかった。内容は面白いのだが文体がなぜか眠りを誘うようになっている。ただ、昔の人の素養、教養には唸らさせ、使われる語彙も、今の作家にはとても無理なものが多く、こういう文章もたまには読まなければと感じた。

 記述の内容からこの本の題名は『利休と秀吉』が相応しいと思うし、利休は商人なのにどうして切腹だったのか解せなかった。同時に梟首だったから初めからこっちの方で、切腹は後世の人間が美化するためのでっち上げではないか。野上は1985年に99歳で亡くなっているが、1964年発表のこの作品の翌年、文化功労章、1971年、文化勲章を受章している。

 左の山本兼一『利休にたずねよ』。こちらは2009年、140回直木賞受賞作。また違った切り口で利休を描いていて、利休は侘び茶の創始者として文学や映画にたくさんの作品を生むが、どれも自信家の性格は共通していて現代に生きていたら、美の求道者というより政治屋稼業に向いていたのではないか。

 まんが『茶会入門』は、漫画なら簡単に茶道を理解できるかと思ったが、懐石料理の食べ方などもあって侮れず、結構覚えることも多い。

 その左『台子、長板手前』は点前の形を写真で解説しているが、見ていて面白いものではない。茶道は決まりごとの積み重ね、様式を覚えるのが多いためにその心を知る前に辞めてしまう人が多いと聞くが、型から入ることもこういった本を読んでいると大切なのかも知れない。

 そういえば茶道に『袱紗さばき』という重要な動きがある。これはカトリックの司祭がミサの最中にキリストの血と称してワインを金属杯に注いで飲み干し、その後布で拭う行為と似ていて、一説には袱紗さばきは南蛮の宣教師のこの行為を見て考案したと聞く。そういう目でフィリピンの司祭の手際を見ていると、布さばきの上手下手があって、茶道も同じかと思ったりする。







author:cebushima, category:閑話休題2012年8月, 19:49
-, trackbacks(0), pookmark