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セブ今昔物語 【22】 セブ島のホテル模様−その4 続々建設されるホテルだが値段は高い

 セブにあるホテルで誰が聞いても分かる世界的に名の通ったホテルといえば、マクタン島にある『シャングリラ』とセブ市内にある『マリオット』がある。

【写真−1 周りにビルが建ち並んでしまって少々貧相なマリオット・ホテル

 写真−1
の中心に写る小さな建物がマリオットで、ここは1990年代初めに元ゴルフ場跡地をフィリピンのスペイン系財閥の雄『アヤラ』が再開発した地域になり、少々お洒落なショッピング・モールを中心に20階前後のオフィス・ビルが建ち並ぶ。

 そのためマリオットは周りのビルに囲まれて少々貧弱な建物に見えるが、これでも部屋数は301室あるというから、セブでは大きい方になる。マリオットは傘下に各種ランクのホテルを違う名前で展開しマリオットの前にJWが付くとより高級になる。

 セブのマリオットは早く言えば一番安いランクのホテルで、オープン当時の周りは広々していたが、ホテル敷地そのものが狭く、マリオットはビジネス・ホテルを造ったのかと思ったくらいで少々貧相な印象は免れない。

 このマリオット・グループは今年、シェラトンなどを運営するホテル・グループを買収して世界最大のホテル企業となり、そのホテル数は5500を超すというから驚く。マリオットが傘下にしたシェラトン・ホテルがマクタン島に今建設中で、ありそうでいくつもない、マクタン島の高級リゾートが増えるから楽しみといえば楽しみである。

 

【写真−2 東横インの裏側からの様子。予定通り開業できるのかどうか】


 ここ数年セブ市内と隣接する市域で新設のホテルが増えていて、写真−2はマンダウエ市のモール屋上に造られている『東横イン』で、オープンは2017年2月となっている。

 この工事の様子は始めから見ているが、開業まで5年近くかかり、しかも最近でも何か欠陥があったのか外壁へ大がかりな手直しをしていた。日本の企業だから2月開業は間違いないだろうし、最近は開業案内のパンフレットが配られている。

 それによるとシングル1900ペソとあり、1ペソ2.2円と換算すると4180円となり、恐らく税金12%を入れると4700円くらいになって日本の東横インよりは安い。ツインになると2600ペソ、税込み6400円となり、ほとんど日本の東横インと値段は変わらなくなる。

 東横インは日本最大のビジネス・ホテル・チェーンだがセブの東横インにはキング・ダブル、デラックス・ツインと全体の割合は分からないが普通のホテルと同じような部屋が用意されていて、やはり観光地セブを意識したホテル作りになっている。

 これらの値段設定、高いような安いような微妙な数字で、元々フィリピンはホテルの値段が国の生活水準と比較して高いので有名で、ペンションと称するただ泊まるだけの施設でも1000ペソ以上は取られるのが普通になっているし、リゾート地区にあると貧弱な設備、内容でも1500ペソくらいは平気で取る。

 先年、ラオスに住んだ時、定期的にタイ国境の街に出て常宿するホテルがあって、その値段がペソに換算すると1200ペソくらいで、地の利も良くその町の高級な堂々としたホテルであり、部屋も東横インのデラックス・ツイン以上の広さを持つ。

 もう少し安いホテルも利用したがこちらは1000ペソ程度で、場所といい設備といい問題なく何れも朝食付きで、部屋の作りや設備もしっかりしていて、フィリピンの同程度のホテルの部屋代の高さが際立つ。

 同じ東南アジアでも観光業のGDPに占める割合が飛びぬけて高いタイは、ホテルに限れば競争もあるのだろうが、フィリピンが異常に高いと思わせる安さで、やはり観光関連業の層の厚さが値段の違いになるし、それともフィリピンは客が少ないから『ぼったくり』精神になるのであろうか。

 

【写真−3 建設中のホテル。道を挟んだ反対側にはお荷物の国際会議場】

 

 そういった高い設定の部屋代のためか、セブには続々と新しいホテルが出現している。ところが、中にはコンドミニアムとして宣伝して造りながら、どういうわけかホテルとしてオープンしているのがいくつもあって、コンドミニアムなどと偉そうに呼んでいても、実態はワン・ルームの部屋が多く、販売が思わしくなければホテルに転換できるように計画したのかも知れない。

 

 写真−3は東横インと同じ市内に建設中のホテルで、埋立地にあるため、周りはまだ殺伐とした空き地が多く、すぐそばは港に望み海は見えるもののかなり汚く、セブのリゾートのイメージで泊まったら印象は良くないのは必至。

 

 このホテルかなり大きい造りで、部屋数もかなりありそうだが、何でもホテルを作っているのはボトルに詰めた水を売って大儲けした会社らしく巷では『水ホテル』などと呼ばれている。

 この会社、やはり1990年代からボトル入りの水商売を始め、当初はミネラル・ウォーターを詰めていて、確かにセブ北部の山中からタンク・ローリーで運んでいた。爆発的に売れたのは良いが、タンクで運ぶ水の量と販売量に著しく差があり過ぎて一時インチキじゃないかと騒がれた。

 その後どうなったか分からないが、今ではバッテリー液と同じ普通の水を精製した水を詰めて売っているが、これは今やどこの製品も同じで変わらないから追及しても仕方がないが、それにしてもたかが水で写真のようなホテルが造れるとは商売とは分からないものだ。

 

 もっとも、商売にたかがなどと言ってはいけなく、上述した東横インの建つモールも元はマンゴーを加工して一代で財を成した中国系が造ったもので、この一族はマクタンにあるかなり大きいリゾート・ホテルを買収してホテル業に乗り出していて、利に敏い中国系の次なるターゲットはホテル業のようだ。

 


 

author:cebushima, category:セブ今昔物語, 17:48
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セブ今昔物語 【21】 セブ島のホテル模様−その3 高層ホテルの時代に入る

 1997年7月、タイから始まった『アジア通貨危機』ではIMFの管理下に入ったタイ、韓国、インドネシアと違って、フィリピンは打撃を受けたものの『アジアの病人』と言われた経済規模の小ささから何とか持ちこたえた。

 1990年代は『セブーム』と称して、セブに投資する日系資本も多かったが、今思えば『第1次バブル』と言って良く、それが破裂してからはセブの建設会社には仕事のない時期で、仕事を得るために頭を下げ回っていた。

 

【写真−1 かつての威風堂々もつまらない建物を敷地内に造って消滅した】


 経済が回復し、2000年前後頃からセブ市内には20階くらいの中層ビルが次々と建ち始めたが、20階建て程度の中層ビルは40階以上の高層ビルと違って構造的には造り易いせいもある。

 写真−1は前回も触れたかつてのセブの名門、マニラ以南で一番高い20数階のビルであった旧セブ・プラザ・ホテルの敷地全体模型で、この模型はロビーの片隅に置いてあり、ホテルは一番左の建物で正面が海を眺めるようになっていて、右側に建つのはコンドミニアムの完成模型で、既に竣工している棟もある。

 模型では棟と棟の間は充分に取られているように見えるが、実際は棟同士が密着しているような状態で、このホテルの命であった『眺望』は全くなくなってしまった。

 現在は香港資本のこのホテル、本業が良くないので広大な敷地を不動産開発で儲けようとしたのかどうか分からないが、いかにも香港人らしい発想でつまらないことをしたものだ。

【写真−2 写真の加減で分かりにくいが建物は嫌味なピンク色】

 写真−2はマクタン島にある旧ヒルトン・ホテルで、現在はアメリカ資本のモーベンピックが営業している。セブにはアメリカ資本のホテルはマリオット、前回に墓石ホテルと書いたラディソンと近年多くなった。

 マリオットは最近シェラトン・グループを買収して、マクタンにシェラトン・ホテルを造っているが、アメリカ人のフィリピンへの年間訪問数が韓国に次いで2位になっているのと関係があるのだろう。

 さて、写真の建物、当初ヒルトンとして大々的にオープンしたが、ヒルトンは何年もしないで撤退したから営業的には良くないと判断したのかも知れない。ヒルトンはそういった判断が顕著で、マニラのヒルトン、香港のヒルトンと消えてしまったヒルトンは多い。

 つまり、自社名のホテルとは言っても自前ビルではなく借りて営業してだけではないかと思うが、詳しく調べたわけではないから分からない。

 写真のホテル、3棟見えるが真ん中の奥に見える棟はコンドミニアムで、私の中国系の知人が購入したが、すぐに売り払ってしまった。どうも居住するには色々制約があって不便だったらしいが、投資目的で購入したから損はしていないようである。

 このホテルは今でもそうだが、対岸に横たわるオランゴ島へ向かう船乗り場に隣接していて、かつてはただのゴツゴツした岩場であった。それを金に物を言わせて開発した訳だが、当時この地域はすぐそばに空港があるために、建物の高さ制限が設けられていた。

 実際、隣に立地する20数年前に造られたシャングリラなど低い棟を建設している。それがどういうわけか20階以上のこの建物が忽然と出現し、建築違反ではないかと騒がれた事があった。

 それからこの地域には中層のコンドミニアム開発が始まったが、あまりにも空港滑走路の入出コースに近く、チョッと問題ではないかと思うが、香港のかつての啓徳空港を思うとまだ安全かも知れない。

 写真では砂浜を備えているが、これは砂を入れた人口浜で、リゾートの密集するマクタン島で天然の浜を持っているリゾートは数少なく、シャングリラにしても岩場に砂を入れて造った人口浜で、知らないのは観光客だけであろうが、知っても仕方がないだろう。

【写真−3 このホテルが出している全景写真は左のビルを消してある。詐欺同然】

 写真−3はセブ市中心にある40階建てのビルで、これがセブ市最初の40階建ての高層ビルになり、ホテルは右側の棟で、左側はコンドミニアムと事務所用棟になる。

 2000年代半ば頃にこの建物は出来たと思うが、その手前に見える中層のビルはセブに10階建て以上のビルが3つしかない時代のビルの1つで、セブに開設された日本の領事事務所が最初に入っていたビルにもなる。

 この写真の2つのビルを皮切りにセブも高層ビルの時代に突入かと思ったが、先に書いたように中層ビルと高層ビルは同じビルとは言っても建築上かなり違い、現在、近くで50階建てのコンドミニアムが造られていている程度で、セブは20階程度の中層ビル建設が中心になっている。

 このホテルは中国系資本が運営していて、建物の割にはパッとしない評判だが、ホテル棟の屋上をライフラインを装着して歩くアトラクションが出来、私も知人が日本から来た時、希望したので一緒に行った事がある。

 セブ市の中心に出来た高層からの眺めは新鮮で、悪くなかったがただそれだけの眺めで2度行きたいとは思わない。こうしてセブには高いビルが造られているが、フィリピンは敷地に対する容積率など全くないのか、敷地そのまま一杯で建物が立ち上がるから鬱陶しい。




 

author:cebushima, category:セブ今昔物語, 12:21
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セブ今昔物語 【20】 セブ島のホテル模様−その2 火事で消えたホテルと墓石と呼ばれたホテル

【写真−1 ゴルフ場時代の大樹がモール内に今も残る】


 写真−1はセブのお洒落なショッピング・モールといわれる『アヤラ・モール』の回廊部分で、この一帯は元ゴルフ場で、1990年代に入ってフィリピンを代表するスペイン系のアヤラ財閥が買収して開発した地域になる。

 この元ゴルフ場の近くには18ホールを備えたゴルフ場が健在で、今でこそセブの市街地に取り込まれているが、かつてはセブの田舎のような地域であったのであろう。アヤラ・モールの敷地に面して『マジェラン・ホテル』という中級より上のクラスのホテルがあった。

 このホテルは1990年代初頭に火事で全焼してしまったが、当時はまだ、セブにはこれといったホテルのない時代で、マジェラン・ホテルは当時の一流の『セブ・プラザ・ホテル』に次ぐホテルとなっていて、日本人の利用客も多かった。

 私も宿泊した事があり、大通りから中に入った環境と落ち着いたインテリアは感じが良かった。火事で全焼したと書いたが、これは放火の疑いが強く、何らかのトラブル、保険金を狙った犯行などと色々当時は騒がれたが、結局解明に至らなかったようだ。

 出火当時は既にマルコス政権からアキノ政権になっていたが、マルコス政権の時代には不法占拠者を追い出すために放火が多く、それと関係があると言われた。

 このホテルの中庭にはプールがあって宿泊客は階上からプールに飛び込んで九死に一生を得たなどと言う話も聞いたが、記憶をたどっても部屋から飛び込めるほどプールは近かったかなと定かではない。

 この火事で一番記憶に残っているのは、名前は忘れたがホテルにライブ演奏を売り物にしたセブでは知られた店があって、ここに何故か『虎』が飼われていた。

 その虎は『アブ』という名前だったが、火事の時に焼け死んだと思われたが生存し、やがてセブの動物園に引き取られた。当時は話題になった虎だが、あれから20年以上も経っているから死んだのではないか。

 さて、そのマジェラン・ホテルは焼けた残骸を晒したままで再建という話も聞かず、敷地もどうなっているか分からず完全にセブから消えた状態になっている。あれからマジェラン程度の新しいホテルはセブに続々建てられているから、今更昔のマジェラン・ホテル再興という時代ではないようだ。

【写真−2 手前の空き地はモールの駐車場用地】

 写真−2はセブの埋め立て地に建てられたホテル棟で、現在はアメリカ資本の『ラディソン』が運営している。写真の左側は海になりセブ港の貨物ターミナルになっていて、ホテルの立地としては良くない。

 写真の右側には冒頭に書いたアヤラとモール競争をしているSMモールがあって、モールと一体化した開発でこの建物は造られたが、どういうわけか完成してから何年もの間、開業する様子はなく、当初はシェラトンが入るという話を聞いたが、それも流れた。

 噂の域だろうが、建造した地域は埋立地で、埋立地というのは地盤沈下を起こすので造成後しばらく自然において置いて沈下の様子を見るらしい。ところがそういった時間を取らずに高層階の建物を造ったものだから、建物が傾いてしまい開業は出来ないという話がまことしやかに流れた。

 それが本当のようにこの建物は埋立地に忽然と聳え、誰が付けたかその形状から『墓石』と呼ばれていた。それがどういう経緯か知らないがホテルとして営業を始めたが、長年放置したインテリアと設備に対してかなり手直しが必要であったのではないか。

 このホテルは客室数400というからセブ地域では大型ホテルになるが、リゾートには縁遠い環境ゆえ、隣のSMモールと抱き合わせで営業しないと客足はどうかと思うがどうだろうか。

【写真−3 あまり人で一杯という光景はロビーでは見ない】

 写真−3はそのホテルのロビーの様子で、他の同型クラスのホテルと較べると広々として、インテリアもけばけばしくなく悪くない。

 一応、セブ市街地にあるホテルとしては3本の指に入れても良いと思うが、ホテルは客室を見ないと評価できない。


 

author:cebushima, category:セブ今昔物語, 18:35
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