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11月30日(月) 快晴、風なし 閑話休題 《 ボニファシオ・ディー 》
ボニファシオ  今日30日はフィリピンの祝日になる。フィリピンには年間17日の祝日があり、人物にちなんだ祝日は821日のニノイ・アキノ、1130日のボニファッシオ(左写真)、1230日のリサールと3日ある。いずれも暗殺、銃殺と非業の最期となった人物達である。

 今日の人物、アンドレス・ボニファッシオは18631130日生まれ、1897510日、33歳の若さで処刑された。その前年にはリサールが処刑されていて、共にスペインからのフィリピン独立革命のリーダーだった。この独立運動はヨーロッパ人の植民地支配に対するアジア人最初の革命運動であり、歴史的評価は高い。

 同時代にアギナルドと言う人物がいる。この人物、初代フィリピン共和国大統領として重要だが、先の3人と違って1869年―1964年まで生き94歳で死んだ。1960年代だからついこの間まで歴史の証人が生きていた感じになる。

 さて、ボニファッシオは貧困層出身、アギナルドは富裕層出身だった。(リサールも富裕層出身)最初は共に革命路線を歩んでいたが、富裕層のアギナルド側は革命の行き先を考えるとボニファッシオの路線は危険で、結局ボニファッシオは逮捕され銃殺となった。いつの時代でもある路線の違いによる粛清というやつである。

 長寿を全うした初代大統領はフィリピン人の感性に合わないのか、あるいはボニファッシオ逮捕、銃殺に関わったためなのか理由は分からないが、祝日創設にまでは至っていない。

 さて、フィリピンの休日の在り方は時々問題になるように、突然決まる事が多い。これは大統領が思い付いたら、明日は休日と決めてしまう事から来る。そんな馬鹿な事が出来るのかとお思いだろうが、そこは何でもありのフィリピンである。

 政府が祝日出勤の扱いをいちいち賃金の割増から残業の扱いまで指示を出すから、企業は大変であるが慣れるしかない。
author:cebushima, category:閑話休題2009年11月, 06:46
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11月29日(日) 快晴、風なし 閑話休題 《 覚えたくない英単語 》
 massacre=無防備の人の大量虐殺。1116日(月)、ミンダナオ島マギンダナオ州で57人が殺される事件があった。この単語は知っていたが、テレビ報道のタイトルで『Maguindanao Massacre』と頻繁に出るので、スペルと発音を覚えた。
 
 この単語はフィリピン人が戦時中の日本軍を語る時しばしば出る単語で、セブ島でもあった。昔の事とは言え、あまり覚えたくない単語だが、今回、現代に蘇った。

 フィリピンには大きく分けて40位の言語がある。その中で最大使用言語はセブ方面の『ヴィサヤ語』で、国民の20%以上が話す。普通フィリピン語と言うと『タガログ語』の事を指しているが、元々はルソン島マニラ近在の少数言語である。

 これが中央政府の力と施策でフィリピンの共通語として学校で採用し通用させ、テレビ番組でもタガログ語を全国的に流している。しかし、特有の言語を持っている地域で中央の言葉を強制しても無理な話で、地方に行けばタガログ語は理解してもほとんど話さない。そこで相互の疎通に無理のない『英語』がフィリピンの公用語、共通語となっている。

 長く英語圏に住んでいると覚えてしまう単語があって、inpeachment=弾劾などもそうで、これはエストラーダが議会から汚職で追及された2000年に覚えた。

 結局、エストラーダは2001年に辞めたが、後任のアロヨもしょっちゅう弾劾がどうのこうのと言われていて、もう目を引く単語ではなくなった。昔、アメリカのニクソンが同じように弾劾されそうになったが、この時は単語への関心はなかった。

 また、数年前にテレビ局の公開番組で殺到した群衆が折り重なって、数十人の死者を出した事件があった。この時はstampede=多数の人が右往左往して逃げまどう、と耳慣れない単語を覚えた。こう列記すると嫌な事件関係ばかりで覚えたくない英単語でもある。
author:cebushima, category:閑話休題2009年11月, 07:25
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11月28日(土) 晴れ、風なし 閑話休題 《 円対ペソ 》
円対ペソ 中東ドバイにある政府系企業の不振から、為替と株価に世界的な変動が起きた。

 中東は多くのフィリピン人が海外就労先として行っている地域で、ドバイは目を引く建物がニュースで流れる様に、建設需要で多くのフィリピン人が就労していた。それが2008年のリーマンショック以降は不振で、フィリピン人を含む各国からの出稼ぎ者の失業状態が知られ今回のような事態を引き起こした。

 結果、円は144ヶ月ぶりの円高で84円台までなった。国際投機筋のバクチ打ち同然の貪欲な輩が、懲りずにまた動きだしたのかと思わせる。

 円対フィリピンペソも掲載の図表(右軸が1万円に対するペソ)で分かるように、1万円が5,300前後で続き、こちらで暮らす最近増えた日本人の退職者老人、日本からの観光客などは恩恵を受けている。

 私が初めてフィリピンに来たマルコスが全盛の頃は1ペソ=10数円だった記憶がある。その少し前は30円台で、それだけペソはまだ価値があった。

 庶民の交通機関であるジープニーの初乗り運賃が当時1ペソで、今は7.5ペソになっている。これを円換算すると4半世紀前と同じ額になり、フィリピンは貧困から脱せないと言われるが、対為替で比較すると全く伸びていない。フィリピンのこの間の経済成長は何だったのかとなる。

 円高で恩恵を受ける、あるいは損を受ける領域は常にあるが、輸出依存の日本の企業はひとたまりもない事が分かる。評論家風に『いつまでも輸出依存の体質を日本は脱しないといけない』とは言えるが、今回の荒波は容易ではない。
author:cebushima, category:閑話休題2009年11月, 07:53
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