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4月27日(金) 晴れ、軽風 閑話休題 《 震災支援中の風呂事情 》
 昨年3カ月間、東北3県を罹災者支援で廻った時の『風呂』の事情を書いてみたい。

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カ月間の行程では基本的にはキャンプ及び無料ボランティア宿泊所を利用し、寝袋袋持参だったからそれほど困ったことはないが、風呂については暑い時期からのスタートだったのでかなり苦労した。

 写真は宮城県石巻市で撮った『臨時入浴場』で、左側のテントが女湯、その隣は男湯になり、右端のテントは受け付けと休憩所になる。テントの中は脱衣所と縦横6m×3m、深さ80センチくらいのプールのような浴槽があり、その二方に洗い場がある。

 これは『自衛隊風呂』と呼んでいたように、震災直後に自衛隊が被災地に施設した臨時の風呂形式で、その自衛隊が撤収してからNPOが運営していた。ここも10月に戻った時にはなくなっていて、利用者は不便になっただろうなと思った。

 被災直後は着の身着のままで避難しても落ち着いて来れば風呂に入りたくなるのが人情だから、こういった施設は重要である。写真の場所は元駐車場、奥に見える建物は市内で12のビジネスホテルで、その真向いにもホテルがあり復興需要なのか満室状態だった。

 私の場合、フィリピンではシャワー使用の生活に慣れ、日本に行ってもドブンと浴槽に入る気分はなく、ここでも浴槽からお湯を汲んで身体を洗い流すが、やはり温かいお湯は良かった。利用者は被災者中心だが市内に入っているボランティアも利用でき1日おきに通った。

 他の地域で支援ボランティア用に設けられた無料宿泊所にはお湯の出るシャワー設備があって、これには助かったが、寒い季節になったらチョッとつらいかなとも感じた。

 東北は温泉場のたくさんある地域で、車で移動中に温泉の看板をたくさん見たが、あまり温泉に浸かろうという気分は持てなかった。それでも岩手県の北端近く久慈市に入り、入浴に困って山奥にある『べっぴんの湯』と名付けられた温泉に初めて入った。

 温泉といっても公共の浴場設備といった感じで風情はいまいちだが、久しぶりの湯船でゆっくりできた。普通に沸かしたお湯と違って温泉は身体への浸透度が違って湯上りの気分は上々、料金も500円でそれ以降こういった所で入浴するようにした。といっても気仙沼の山奥にあった高原の湯、花巻近くの温泉と会津盆地にあった公共の湯くらいしか行っていない。

 活動の最終地いわき市は温泉でも有名な所で、映画フラガールの『常磐ハワイアンセンター(旧名)』がある。せっかく来たので入ってみるかと行ったが、その頃の罹災者は入場無料、一般は1500円も取るので入口で写真を撮っただけで止めた。

 その代り駅近くには公共の湯が2カ所もあって500円で入れるので、どちらも入った。駅前の駐車場に車駐車料金を払って入るのが今風の感じだが、こういった公共の湯を車で廻るファンも居るらしいが、確かに利用してみるとそんな気分になりそうだ。


 
author:cebushima, category:閑話休題2012年4月, 10:13
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4月26日(木) 晴れのち曇り、微風 閑話休題 《 アメリカの玄米をもらって 》
 フィリピンに住んでいると、日本に住む人間から『フィリピンではいくらぐらいで生活できますか?』と聞かれることが多い。

 その裏には日本に疲れてどこか気持ちを変えて暮らしたいというのがあるし、日本では暮らせないので安く暮らせそうだとフィリピンを考える切実なものもある。

 こちらに住んでいればその手の情報はもちろん分かるが、そういった問いをする人のフィリピン生活のイメージは曖昧なことが多く、返答に困ることがある。

 例えば普通のフィリピン人は日本円で月12万円で暮らし、地方に行けばこの半分も生活費をかけずに暮らしているのはいくらでもある。もっとも望んでこの金額に良しとしているのではなく、収入がないからそれに甘んじているだけで、そういう普通のフィリピン人の安上がりの食生活の真似をしたらは確実に早死にする。

 日本人はどこへ行っても『日本食』に拘る人種でそういった安い生活はできないことをまず知るべきである。セブにも日本食材店はあってかなり豊富に手に入れることはできるが、これらは輸入品で3割以上は高い。この日本食材をたまに使って自炊をするならまだ良いが、三度三度日本食、ましてや日本食レストランで頻繁に食べるようだと日本で生活するより生活費は高くなる。

 こうなると何のために安いと思ったフィリピンに住んでいるのかとなるが、自己の日本の生活をそのままフィリピンに持ち込んだだけで割高、気が付いても既に遅くブツブツ文句をいう嫌な日本人として生活するようになる。この手の日本人は溢れるほどフィリピンに居て今後も増える。といっても、当人が選んだ道だからどうこういう筋ではない。

 そういうお前はどうなのだと問われれば、少なくても海外生活で日本人が拘る『米の飯と味噌汁がないと』などとは一度も思ったことがなく、現地のある食材を料理して食べるだけである。

 写真はアメリカの知人が送ってきた物で、カリフォルニア産の『玄米』になる。私は自然食や菜食主義者ではないが、セブのスーパーでも『ブラウン・ライス=玄米』を有機米と称して売っていて、どこが有機で安全かどうか分からないが、白い米よりはマシだろうと買って食べている。

 フィリピンでは普通の米が1キロ80円くらいから買えるが(もっと安いのはもちろんある)、玄米と称する米は120円とかなり割高だが月に何キロも食べないので影響は少ない。ただし、この米を普通の電器釜で炊くからボソボソしていて美味くもなんともない。

 アメリカからの玄米を同様に炊いたら粘りがあって味も悪くなく、キロ当たりの値段を比較したらアメリカの方が安かった。といって太平洋を超える運賃を考えれば少しも安くはないが。

 さて先ほどの話に戻るが、フィリピンで安い生活をしようとしたら、日本人に拘らないことが第一でこれさえあれば誰でも楽しい生活はできる。ただし、文化的な面はほとんど甘受できる環境ではないからその面の諦めも必要である。



 
author:cebushima, category:閑話休題2012年4月, 16:15
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4月25日(水) 快晴、軽風 閑話休題 《 『瓦礫=がれき』というが 》
 写真は石巻市の山の中で写した。昨年の8月だから今は変わっているかも知れない。

 石巻市は北上川河口流域に開けた町で、震災前には約17万人の人口を抱え、宮城県では仙台に次ぐ人口を擁していた。最近の人口動態では15万人くらいとなっているからかなりの人口減となった。

 石巻市には2週間近く罹災者支援で滞在しているが、津波の爪痕は甚大、人的被害で4000人近くの死者、不明者を出した。

 石巻駅近くに『日和山』という小高い山があって、ここから北上川と市街地を一望できるが、海岸に向かって北上川の右側は広大な原と化し、左側も建物は残っているように見えるが、流されていないだけで1階部分は全部水に浸かって、損傷の激しい建物は取り壊していた。

 震災時に生じた廃棄物を『瓦礫=がれき』と簡単に呼んでいるが、元々は生活そのものの固まりであって塵、芥のように見て扱うのは罹災者にとってみれば不本意である。

 東北3県で生じた瓦礫の量は推定で2247万トン(岩手449万、宮城1570万、福島225万)といわれているが、この内、石巻市は総量の4分の1以上にも上る616万トンを占める。ちなみに壊滅的といわれた陸前高田市でも87万トン、被害の大きかった気仙沼市137万トンで、石巻に次ぐ瓦礫の多い自治体は隣接する東松島市の166万トンだからいかに石巻市が壊滅的な打撃を受けたか分かる。

 写真のような集積場が市内に20数カ所あって、処理をしているが、取りあえず移し替えただけの話でなかなか処理は進まずどこの罹災自治体も同様な状況である。この瓦礫処理を巡って日本人の醜さが出たのは承知の通りで『放射能汚染』を拡大するなと、処理に協力しようとした自治体に反対する住民多く、一方の行政管理者も顔色を伺うだけで見て見ぬふり状態が続いている。

 放射能に既に日本は汚染されているのだから、それを分かち合うしかないのに、自分の所さえ汚染されなければ良いなど、いったい『絆』だとか『つながり』などといった甘ったるい掛け声はどうなったのかと思い、やはり日本人は駄目だなーと世界に知らしめている。

 この瓦礫処理もきれいごとではなく、何も遠く関西や九州などに運ばずに地元に処理施設を作って処理したらという考えがあり、今や原発と同じような『利権』と化しているようだ。日本で今のような莫大な費用をかけているのだったら、いっそのこと海外に輸出したらどうかとも考える。金さえ出せば瓦礫を受け入れる国はあるのではないか。もちろん国際問題になるだろうが。

 こう思うのは何年か前に日本から40フィートコンテナに詰めて産業廃棄物を何本もフィリピンに送った民間業者がいて、社会問題になったことがある。この顛末は日本政府が税金をかけて日本に送り返して処理したようだが、肝心の業者は雲隠れである。『瓦礫を海外に送ってひと儲けしよう』と、考えている人間は既にいるかも知れない。


 
author:cebushima, category:閑話休題2012年4月, 10:46
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