6月5日(火) 曇り、風なし 閑話休題 《 不味いコーヒーを出す店が多過ぎる 》
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2012.06.05 Tuesday
写真はセブのITパークといってコールセンター業界がビルを建て商売している場所で、戦時中に海軍神風特攻隊がここから出撃している知る人ぞ知る場所である。
先日、ここに行く用があって、パーク内のアメリカ系のドーナツ屋でコーヒーを飲んだ。以前にも飲んだことがあって、その時はあまりの不味さに突っ返して淹れ直させたが、今回も出てきたコーヒーはやはり不味かった。
こういった店で働いている人間はもちろん、経営者も美味いコーヒーを飲んだことがなく、ただ商売が儲かりそうだからと営業しているだけだから、味が美味いの不味いのといっても無理な話になる。
かつてのフィリピンはコーヒーといえば『ネスカフェ』のことで豆から淹れるコーヒーなど店で飲めない時代があった。フィリピンはコーヒー豆を生産しているが、ほとんどはインスタントの原料となっていて、量さえ採れれば良い品種だから豆そのものが不味く、たまにその豆で淹れるコーヒーにお目にかかっても不味い味は変わらない。
セブでコーヒーを淹れて飲ます店の草分けはマンゴー通りにあるオーストリア人がやっていた今も健在の喫茶店で、コーヒーらしさは味わえた。その後ジョリビーのような店で一応、淹れたコーヒーが飲めるようになって、ここは値段の割にはマシな味だった。
やがて、スターバックスが進出しても、それを淹れる店員が美味いコーヒーの味を知らないものだから、なかなか美味い味にぶつからないし、いつ淹れたか分からない腐ったようなコーヒーを出す始末。コーヒーは淹れたてが当たり前、お茶に例えれば何時間も前に抽出したお茶など飲めない、飲まないのと同じである。
もっとも、こういった店で客の飲み物を観察すると、コーヒーを注文する客など10人に1人も居なくて、コーヒーを飲みに来るのではないと分かる。こちらのマクドナルドやジョリビーでハンバーガーなど食べる客は少なく、鶏のから揚げのような物を食べるのと状況はよく似ている。
このように客の舌が貧相、要求もないので美味いコーヒーを出す、飲む文化が育たないのが今のフィリピンの業界といえ、まだまだこれからの業界ともなる。
もっともコーヒーの味というのは個人差も強く、銀座に『ランブル』というその世界では有名なコーヒー店があって、私など必ずしも随喜の涙で飲む味には感じない。
それでもこの店は自家焙煎、ネルのドリップで一杯一杯淹れてくれて、コーヒーミルはこうすべき、何ミクロン以下の粉は使わない、とか何とかと能書きも多いが、小さなカップで1000円近く取られてもコーヒーフリークを満足させるものがある。
この主人はコーヒーは原産の豆次第といっていて、それならばフィリピンで栽培してみるかと考え、先日『ハワイ・コナ』の種子を購入した。セブの気候がハワイと似ているかと考えるとそのようでもあり、そのようでもなくもないが、播種して実が成るまでは順調でも5年位かかるだろうし、全く育たないかも知れないが将来の楽しみであることは間違いない。
6月2日(土) 曇り、風なし 閑話休題 《 本多勝一著『アメリカ合州国』 》
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2012.06.02 Saturday
パソコンで『あめりかがっしゅうこく』と入れて変換すると、当然のように『アメリカ合衆国』と表示される。
パソコンの元締めはアメリカだからアメリカ合衆国と変換されるのはおかしくないと思うだろうが、ソフトに合衆国と訳しているのは日本人である。
アメリカの正式国名は『United States of America』。この中の『State』は州をいい、それが集まった国だから『合州国』の日本語訳が正しい。
アメリカにはどこにも大衆の衆などないし、アメリカの体制は合衆=民主主義国ではないのに日本人が合衆国と訳しているのはおかしい。とまあ、こういった切り込みと調子で書いたのが本著の『アメリカ合州国』。
著者の本多勝一は元朝日新聞の記者で一世を風靡した著作を数々物にしている。既に物故しているかと思っていたらまだ存命で、1932年生まれの80歳。
この本が書かれたのは1969年、今から43年も前になる。本書はその当時のアメリカの『黒人』と『インディアン』がどのような位置に置かれているかをルポルタージュしたもので、アメリカに興味を持つ人には是非読んで欲しい一冊になる。今のマスコミ表記は黒人を『アフリカ系アメリカ人』、インディアンを『アメリカ先住民』と呼び換えているが、単に呼び換えて済むものでもない。
本多はアメリカ最南部に住む黒人を訪ねながらこのルポを書くが、当時はヴェトナム戦争(1960~1975)の真っ最中ながらようやくヴェトナムの泥沼からアメリカ軍の撤退が始まった頃だった。この汚い戦争に従軍していたのは黒人を始めとしたマイノリティーや、貧困層が多く、この構造は今のイラク、アフガニスタンでも変わっていない。
この他、その時代のアメリカには奴隷制度時代そのままの異人種間の結婚(例えば黒人と白人、日本人と黒人)が禁止されている州がいくつも存在している実態など驚かせることが多い。
今はどうなっているか分からないが、オバマという非白人の大統領を産み、そのオバマが同性婚を認める発言をしていることを思うと、アメリカも変わったのかと思われる。しかし、そんなに簡単に人々の意識、視線など変わるものではなく人種差別は今も厳然と残り、巧妙に隠蔽されただけなのではないか。
日本には『アメリカ良いとこ、一度はお出で調』のノー天気な内容のアメリカを紹介した多数の本、体験記あるいは多数の日本人アメリカ留学者にこういったリアルな指摘が見られないことに、日本人の歪んだアメリカ観が醸成されているとの記述は説得力がある。
もちろん、本多の指摘が全て的を得ているとは思えないが、本多の過去の著述は新古典としてもっと読まれて良いし、本多のようなジャーナリストは日本にはもう生まれない、生まれにくいという日本のマスコミの先の原発報道を見れば、日本のその不幸さが良く分かる。