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フィリピン・よもやま帖 2020 その−(23) セブのヨット・ハーバーにあるインド・レストラン

 コロナで明け暮れた2020年の締めで外食をすることにしたが、これは年初に台湾へ旅行に行って以来の外食で、今年がいかに異常な年であったか分かる。

【写真−1 これで飲み物を入れて1人1000円を超すからフィリピンでは高い

 外食もイタリア・レストランに足を運ぶことが多かったが、今回は目先を変えてインド・レストランへ行くことにした。

 セブは色々な国の人が多く住んでいて、その国の在留者と観光客を対象に商売するレストランも多く、一番目立つのは韓国レストランで、ハングルの看板をこれ見よがしにしている店も多い。

 これはフィリピンを訪れる観光客は国別では韓国人が一番多く、特にセブで英語を学ぶことが韓国でブームになっていてその学生達や、フィリピンを舞台に仕事や商売をする人が激増したためである。

 

 コロナ禍になる前のセブには韓国人が7万人以上居たなどという数字もあり、話半分としても4万人は滞在していて、そうなるとチョッとした市並みの人口だから、自国人相手だけで商売も成り立つ。

 本来満遍なく客を集めるレストランであっても、こうなると他の外国人や地元のフィリピン人には敷居の高い店の印象が強まり、自然と足は向かわなくなってしまうが、順調に観光客が韓国からやって来て、英語学校も従来通り学生を受け入れていれば我が世を謳歌していられたが、コロナ禍で一変した。

 以前はセブの上空に夜中の12時前後に頻繁に通過する飛行機があって、これら多くは韓国から飛んできたLCC飛行機で、マクタンの飛行場に離発着していたが、これがパッタリなくなり、セブの真夜中の騒音は消えた。

 これは他の国からの便も同じで、日本との直行便が週10便以上あったのが全て飛ばず、空港で職を得ている人々には苦しいが、フィリピンは日本の様に湯水の様に税金を使って業界を救済してくれないから惨憺たる有様で、実情を知るのが怖いくらいである。

 

【写真−2 ヨット・ハーバーの向こう側は海峡を挟んでセブ島を望む】

 

 これを如実に示す例として、セブにも観光客向けの情報誌があって、隔月に発行されているが、先日セブにある日本の公館へ行った時に置いてあったので見たら今年の3月−4月が最新版であった。

 この3月−4月号の時期はフィリピンが戒厳令並みの都市封鎖を始めた時期で、この情報誌もコロナの影響を受けていたのかと改めて思ったが、日本から観光客がやって来ない状況では発行は難しく、WEB版は健在ながら営業は苦しいのではないか。

 さてインド・レストランに話を戻すが、レストランなど軒並み不振、或いは閉店している中、この店は今年の3月頃にオープンしたというから、都市封鎖開始時期とぶつかって大変な目に遭ったと思うが、それでもこの12月まで持ち応えているから大したものだと思える。

 借金で店を始めていたらとても継続は出来ないと思うが、その辺りが商売上手のインド人なのかも知れず、以前はインド人は少数派であったが、最近はかなりフィリピンに住み商売をしている人も多い。

 

 中でも時々事件沙汰になるのが金の貸し借りを巡ってのトラブルで、これはインド人は合法、非合法で金貸し業を生業にしている者が多いためで、借金しても返さなくても平然としているフィリピン人気質と摩擦を起こすことが多い。
 

 インド人というのは商売上手な人達で、小生がアフリカの内陸国に住んでいた時、商店主はインド出身者が多く、これはアフリカの他の国でも共通していて、アフリカ経済へのインド人の浸透というのはかなり大きい。

 

 考えてみればアフリカ大陸とインド大陸の間にはインド洋があるだけで、地理的には近く、昔からサトウキビ栽培などでインドからの労働者移民が多数アフリカに入っていたから、インド人がアフリカの各国に根を張る下地はあった。

 

 その商売上手さで思い出すのは、ドルを現地通貨に換える時、当時のアフリカは経済が滅茶苦茶で、闇レートは銀行の10倍ものレートでインド人の商店では換えてくれたから、あまりの札束の多さからザックの中に無造作に入れていた記憶がある。

 

 また、話が逸れているので元に戻すが、写真−1はその時注文した品で、中ほど左が『野菜カレー』、その上はサービスの『ジャガイモ・カレー』その右が『インド風サラダ』、下が『トマトカレー』で、他にチャパティー三種。

 

 味の方は辛いを主張する料理に外れは少なく悪くはなかったが、こういう店にインド人が普通に顔を出す様であったら、その味は確かなものと思え、インドのカレーとひと口にいっても、地方地方で味、作り方は違うから美味いの不味いのというのは控える。

 

 このインド・レストラン、写真−2で分かるようにセブのヨット・ハーバー敷地内にあってロケーションは抜群で、このレストランになる前は他のレストランが入っていたような気もする。

 

 写真−2は2階にあるスペースで、階下はエアコン完備だが、こういう海辺では潮風に吹かれて食べた方が美味いに決まっていて、他の利用客もこちらの方を好んで利用していたし、給仕する人も多いなと感じた。

 

 平日の午後にも関わらず、客がポツリ、ポツリとやって来てコロナ禍で商売上がったりの中では来ているように感じ、夜は夜でヨット・ハーバーの景色を眺めながら酒を飲む人間が来るだろうから、営業を続けられるのであろう。


【写真−3 大きな台風がやって来たら吹き飛ばされそうな造りだが】
 

 1階はしっかりした造りだが、写真−3で分かるように階上は陸屋根に太い竹で柱を立て、同じく竹で梁と天井を造り、その上に屋根として『ニッパ』を葺いている。

 

 ニッパというのは『ニッパ椰子』のことで、これは水辺に生える植物で葉の具合はココナツの葉と似ているがココナツの様に幹は高くならず、フィリピンではこの葉を使って屋根に葺くことが多い。

 

 その昔は地方に行けば普通に見られた屋根で、植物繊維なので耐久性は劣り葺き替えを常時しなくてはならないのは日本の『茅葺』と同じだが、経済成長と共にトタン葺きに変わった。

 

 それでも地方によってはニッパ葺きの屋根の多い所もあり、そういった地域は概して経済的に貧しい地域で、その昔レイテ島からサマール島へ渡った時に、レイテ島のトタン葺きの家屋からサマール島はニッパ葺きの家屋が急に増えて驚いたことがあった。

 

 サマール島は台風の発生する海域が近く、日本へ行く台風の発生海域でもあり毎年台風被害を受けるため、昔から経済成長には取り残されている島だが、今もそう変わっていないのではと思われる。

 

 ただし、ニッパ椰子の屋根は自然の材料で造れ、断熱性や遮熱性はトタンの屋根より優れ、メインテナンスさえ億劫に感じなければ悪くはなく、また、海岸リゾートなどではわざと野趣味を出すためにニッパ椰子の屋根を葺くこともある。

 

 写真−3の竹による小屋組みや太いナイロン糸で各部を固定した工法など仔細に見ると面白く、それなりに考えられた技術があるなと感じたが、これはバンカボートと呼ばれる竹のアウト・リガーを出した船と共通した造り方だなと思い至る。

 


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2020, 19:55
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フィリピン・よもやま帖 2020 その−(22) 12月のコロナ禍のセブの街に出て見れば

 12月の半ばにフィリピンの新型コロナ感染者数は45万人の大台に乗った。しかしながら1日当たりの感染者数は2000人台から1000人台へと、以前よりは少なくなる傾向を示している。

【写真−1 左側の高級ビル7階に日本の在外公館が入る】

 これに対して日本の方がフィリピンの1日当たりの感染者が倍になるなど、どうなっているのかと驚くが、税金を注ぎ込んだ旅行業界と飲食業界を救済する自民党の『Go To』政策が感染を広げたのは明らか。

 医療関係者からは強く中止を求められていたのにも関わらず、『証拠がない』などと強弁しなかなか止めず、証拠を英語の『エビデンス』わざと言い換えていつものように誤魔化していたが、ようやく一旦中止にするという決定が出た。

 

 ところが証拠は既に挙がっていて、実際は10月1日から東京からの『Go To』が解禁されて『東京型コロナ・ウィルス』が各地に拡散されたとDNA解析で明らかになり、今の第3波に繋がっていると国立感染研究所は発表するも政府は隠している。

 

 さて『Go To』は直ちに中止ではなく2週間後から中止するなどと呑気なことを言っていて、素人でもその2週間で感染が更に拡大してしまうと分かるのに、菅以下の自民党連中はまともな頭の状態ではないと曝け出した。

 このことを負け戦を正常な頭で判断出来ずに無用な屍を重ねた、旧日本軍の過ちだらけの作戦遂行と同じに例えられているが、『Go To』もイケイケだけでどのように退却するなど考えていなかったようだからその通り。

 

 先日、用があってセブ市内にある日本の領事事務所へ行った。こういった在外公館など滅多に行く用などないが、昨年11月に新幹線全線を乗車用に『ジャパン・レイル・パス』購入に必要な在留証明をもらった以来だから1年ぶりとなる。

 

 この他、日本の選挙のある時は投票のために領事事務所へ足を運ぶが、前回は参議院選挙であったとの記憶を持つが、2021年は4年任期の衆議院の最後の年で選挙は確実にあり、足を運ぶことになりそうだ。

 

 この選挙、巷間では早くもよろけて支持率急降下の菅内閣が年明け、或いは4月に解散に出るなどといわれているが、政権党の都合で解散出来る制度など廃止して、3年任期の解散なしでしっかり議員に仕事をやらせた方が余程良いのではないか。

 

 今回、領事事務所方面へ行くのも1年ぶりで、コロナ禍の1年で街の様子がどのように変わったかも興味があったが、渋滞はいつも通りで道を行き交う人々のマスク、フェイス・シールド姿以外は普通の感じで歩いている印象を受けた。

 

 ところが、領事事務所の入るビルは立ち入りがチェックされていて、以前なら身分証を預けてビル内に入れたが、今回は氏名から連絡先などの個人情報、その他健康状態申告、最後に検温と面倒になったが、人の使ったペンで記入する方が余程感染する率は高い(予想していて自前のペンで記入)。

 

 そういった厳しさもあってか、いつもならエレベーター前は人が蝟集していたが今回は驚くほど中は閑散、エレベーターに乗り込む人も少なくどうなっているのかと訝しんでいて気が付いたが、ビル内のテナントの空きが目立った。

 

 これはコロナ禍によって閉鎖された会社や、こういった高級な場所に事務所を構えるのは難しくなった会社が続出し、そこで働いていた社員もいなくなったための静けさで、コロナ不況も容易でないと感じた。

 

【写真−2 安っぽい造りで地震があったら怖い】

 

 道々、街の様子を眺めていたが写真−2は1年前にはまだ下の方しか立ち上がっていなかったが、ご覧の様に40階まで立ち上がっていて、外装にも手を付けている。

 

 コロナが爆発感染中は多くの建設工事がストップしていたフィリピンだが、このようにコツコツと工事を続けていた現場もあったのだと知ったが、売れ行きの方はどうなのかなと思ったりする。

 

 この40階建ての建物はコンドミニアムになるが、フィリピンはワン・ルームの間取りが主流で、その多くは住宅難のフィリピンで貸し部屋として投資用に購入されていて、その購入層は海外に移民したフィリピン人、或いはOFWと呼ばれる海外就労者が多い。

 

 ところが、コロナ禍で世界中の経済活動が不調になり、それら海外で働いているフィリピン人にも影響が出て、余裕がなくなりフィリピンへの送金が年々右肩上がりであったのに今年はマイナスになるのではと懸念されている。

 

 当然、今までワン・ルームなら安い投資用として購入していた層も脱落し、月々のローンも滞る事態に陥っているかも知れず、また、海外送金を当てにして新車を持つのが当たり前であったが、こちらも新車の売れ行きはがた落ちとなっている。

 

 普通の消費経済の中でも、クレジット・カードの決済が遅れる率がコロナ禍以前の倍以上になったという報告もあり、かなりフィリピン経済が苦しいのも事実で、2020年のGDP成長率はマイナス10%などという見方も出、アセアン諸国内でも際立って悪い。

 

【写真−3 躯体はどうにか出来たが後はそのままという感じ】

 

 帰り道に写真−3のビルの裏側を通ったが、こちらのビルは写真−2のビルと違って1年前に見た時とほとんど工事が進んでいないようで、このビルもコンドミニアムと事務所用に建設は始まっているが、正確には憶えていないが起工してからもう何年もかかっている。

 

 立地はセブの巨大ショッピング・モールの真ん前だから悪くはないはずだが、どうも進捗状況は捗々しくなく、これは手掛ける会社の資金力の問題、或いはコンドミニアムも思ったほど売れていないのではと思うし、資金力のある会社は写真−2の様に工事を進められている。

 

 このビルが起工されたのはセブの不動産バブル興隆期で、市内のあらゆる所でボコボコ無秩序に高層ビルが立ち上がり出し、造れば売れ、借り手も簡単に見つかる状態であったが、コロナがその不動産バブルを打ち砕いたようだ。

 

 このようにコロナ以前に着工して、腰砕けとなっている建設物件は市内にはゴロゴロあると思い、その記録を写真に取っておくだけでも面白いと思うが、さすがに収束の見えないコロナ禍では外出には二の足を踏む。

 

 そういえば今年の初め頃にある通り沿いで造り始めた個人の家で半年以上工事は止まっていたが、急に工事が始まって瞬く間に完工し、あれもコロナの影響であったのかと改めて思われ、ビルに限らず個人の家造りもかなり影響を受けたようだ。

 


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2020, 19:38
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フィリピン・よもやま帖 2020 その−(21) コロナ感染者44万人以上で迎えるクリスマス

 12月11日現在のフィリピンの新型コロナ感染者数は447039人、死者は8709人と発表されている。



 相変わらず感染は収まっていないが1日当たりの感染者数が1千人台半ばとなっていて、以前の1日当たり2千〜3千人台からは感染者発生数は減っている。

 ただし、地域によっては大流行している所もあり、そういった地域では防疫措置を強化、その他でも防疫措置は継続されているから、まだまだ警戒は緩められる状況ではない。

 フィリピンの感染者数44万人台だが、アセアン加盟の10ヶ国の中では2番目の数で、1位はインドネシアの60万人台となり、この2国が他の加盟国と比べて異常に多い。

 フィリピンとインドネシアは感染者数で不名誉なトップ争いを続けていて、一時はそれまでトップであったインドネシアをフィリピンが抜いた時期もあったが、また入れ替わって現在はインドネシアが断トツの感染者数を抱えている。

 これをもってフィリピンの今年3月以来の戒厳令並みの防疫措置がインドネシアより効果があったとは必ずしもいえず、両国の立場は五十歩百歩の域を出ない。

 そういった中、日本は感染第3波真っ最中で、毎日の感染者数が2千人台半ばとなり、ついには3千人台を超してフィリピンの3倍近くも感染する異常な事態になっているが、日本の取り組み方に切迫感は感じられない。

 特に旅行業界と飲食業界を救済する自民党の『Go To』政策を政府の御用学者連中が一旦止めるべきと言っているのに未だ見直しや止める気がないのには呆れるばかり。

 自民党と旅行業界、飲食業界の繋がりは昔からかなり強く集票団体にもなるが、そこに税金を何兆円も注ぎ込む『Go To』を露骨に推し進めていて、この業界に限らずコロナ禍で青息吐息状態はどこも同じで、これは買収といわなくて何というのか疑問である。

 コロナ禍で一番分かったのは、本来、旅行や飲食などあってもなくても当事者以外の人の生活には何の影響もないことで、ここから世の中は不要不急で成り立っていて、効率ばかりを追求する『新自由主義』などまやかしであると実証された。

 日本のことはこれ位にするが、『Go To』の失敗によって無内容な菅内閣は瓦解するような気もするが、税金から金が出るとからと『Go To』政策に便乗する国民の卑しさを考えると逆にしぶとく持ち応えるのかも知れない。

 さて、フィリピンの場合、国家予算が東京都より低い予算規模が貧乏国なので、日本の様に1人1人に10万円を配ったり、家賃を補助するとか色々な支援は出来ず、せいぜい貧困層対象に少しの金を支給したり食料を配るのが精一杯。

 日本が救済している観光業界、飲食業界など全く手当はされず自分で生き残り策を考えろという放置状態で、業界も何とかしろと政府に迫っていないし、迫っても無い袖は振れないで終わりである。

 この業界、海外からの観光客は皆無で、それに頼り切っていた高級リゾートなど倒産の話は聞かないが従業員の整理は行われ、連れて飲食関係も同じ様な状態。

 セブはマクタン島にリゾート施設が集まっていて、その周辺にレストラン、マッサージなど関連業種がたくさん集まるが、これら業種も全滅に近いのではないか。

 それでもこのところ、国内旅行が制限付きで解禁され、ボラカイ島とかバギオといった著名な観光地が観光客を受け入れるようになり、セブも受け入れ準備を始めている。

 ところがボラカイ島を訪れるのに必要な『陰性証明書』を偽造して入島していたグループが捕まったニュースが流れて、そこまでして旅行がしたいのかと思うが偽造するのはやはりなと思った。

 フィリピンは偽造天国で、マニラにはその手の商売を机一つでしている一画があって、小生も店の前を通ったことがあり、各種証明書は勿論、免許証まで見本が置かれていて、何でも可能のようだ。

 以前は他人のパスポートの写真貼り換えなども盛んであったらしいが、偽造防止対策が取られてから難しくなり、その対抗策として正規のパスポート原本が大量に盗まれる事件もあり、その後そのパスポートが見つかったという話は聞かないから出回っているのではないか。

 

 パスポートの偽造など日本人の感覚では考えられず、せいぜい他人の名前で取得した事件が明るみに出るくらいだが、フィリピンはそう珍しくなく、『ジャパユキ』で日本に行って強制送還され、その後姉妹の名前を騙って再び日本へ行ったなどたくさんあるし、当人も悪びれていないから面白い。

 

 さて、カトリックが多数を占めるフィリピンはクリスマスを年間最大の行事としているが、今年は教会に集まることも制限されているし、クリスマス商戦を当て込んでいる業界も盛り上がらないこと甚だしい。

 

 クリスマスと年末には街中で花火を上げて大騒ぎするが、今のドゥテルテ政権になってからは花火はかなり制限されて、割合静かな当日となっていて、時々大きな音の花火が散発的に聞こえるが、往生際の悪い音に聞こえる。

 

 今年は感染を防ぐためにラッパを吹くことも禁止されて、せめて年一回ぐらいは景気付けに盛り上げようとする人々をがっかりさせているが、家の敷地内で騒ぐ分には規制は及ばないようだから、例年通りに騒ぐ人は騒ぐのではないか。

 

 そういった年中行事もコロナ禍で規制され、禁止、中止が相次いでいるが、特に大きなキリスト行事が次々と中止になっていて、1月のマニラ・キアポ教会の『ブラック・ナザレ』巡行が早々と中止になった。

 

 この行事は黒いキリスト像を車に乗せて沿道を一日かけて教会へ運ぶものだが、その沿道には数百万人の信者がご利益を得るために像に目がけて押し寄せ密集するを理由としている。

 

 また、セブで1月の第3日曜日に行われる『シヌログ』も中止となった。シヌログは元々はサント・ニーニョ教会の宗教行事だが、1980年代に観光行事としてパレードが行われるようになって年々盛んになり、フィリピンでも最大級の人を集めるイヴェントとなっている。

 

 第3日曜日は『グランド・パレード』といって、祭りの最期を飾るもので、自治体やグループの選りすぐりのメンバーが市街地で踊る様子は、年々派手になって写真を撮る人間にとっては年に1度の楽しみでもある。

 

 この行事に参加するグループは早くから踊りの練習をし本番に備え、セブでも地方に行くと体育館などで練習しているのをよく見かけるが、今年は中心になる生徒、学生は学校自体が閉鎖状態で、シヌログの練習どころではなく、寂しい気持ちを味わっているのではないか。

 

 こうして、先の見通せないコロナ禍だが、東京オリンピックなどとても出来ないと早々と関係者は見通すことが大切なのではないかと思うが、利権で繋がり一儲けしようとする戦争商人みたいな奴はいつの時代でも居るから、日本は玉砕覚悟で決行するのであろうか。

 


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2020, 19:22
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