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6月25日(金) 晴れ、軽風 閑話休題 《 セブ・マクタン島のリゾートにて 》
マクタン島のリゾート 中央アジアにカザフスタンと言う共和国があり、そこで仕事をしている友人が日本経由でセブの我が家を訪れた。

 カザフスタンは内陸国なので、早速マクタン島海縁にある手頃なホテルに部屋を取り、こちらも一緒に時間を過ごす事にした。

 滞在したホテルは長年セブに住んでいて知らなかったホテルで、高級ホテルのすぐ隣にあった。ほとんどが日本のダイビング客相手で、目一杯潜る人からは私達の様に何にもしないで滞在する客は奇異に見られた。(写真がリゾートから見た海辺の光景)

 その近在はダイビング客相手の小さな宿泊施設があって、朝の早い内にブラブラ近辺を散歩していると、日本語で挨拶をされるので、日本人が相当数浸透していたのが分かる。

 近辺は土地が入り組んで家屋が建てられ、私道も敷地も区別付かない様な一帯で、何かのトラブルでも起これば道路の遮断など起こりうる地域だった。

 昔だったら、皆顔馴染みで人の敷地内を利用して、自由に行き来していただろうが、リゾートとして価値を産むに連れて利害が錯綜、昔の様にのんびり良いよ良いよで進めない世の中となった。

 最近、この近くで日本人がある事業を興そうとして、土地の賃貸契約を結んだが、その土地内に昔から建つ幾つもの家を取り壊さないと、アクセスが出来ないと分かった。

 貸主は責任を持って撤去すると言うがそんなに簡単な話で無い事は、この国に多いスクオッター(不法占拠者)問題を考えれば分かる。

 そんな、取り止めのないリゾート暮らしには相応しくない事を考えながら、今日の日はゆるゆると消えた。セブ島工房ロゴ



 
author:cebushima, category:閑話休題2010年6月, 19:17
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6月24日(水) 晴れ、軽風 閑話休題 《 65年前の沖縄戦 》
沖縄平和の礎 フィリピンには沖縄出身の方が多く住んでいて、セブにも知り合いが居る。

 沖縄に進駐した米軍と一緒にフィリピン人が沖縄に入り、当時カツカツの暮らしを余儀なくされた沖縄の人にとって、基地に勤めるフィリピン人は憧れの的だったと言う。結婚する人も多く、私の知っている方もその一人だった。

 沖縄は最近の普天間基地問題で注目を集めたように、日本にある米軍基地の4分の3を一県で負担している。

 この普天間問題で辞任した鳩山の唯一の功績は、基地問題をようやく日本の問題として考えるようにしたとまで言われるように、今まで沖縄に基地をババ抜きの様に過重に押し付けていた『本土』の在り方が問われている。

 昨23日は沖縄戦が終わった日で、沖縄では『慰霊の日』になっている。沖縄戦は1945326日から623日まで戦われ、日本側死者19万人弱、内、沖縄人12万人強で民間人は94千人に達した。

 対するアメリカ側は死者12,520人、負傷7万2千人だった。写真は、陸軍の司令官と参謀長が自決した摩文仁の丘に作られた公園『平和の礎(イシジ)』で、国籍を問わず戦没者を碑に名前を刻んでいる。その数、24931人になった。左側に写る碑銘は朝鮮籍の人々である。

 この沖縄戦の次は九州南部の上陸作戦があった。上陸地点は鹿児島県大隅半島の志布志湾、薩摩半島の吹上浜、宮崎市の3方からで、仮にこの作戦が実際に行われたら、双方に死屍累々は避けられなかった。

 それが沖縄戦の激闘で、米軍に上陸作戦を躊躇する動きがあり、その内815日の敗戦となった。今でも、この3地点に住む老人の中には『沖縄の人々の犠牲があったから、九州上陸は無かった。沖縄には足を向けて寝られない』と言う人が多い。

 沖縄戦の惨状を見れば『一億玉砕』など、寝言でしかないのは明らかで、当時の戦争指導者はどう言い繕ろうと『狂気』としか言いようがない。

 また、アメリカが今も沖縄にこだわるのは、戦略上の拠点だけではなく、多くの米兵の血を流して、勝利、獲得した戦地意識が強いためとも言われる。こうなると、沖縄から米軍が出て行くのは永遠に難しいと感じる。

 この沖縄戦で海軍部隊司令官が自決前に打った電報『沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ高配ヲ賜ランコトヲ』は切実だが、本土による『琉球処分』はまだ続いている。


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author:cebushima, category:閑話休題2010年6月, 11:03
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6月23日(水) 曇り、軽風 閑話休題 《 他人の荷物を預かる事なかれ 》
釈放された元死刑囚 フィリピンの刑務所に収監されていた日本人が、16年ぶりに出所した。(写真左、共同通信より)

 この人物は19944月に大麻155キロ所持でネグロス島バコロッド空港にて現行犯逮捕。一審判決は死刑、200310月に最高裁で終身刑が確定、服役していた。

 大麻で死刑とは厳しいものだが、それだけフィリピンは薬物汚染が酷い国でもある。

 参考までにレイプも死刑になり、セブにも以前、レイプしたラーメン屋の日本人オヤジと言うのが居て、死刑判決に怯えていたが、結局、長い時間の末日本に帰れた。

 バコロッド事件では現地の日本人から預かった土産物に大麻が仕込まれていたと『冤罪』を訴えていた。折りも折り日本では裁判員裁判で覚せい剤を隠し持ったとされた人物に無罪判決が出た。これも缶の中に覚せい剤が仕込まれていた事件だった。

 バコロッド事件は捜査した係官が、後に覚せい剤所持で逮捕、懲戒免職になり、『事件はでっち上げ』と公言したにもかかわらず、裁判には影響を与える事が出来なかった。

 結局、服役して大統領恩赦で今回の釈放となったが、無罪放免になった訳ではない。

 この事件で思うには、うかつに他人の荷物を預かったりしてはいけない事である。

 私はこの事件が起こる前は日本やフィリピンの飛行場で荷物が多くて困っている人から頼まれて、自分の荷物に紛れさせてチェック・インした事は何度もあった。勿論、単純な親切心から行ったが、以後、どんなに頼まれても一切断っている。

 こう用心していても、フィリピンでは空港の係官がでっち上げに加担するなどしょっちゅうある。その位、質の悪さを誇るのがこの国の現状である。

 さて、出所した日本人は収監生活中に結婚して8歳の子どもを設けた。日本では獄中結婚と言うのは書類上と思っていたが、ここでは週1回、家族と別室で一夜を過ごせる制度があって、子どもも生まれる訳である。

 収監中にこの人物は2,000万円を裁判と刑務所生活で使ったと言い、金が無かったら外国人は無事に出られない。

 出所しても判決の罰金100万ペソ(200万円)を支払わないと出国が出来なく、刑務所から今度は入国管理局の収容所に収容され、まだひと山もふた山もある。

 最後に、バコロッドで仕掛けた日本人はどうなったのか。当時、日本人など何人も住んで居ないから、特定は出来るであろうが、恐らく野垂れ死に困窮邦人の口か。

 今回出所した人物が逆告訴をすれば良いと思うが、金もかかるしもうその気も無いのだろう。海外では『一歩外へ出れば七人の敵あり』状態で生きなければと実感させられた。

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author:cebushima, category:閑話休題2010年6月, 09:09
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