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この一枚2020年 セブ篇 その(10) セブの果物を売る店

 『この一枚』という項目は2009年から始め、一年間で20から30くらいの記事を書いているが、今年はコロナ禍によって外出もままならぬ状態で、そのために新しい写真を撮ることも出来なくなった。

【写真−1 手と手の間に西瓜が空中で写っている】

 2020年はこの記事を含めて10しか書けず、年末まであと1つか2つ書いても今までで最少の年になるのは確実の様だが、11月末に久し振りに遠出をして、その遠出の道中で写真−1の面白い一枚が撮れた。

 遠出をした時に道沿いにあった果物屋に寄ったが、停まっているトラックの上から西瓜を店の者に次々と放り投げている場面で、この時たまたま手持ちのカメラは連写モードになっていて西瓜が宙に浮いているのがしっかり捉えられていた。

 もう師走に入っているのにまだ西瓜が普通に売られているのは不思議といえば不思議だが、フィリピンは一年中出回っていて、西瓜が出回っている時期など特に注意は引かない。

 日本では果物にも野菜にも『はしり』や『旬』という季語がある様に、明らかに出回る時期の変化を感じ取れるが、これは四季という季節ごとの変化があるためで、これが日本の自然の豊潤さを象徴している。

 フィリピンの様に変化の少ない気候ではこういう言葉は全く感じなく、一年に雨季と乾季と呼ぶのが変化といえば変化だが、何となく乾季に何となく雨季に入ったという感じが強く、セブなどは特にその感が強い。


【写真−2 季節としては果物の種類は少ない季節】

 写真−2はその果物屋の店先だが、店といっても幹線道路沿いの空き地に小屋掛けした規模で、以前は3軒くらいしかなかったのに今は倍に増え、売っている品物も豊富になっている。

 ここに来ればいつでも果物を買えるという消費者の心理と、ここで売れば品物が売れるという売る側の心理が拡大に繋がった訳だが、こういう現象はフィリピンでは特に多い。

 同じセブでかなり北の方に行った幹線道路沿いに『ビビンカ』というパンに似たココナツを混ぜた焼き菓子を売る店の連なる一帯があって、以前は何軒か並んで商売をしていたが、今は何倍にも増えている。

 また、その先の山に入った沿道ではバナナやパパイヤなど地元で採れた果物を売る小屋掛けがあるなと思っていたら、数年でその商売をする小屋が増えた。

 特に産業のない地域では日銭を稼げるこの手の商売は資本もいらなく、取っ付き易いのだろうが『あいつが儲けているなら俺もやろう』というのが急増する要因ではないかと思っている。

 さて、写真−2の店先を良く見ると手前にリンゴ、西瓜の間にミカン、下がっているのはバナナで、バナナ以外は中国から入って来た品物である。

 

 こういった果物のセブにおける仕入れ先はセブ市のダウン・タウンにある『カルボン市場』からで、ここは野菜、果物を扱うアジアでも最大級の生鮮市場で、常設の店は勿論あるが夜間の路上売りに活気がある。

 野菜類は中国からの輸入品もあるが、青物類はセブの山間部で栽培されている品物が毎日大量にここに届けられていて、栽培農家がそのトラックに便乗して生活用品を買い出す姿も多く見る。

 

 小生などもコロナが流行する前はカルボンへ行って新鮮な品物を買うのが楽しみで時々足を運んだが、品物は新鮮でスーパーで買う野菜類の3倍は日持ちするし、値段も半分以下である。

 

 実際、スーパーで仕入れている生鮮野菜はカルボン経由であるし、自治体ごとにある市場なども、扱っている物の多くはやはりカルボン経由となっていて、カルボンはセブの台所といっても過言ではない。

 

 さて果物に戻るが、やはりカルボンで扱っている果物は多く、先述したが写真に写る西瓜、バナナ、リンゴ、ミカンなどカルボン経由が多い。

 

 フィリピンは気候のせいで、ミカンなどの柑橘類、リンゴ、梨、ブドウといった果樹栽培は行われていず輸入品に頼るが、今でこそ中国産の果物が豊富に入り店頭に並べられているが、かつてはこの手の果物は貴重品で、値段は高くしかも鮮度がかなり落ちる品物が売られていた。

 

 今は値段は高いもののスーパーに豊富に出回っているが、日本へ行った時にお土産にミカンやリンゴを持って帰ると喜ばれたもので、本来は持ち込みは出来ないのだが、係官に一個あげて目溢ししてもらって済み、そういう時代を知っている身としてはフィリピンも確実に豊かになったと感じる。

 

 もっとも、写真−2に写るリンゴだが、かなり小粒でしかも形が歪んでいて、日本の様に見栄えばかり気にする国ではジュースなどの加工品に回る品質だが、フィリピンでは見栄えなどは意に介さないようで、ごく普通に消費されている。

 

 また、西瓜も年中食べられるから良しとするが、品種改良が進んでいないのか、種無し西瓜というのは見たことはないし、甘さも少々落ちる。

 反対にバナナやマンゴーなどはさすがにフィリピンは美味く、日本で食べているバナナやマンゴーなど形だけ似ているだけで、あんな不味い物を食べさせられている日本人というのは不幸だなと思っている。


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 19:13
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この一枚2020年 セブ篇 その(9) セブのきび団子とトウモロコシ

 きび団子といえば桃太郎が、犬、猿、雉にきび団子を与えて家来にし鬼退治をした童話で知られ、桃太郎は岡山県が始まりだと同県には銅像などが建てられ、岡山空港は岡山桃太郎空港と名乗っている。

【写真−1 セブでも希少な穀物となった

 この桃太郎や金太郎、かぐや姫といったこの手の童話というのは昔から各地に伝承される似たような話があって、時代に合わせて内容が作られて行き、桃太郎の鬼退治などは明治になってその勧善懲悪思想を富国強兵、軍国主義に利用したのではないかとの説が有力となっている。

 時代に合わせて変わると書いたが、桃太郎が広く人口に膾炙するのは江戸時代の読み本辺りからで、その頃は桃から生まれた桃太郎ではなく川から流れて来た桃を食べた老夫婦が食べて回春し、それで子どもが出来て生まれたとあり、至極当たり前の展開になっている。  

 また鬼退治も今で見れば強盗と同じで、鬼と称された他人の家に押し行って金銀財宝を略奪し、桃太郎は略奪した金銀財宝を酒池肉林の様に散財したなどとあり、どうも桃太郎は童話で描かれた正義の人物とは違う個所がたくさん出て来る。

 千葉県に住む小学6
年生が従来の桃太郎童話に疑問を持って、夏休みの自由研究で調べてまとめた作品が2019年全国コンクールで最高の文部科学大臣賞を受賞し、それが出版された。

 

 本の題名は『桃太郎は盗人なのか?〜「桃太郎」から考える鬼の正体〜』で、鬼が悪者になっている過程を桃太郎関連の本を読破して考察しているが、夏休みの自由研究として一級品である。

 この桃太郎盗人説は昔からあって、福沢諭吉も唱えているが童話としての清らかさを失わないように巧妙に隠されて現代に至り、いわば大人の都合で物語が伝わっているのかも知れない。

 それにしても小学6年生といえば12歳、この歳で当たり前の童話に疑問を持ったことは素晴らしく、頭の固い大人ではこのような考えを持つこと自体なく、研究など出来ないであろう。

 

 さて、標題に戻すが桃太郎が与えたきび団子、岡山県は昔は吉備と呼ばれていたために、そこに引っ掛けてきび団子も有名だが、現在名物として売られているきび団子は穀類の一つ『黍=キビ』からではなく米の粉の白玉粉から作られている。

 キビは今は稗や粟と一緒の雑穀という範疇に入れられていて、食用というより小鳥の餌という印象を持つが、弥生時代になって米作が広まるまでは日本人の主食の一つであり、近年は身体に良いということでキビを含めた雑穀類が脚光を浴びている。

 

 写真−1はセブ島西海岸にある町の店で見かけた物で、素焼きの大小の容器に入っている小さな粒がキビであり、セブでは『ミレット』と呼んでいるが、これは英語と同じ呼び方である。

 

 キビの実は固い茶色の殻に包まれていて、写真の実は脱穀した後の実で、キビの語源である『黄実』が成程と思う黄色をしているが、キビを栽培する農家がセブにあったことは知らなかった。

 

【写真−2 バナナの葉は皿や包む材料として色々使われる】

 

 ただし、フィリピンには写真−2の『スーマン』と呼ぶ、キビの実をココナツ・ミルクで練ってバナナの葉で棒状に包んだ蒸し上げた甘いデザート菓子があって、キビの代わりに糯米を使っている物もある。

 

 写真は同じ西海岸の町で売っていた物だが、キビを使ったスーマンは今や貴重種で、多くは糯米を使っているが、このように糯米をバナナの葉に包んで蒸すというのは東南アジアには似たような物があり、何れもココナツ・ミルクが入っていて甘い。

 

 糯米を甘く味付けして食べる食品は日本にもあり、直接味付けをしてはいないが回りを小豆餡で包んだ『おはぎ』が知られ、このおはぎには甘くした黄な粉で包んだ物もあるが、普通の白米を握った『おにぎり』を餡で食べるということはなく、糯米だから出来るから不思議である。

 

 そういえば『おはぎ』のことを『ぼたもち』と呼ぶこともあるが、同じ物なのに呼び方が違うのは諸説あって、春は牡丹の花から秋は萩の花から来ているというのがありもっともらしいが、東京ではぼたもちとは言わなかったし、春に食べたのか秋に食べたのかの区別の記憶はない。

 

 キビの栽培に関連するが、セブ島は米の栽培の出来ない所で、これはセブ島はすぐに山が連なり満足な川がなく水田を作ることが難しいためだが、それでもセブ島南部に行くと水田を見かけるが、そういう所は湧き水に恵まれている平地である。

 

 そのため、降って来る雨を頼りに『トウモロコシ』栽培が盛んで、時々行くセブ島北部ではかなり広いトウモロコシ栽培が行われるが、日本でいうトウモロコシとは違いかなり小さい実を成らせ、その用途も家畜用飼料に回されている。

 

 家畜用飼料と書いたが、このトウモロコシを細かく粉砕した物を『マイス』と呼んで米の代わりに食べることもあり、かつては貧困の象徴として見られていたが、米を食べるよりも健康には良いという見方もあって見直されている。

 

 そういう見直しも富裕層からで、貧困層は何も好んで食べている訳ではなく、弱者はいつまでも弱者の象徴のような食べ物で、現在のコロナ禍で飢餓を覚える人が40%以上もあった調査を考えると、米を食べられずにトウモロコシを食べている人も増えたのではないか。

 

 フィリピンに来た頃、日本人が『マイス』を食べると腹を壊すといわれたが、食べてみて美味くはないが別に腹を壊すことはなく、こういった言葉が流布しているのはフィリピンを小馬鹿にする食べたことのない日本人の偏見から来ているのではないかと思った。

 

 トウモロコシを世界的に見ればアフリカ、中米、南米と彼の地はトウモロコシが主食で、これは米や小麦などよりも多く食べられていて、小生もアフリカ時代と中米時代ではトウモロコシが主食であった。

 

 アフリカの場合は粉にして、熱湯で練り上げて餅状にしたのをおかずを包みながら食べ、中米ではせんべい状に柔らかく焼いてちぎって食べたが、日本に帰って同じような物を作って食べたが現地の味には程遠かった。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 19:30
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この一枚2020年 セブ篇 その(8) 『山の日』にちなんで−最後に登った木曽駒ケ岳12景

 日本の8月11日は『山の日』で休日になっている。

【写真−1 木曽駒ケ岳の麓にある駒ケ根市の花盛りの蕎麦畑。蕎麦の花の色が紅いのもあった】

 制定は2014(平成26)年で、1995(平成7)年に『海の日』が制定され、海が7月なら山は8月にといったどうでも良い理由で決められた日で、いわれも根拠も何もないが祝祭日などその程度のものだろう。

 今年の山の日は、本来なら2020東京オリンピック閉会式が行われた直後で、オリンピックの余韻に国中が浸っていたところだが、新型コロナ・ウィルスの直撃で1年延期、その1年延長も雲行きが怪しくなり、東京大会は中止の観測も色々な方面から流れ出した。


【写真−2 日本で一番標高の高い所へ運ぶロープウェイ。乗った頃は霧が谷間に巻いていた】

 それでもオリンピック開催しかやることのない日本の首相安倍は強気の姿勢を崩していないが、利権でがんじがらめのオリンピックなど早いところ中止にした方が後遺症は少ない。

 中止になったらオリンピックを目指した選手(今はアストリートなどと気取っていうらしいが)が可哀想、気の毒という見方もあるが、彼ら彼女にはメダルを取ることしか目標はなく、一応あるオリンピックの理念など関係ない世界で動いているだけで、早くいえば目立てば収入の増える芸能人と変わらない。


【写真−3 これが千畳敷カール。登った時期は9月初めで夏の名残りと早い秋の訪れが交差する。左の特徴的な岩山は『宝剣岳(2931m)』】

 中には純粋に目指す者もいるだろうが、世の中は自分の計画通りに行かず涙を飲むことは無数にあり、オリンピックの中止などその一つでしかなく、特別視する方がおかしい。

 と書いても日本人のオリンピック好きは特異でまるで宗教のようになっていて、世界で見ればオリンピックなど一部の人間が騒いでいるだけで、知らない、関心ない国、人はたくさんあり、フィリピンも東京でオリンピックが開催されるなどほとんどの人は知らないし、知る気もない。


【写真−4 千畳敷の縁を登ることから登山は始まるが、このジグザクの登山道はかなりきつく3歩進んでは休みを繰り返す】

 さて山の日に戻るが、例年内外から登山客を夏場に集める富士山登山は、今年はコロナ禍で禁止されているという。

  他の山でコロナの影響によって登山禁止の山という話は富士山以外は聞かないが、登山道に列が出来て歩くのが大変という山は消えて、山小屋などは営業しているのか営業してもかなり制限をしているのではないかと思う。


【写真−5 その縁を登り切った場所で、右手側に視界が開ける】

 最後に山に登ったのは10年以上前の写真で紹介する『木曽駒ケ岳』で、標高は2956mで中央アルプスの中で一番高く、途中には氷河の名残りの『千畳敷カール』がある。

 この千畳敷カールは2600m地点にあるが、ここまで麓からロープウェイに乗って一気に千畳敷駅に行くことが出来、年中無休のホテルもあり冬季は冬季でかなり面白い景色が見られるようだ。

 

【写真−6 雲海の上に御嶽山(3067m)の山頂が覗く。大噴火を起こした2014年の前の写真】

 

 登山は子どもの頃から父親に連れられて東京近在の山に行っていたが、その中で最初に強い印象を受けたのは大菩薩峠(1897m)で、この時は初めてランプの山小屋に泊まり、霧に覆われた熊笹の原の様子が強烈な印象を受けた。

 

 父親は戦前に山のガイド本を出し、日本の山にはかなりの経験者であったが、一番好きな山は『高尾山』といっていたから、高さや険しさ、難しさだけが山の魅力ではないことに達観していたのかも知れない。

 

【写真−7 天気が良ければ登山も楽しく眺望の開けた場所を上下し、彼方に駒ケ岳の山頂が見え窪地には山小屋もある】

 

 その影響で山は好きであったが、堀江謙一のヨット『マーメイド』による太平洋横断から刺激を受けてからヨットに興味を持った。

 

 ヨットもクルージングとクルザー・レースの二刀流で、横浜と油壷のそれぞれのクルーとして乗り、自分では黒いと思っていなかったが顔など真っ黒だと身内にいわれていた。

 

【写真−8 千畳敷カールから登山を始めて2時間ほどで山頂に到達。天気が良ければ運動靴で簡単に往復出来るが、登山届けを書く山である】

 

 それでも時々山には登っていて、その中で初めて奥穂高岳(3190m)、槍ヶ岳(3180m)など3000m級の岩場を含んだ山に登った経験は忘れられない。

 

 奥穂など岩場の横歩きなどあって相当経験は必要だが、この時は山岳部出身の知人に助けてもらって歩いたが、岩場に乗って股の間から下を見た時の恐怖感は半端ではなかった。

【写真−9 山頂は平らで登山客が三々五々休んで雲海を眺めている。山頂からは富士山も見えるはずだが雲に遮られて見えず】

 

 セブに住んでからは登山などはすっかり離れてしまったが、ミンダナオ島北部に『カミギン島』があり、その中央部に『ヒボヒボ山(1713m)』があり、登っているが案内を頼んだ人がゴム草履でスタスタ歩いていたのには驚いた。

 

 この山は活火山で頂上は峩々たる岩場が続き、標高は高くはなくても山が島になっているから眺望は抜群で、海のリゾートで知られるフィリピンも面白い山があると認識を新たにした。

 

【写真−10 山頂には東側に『伊那駒ケ岳神社』西側に『木曽駒ケ岳神社』が祀られ、写真は木曽駒ケ岳神社】

 

 先年、ルソン島中部の山岳地帯を旅行したが、その地域は戦争末期に日本軍が立て籠もり、指揮官の山下奉文が降伏した地にも近く、確かにこの深い山の中に逃げ込めば連合軍も手を焼いたのは分かるし、叔父が戦死したのもその地域であった。

 

 この時は世界遺産にもなっている『棚田』見物をし、当地にも泊まっているが、山の急斜面に良くぞ造ったと思う棚田が眼下に拡がり、その畦道を上下したがかなりの勾配でここで米を栽培していた人々に敬意さえ覚えた。

 

【写真−11 山の陽射しは強くあれほど晴れていた天気も下山にかかっている頃には下から霧が巻いてきて、軽装で登った身には用心が必要】

 

 アフリカに住んでいた時にキリマンジャロ山(5895m)登山を計画したことがあった。ところが現地の飛行機会社で日程を相談していたところ、下腹部が痛くなり、翌日病院で調べたら盲腸で即入院。キリマンジャロどころの話ではなくなり、以後チャンスは失われた。

 

 後に日本へ帰国する時、ナイロビへ向かう機内でキリマンジャロが見えるとのアナウンスが流れ、眼下を見たがどこがキリマンジャロの特徴ある頂か分からず、山はやはり麓から見るものと痛く思った。

 

【写真−12 千畳敷カールの縁に戻って来た。薄い霧の中、眼下に見える建物は日本一高いロープウェイ駅】

 

 東南アジアで一番高いのは『キナバル山(5895m)』で、セブから空路で直接行けるボルネオ島のブルネイを経由するが、地理的にはマレイシアの山になっている。

 

 この山は標高が高い割には1泊2日の日程で登山が出来て、先年ボルネオ島のサンダカンを訪れた時に、もう少し日程に余裕があったらそちらに足を伸ばしたと思うと惜しかった。

 

 海外の山といったら何といっても『ヒマラヤ』で、このヒマラヤ行きは過去に何度も計画をしていて、実現寸前に何らかの用が生じて流れる羽目になってしまい、旅行ガイドの本など日本語、英語で何冊も溜まっている。

 

 このコロナ禍がなければ、今年の秋には念願のヒマラヤ、それもエヴェレスト(8848m)の見えるベースキャンプ(5545m)まで行くことを考え、かなり予定も練っていたがとても無理な状況で、このままでは体力は落ちる一方だから、幻のエヴェレストになりそうだ。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 19:49
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