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へそ曲がりセブ島暮らし2020年 その(6) セブで開かれるマラソン大会から

 中国発の新型ウィルスによって世界は大騒ぎの中、中国に続いて感染者が多く出ているのは医療体制は盤石であるはずの日本とあって、奇異の目で他の国から見られている。

【写真−1 フィリピンは企業主催の大会がほとんど】

 

 このウィルスは昨年12月に湖北省武漢市で発生が確認され、同省を中心に感染患者数はこれを書いている時で7万人を超え、死者も2000人を超えたから正しく怖れる必要がある。

 

 各種ニュースを纏めると毎年流行する『インフルエンザ』と変わりなく、感染力は強いが重篤になるのは免疫力の低い人、持病を持つとか抵抗力の弱い高齢者が多く、無闇に恐怖心を持つのは問題ということになる。

 それでもインターネット時代にはいわゆるガセネタも多く出回り、それに一喜一憂する人も多いのも事実で、そういうデマ情報に踊らされるそちらの方の害も毎度ながら問題になっている。

 そういった騒ぎの中、人が集まる場所では感染のリスクが高いとして不要不急の外出は避けてと叫ばれ、このためコンサートや各種催し物で続々と中止する動きが顕著になっている。

 その中でも3月1日に開催される『東京マラソン』が、一般参加者を除外して招待選手など限られた選手だけで行う旨の決定が成され、各方面に余波を及ぼしている。

 今年の参加者は3万8000人と発表されているが、内招待選手176人、車椅子参加者30人だけでレースを開催するが、こんなショボクレたレースなどやらずにいっその事中止をすれば良いと思うが、主催する東京都はそうも行かないようだ。

 

 これは新型ウィルス騒ぎが収まる見通しがないまま長引き、7月の東京オリンピックまで中止の事態に至ることを避けようとする思惑が国、東京都にあるためで、今や興行団体と化したIOCなど初めにオリンピック開催ありきだから、東京にいくら病気が蔓延しても強行開催するであろう。

 

 また、実施を強行する今回の東京マラソンは今年行われる東京オリンピックのマラソン代表選考も兼ねているために、完全中止に出来ない事情はあるものの、元々市民ランナーの大会として発展してきた大会が市民を排除してしまうとは理念に反する。

 

 それでも選手の方で参加拒否して、実施中止に追い込めばスッキリするが、走ることを職業としているプロ選手は生活もかかっているからそうも行かないし、走ることしか頭のない連中だから無理というものか。

 

 排除された一般人もフル・マラソンを走るくらいだから、体力、免疫力も高く、巷間怖れられている新型ウィルスにも強いはずで、消沈気味の世相を浮揚させるためにも東京マラソンを実施した方が良いと思うが。

 

 大会中止は急遽決められたが、驚くことに参加を申し込んだ一般走者の参加料は返却しないとなって、マラソン大会など大した参加料でないと思っていたら、一般参加費16200円、海外からは18200円と、そのべらぼうな高さには驚いた。

 

 この数字から主催団体は6億円以上の参加費収入があることが分かり、その他スポンサーCM収入が27億円にも及び、たった年1回開催するスポーツ・イヴェントに33億円以上の巨額な金が動いていて、正に興行と言って憚らない。

 

 法外ともいえる高額な参加料を払っても東京マラソンで走りたいというランナーは多く、毎回抽選倍率は話題になり、今年は11倍だったらしいが、せっかく当たってもこの様ではほとんどが落胆しているのは目に見えている。

 

【写真−2 沿道の応援は見込めない自動車専用道路を走る】

 

 今回の大会を目標に練習を重ね首尾良く参加が決まった一般ランナーには惨い決定で、せめて主催者は払い込んだ参加料を返金するべきで、主催者側は大会規約を盾にとって応じないらしいが、つまらぬ芸能人のコンサートでも中止の時は払戻すのだから、儲ける必要のない団体が主催なのに理不尽である。

 

 ウィルス発症の地、中国からも1820人が走る予定であったが、これなど早々と主催者側から参加を取り止める措置に出て、こちらは来年の参加権は保持したのは良いが、参加の場合改めて高額な参加費を払うとなっているから呆れる。

 

 そういう気の滅入る東京マラソンはそのくらいにして、セブで開催されるマラソン大会のことに触れてみたいが、写真−1はセブのショッピング・モール内で見かけた大会の告知で、2月16日開催だから既に終わっている。

 

 スポンサーはSMというロゴが見えるように、フィリピン最大の小売り業を傘下にするシューマートで、セブには3店舗を構え、その内の2店舗間の道路を走る様にコースは設定されている。

 

 下の方に走る距離が表記されていて、下から4K、8K、12K、21Kとあるのは走る距離を示していて、4つのカテゴリーに分かれているが、一番長い21Kの参加料が950ペソ(約2000円)だから、法外な参加料を取る東京よりはかなり安いのは確か。

 

 これで注目したいのは21Kのスタート時間で、午前3時30分、以下30分毎にスタートがあり、最も短い4Kのスタートが5時となっていることで、日本でもそうだろうが今の時期は真っ暗である。

 

 フィリピンの各地で開催されるマラソン大会はこのように真っ暗い内にスタートしていて、これは日が昇るとすぐに気温が上昇して走れなくなるためだが、それにしても午前3時にスタートともなれば時間調整が大変で、前夜などほとんど眠れないのではと思うから気持ちの上でも過酷である。

 

 小生も日本に住んでいた時はランニングを趣味とし、いくつかの大会にも出たことがあり、セブに住むようになってセブの大会に出ようと思ったことは何度もあるが、スタートが午前4時とか5時では走る気は失せ、結局セブでは走る機会はなかった。

 

 写真−2は写真−1の大会のコース図になるが、図の一番上がスタート地点となるSMのショッピング・モールで、海沿いに走って12Kとある地点がSMの新しいショッピング・モールで、このモールはセブ市が日本のODA資金を使って埋め立てた地にあり埋め立て面積は300ヘクタールある。

 

 この道路は車専用の様になっていて沿線には民家はない新開地のため走り易く、参加者が何人になるか分からないが、フィリピンも健康志向が強くランニングは人気が出ていて1000人以上は走るだろうから、管理はし易いコースである。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2020, 19:19
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へそ曲がりセブ島暮らし2020年 その(5) 暑いセブでも鉢植えのレモンに花が咲き実が成る

 写真−1の直径24センチほどのビニール製の鉢に植えられているのは『レモン』で、左上に白い花が咲き、右下にレモンが成っている。

【写真−1 樹の丈は90センチに満たない】

 このレモンの樹、小生宅にやって来た時は細かったが、既に右下に小さな実を付けていて大丈夫かと思ったが、今は幹の太さ1センチ近くになり実の方も店で売っているくらいの大きさになり、色も幾分黄色を帯びてきた。

 レモンの樹は家人がセブの生鮮野菜市場で知られるカルボンへ行った時、道端で売っていたのを求めたもので、その時は小さな鉢に植えられ丈も今の半分以下であった。

 その後現在の鉢に植え替えて、樹が育ったら畑に植えるつもりで育てているが、陽当たりの良い場所に鉢を置いてあるためか育ちは良く、この実一つだけかと思っていたら先日、葉の陰に蕾を見つけそれが写真−2の花を咲かせた。

【写真−2 端正な顔をした花で裏側にも蕾が2つある】
 

 7弁の花びらの差し渡しは5センチ以上あって意外に大きく、柑橘系の花は良い香りがするものだが、それほど匂いは感じなく、中心の薄黄色の雌しべに小さな蟻が動いていて受粉を助けているのが分かる。

 

 フィリピンは暑く陽射しも強いために熱帯系のマンゴーやパインアップルの育ちは良いが、温帯系の果物は低地では育ちにくく、柑橘系のミカンやオレンジ、ブドウといった物は輸入に頼っている。

 しかし、例外もあってフィリピンには柑橘系で『カラマンシー』があり、これは直径2センチくらいの小さな実だが、2つ切りにし絞って魚や肉にかけて味を整えたり、キニラウという新鮮な魚や貝の酢の物に混ぜたりして、食卓には欠かせない一品となっている。

 また、絞ってジュースにすることも多く、いわゆるライムに近い味がするが、ライムよりはもう少し癖が強く土の香りを感じさせる。

 柑橘系のカラマンシーが商品になるほど採れるなら他の柑橘系、特にオレンジなど植えれば育ち収穫できると思うが、フィリピンではオレンジの樹、あるいはそれに近い樹は見たことがない。

 単に苗木がないためなのか、商業的に植えて収穫できれば相当儲かる作物と思うが気候や土壌などの条件が良くないのであろうか。

 そういえばフィリピンには『ポメロ』という柑橘系の樹があって、こちらは幼児の顔くらいまで大きくなり、地方に行くと庭に植えている家も多く珍しい果樹ではない。

 ポメロの外見は『グレープフルーツ』とそっくりだが、実の大きさに比べてかなり皮は厚く、グレープフルーツと違ってパサパサ感が強く、グレープフルーツとはまた別種と分かる。

 ポメロというのはフィリピンの呼び方で、日本では『ブンタン』とか『ザボン』と呼ばれる仲間で、長崎名物のザボンの皮の砂糖漬けを思い出すが確かに似た感じはある。

 ポメロはミンダナオ島ダヴァオ地方でかなり商業的に植えられて、空港では時期になると箱に詰めたポメロが売られているように現地のお土産として知られている。

【写真−3 現在のところ虫の食害もなく順調に育っている】

 さて、写真−3のレモン、食するのは実が付いてから食べられるまでは半年以上というからまだまだ先の話だが、肥料はコーヒーを淹れた後のコーヒー豆で完全無農薬であることは間違いなく、安心して皮まで生食できる。

 レモンというと日本ではカリフォルニア産の『サンキスト』が知られるが、彼の地のレモン栽培は大量に農薬を使用し、収穫後の実もカビ除けに薬剤を使っていて安全性について問題が指摘されている。

 実際、サンキストのレモンは常温で置いておいても長い間カビが発生せず、その持ちの良さが逆に不安感を増し、日本のミカンも相当な農薬を使っているというから安心には疑問符が付く。

 フィリピンのレモンを含めた柑橘類はほとんどが中国からの輸入品で、中国は使用禁止の農薬が平気で使われているように、食の安全には今いち信頼できないところがあって、見た目だけは良いこれら品物には注意が必要である。

 

 レモンの漢字は『檸檬』だが、これで思い出すのは作家の『梶井基次郎』の代表作で、梶井は1991(明治34)年2月17日に生まれ、1925(大正14)年3月24日に31歳で没している。

 

 梶井の今に残る写真を見ると容貌怪奇な面構えで、どうしてあんな繊細な作品が書けたのか不思議だが、生涯を病魔と闘った凄絶な生き様を知ると、梶井でしか書けない世界が見えて来る。

 

 梶井は旧制三高から東京帝大英文科に進んだ人物だが、当時の学制は今と違って融通が利く時代で、梶井のような放蕩を繰り返す学生でも受け入れる余裕があって貧しい時代ではあっても人々は豊かさを感じさせる。

 

 特に、梶井は兄や弟を含めて高等教育を受けてはいたが、実家は貧しく、それでもお互いに助け合う気風を感じ、また、梶井の友人知己との繋がりから『衣食足りて礼節を知る』からは真逆の現代の『絆』とは違うものを感じる。

 

 梶井は今では川端康成など大作家と評価される人物が綺羅星のごとく交わり、そういう意味では良い時代に生きたともいえるが、やはり31歳では早過ぎる死で、川端並みに長生きしていたら川端を凌ぐ作家にもなっていたかもしれないが、早逝したからそう思うようだ。

 

 それにしても梶井の『檸檬』は、モノトーンの文中に忽然とレモンの色と匂いが象徴的に浮かび上がり、小生も短編小説の傑作と思っていて、レモンを手にする都度に梶井の小説を思い浮かべる。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2020, 19:10
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へそ曲がりセブ島暮らし2020年 その(4) 3年もかかった運転免許証カードの更新

 先日、フィリピンの運転免許証カードを交付してもらったが、このカード【写真−1】を申請したのが2016年12月23日で、手にするまで実に3年以上もかかっていてこの顛末を綴ってみたい。

 

【写真−1 上が新しい免許証で偽造防止の工夫がされているが効果は?】

 

 日本も同じと思うが、フィリピンの運転免許証更新は誕生日を基準にしていて、その免許の期間は以前は3年であったが今は5年となっている。

 フィリピンの免許証を取得したのは1990年代初めで、今は地獄的な渋滞でアップアップのセブだが、当時はまだ車の数は少なく、当然免許証を持つ人も少なく、免許証を取るのはかなり簡単な時代でもあった。

 これは前にも書いているが、セブ市で人に頼んで免許証を申請した時『高級なワインを持参してくれ』といわれ、それなりのワインを持ってセブ市の免許申請場所へ行った。

 そこでどう手続きをしたのか詳しく覚えていないが、言われるがままにサインをして係官に紙袋に入れたワインを差し出し躊躇いもなく受け取った後、簡単に免許証が発行された。

 今思うと、その時は日本の免許証を持っていたから、それで簡単に免許証をくれたのだと思うが、『アンダーテーブル=袖の下』で万事回っているフィリピンだなとの認識を深めた。

 過去に海外で免許を得たのはこのフィリピン以外にアフリカのザンビアと中米のホンジュラスがあり、そのことに触れたいが、ザンビアでは1980年代半ば頃にオートバイの免許証を取った。

 一応、実技試験があって持参したオートバイで2つのドラム缶の置かれた場所を8の字型に回るだけであったが、一緒に行った友人が事前にそこで練習をして叱責されていたのがおかしく記憶に残る。

 学科試験もあり、英文の交通法規問題であったが簡単で合格、二つ折りのカード式の免許証がすぐに交付されたが、日本人の写真を張るのが珍しかったのか係員ははしゃいでいた。

 その免許証で普通自動車も運転したが、当時は南アフリカはアパルトヘイト真っ最中で世界中から経済制裁を受けていたが、日本は政治と経済は別と使い分けて進出し、運転した車はトヨタの南ア製のランドクルーザーであった。

 次のホンジュラスの場合は2000年代に入っていたが、日本の免許証を持参してプラスティック製の免許証を即日交付され、この時は現地で購入した韓国製の中古4WDを運転し、家人と共にホンジュラス国内を旅行した。

 この時の免許証、グアテマラなど近隣の国でも運転が可能と記載されていて車で国境越えを楽しみにしたが、免許証は簡単でも車を国境越えする手続きが面倒そうなので諦めた。


【写真−2 土曜日のためかこの日はどういう訳か人でごった返していなかった】

 さて表題に戻るが、3年前の誕生日前に免許証更新手続きをするためにショッピング・モール内にあるLTO(Land Transportation Office)【写真−2】へ行くが、朝一番に駆け付けても既に人で一杯。

 それまでは各自治体区域にLTO事務所があってそこで手続きをしたが、殺到する新規及び更新者のため従来の事務所では対応出来ずこういった民間の施設に事務所を増やした。

 さて、冒頭に書いたが3年前に申請、受理後に一枚の紙を渡されたが、これは免許証に代わる臨時の免許証で、この時期セブにプラスティック・カードの在庫がなくて紙で代行せざるを得ないためであった。

 役所の必需品が欠品するなどそんな馬鹿なことがあるのかと思うが、フィリピンでは珍しくなく新車登録時に交付されるナンバープレートなど発行が何年も止まっていて、仕方がなくそれぞれの車は私製のナンバープレート付けている始末。

 最近新しい公式ナンバープレートを付けている車を見るようになったがまだまだ進まず、運転する側も書類さえあれば問題ないので交付に対しての不満は少なく、『その内何とかなるだろう』というフィリピン人気質も影響しているのだろう。

 LTOはナンバープレート製造業者との契約が進まないためと理由を挙げているが、免許証カードといいナンバープレートといい、LTOの怠慢、非能率さは目に余る。


写真−3 道路上で免許証拝見などない国だからこれで充分か】

 さて、3年前に紙でもらった臨時の運転免許証【写真−3】、その失効時期を今回改めて見たら『2021年12月**日』となっていて、慌てててカード式に替える必要もなく、実際これで運転をしていて何の差支えもなかった。

 しかし、国際免許証を申請する必要があり、正規のカード免許証が必要となり、最近別のモール内に出来たLTO事務所に出かけ申請した。

 ここも新規、更新者で芋洗い状態ながら、首尾良く更新出来たが顔写真を撮り指紋を取って署名した後、傍にあった機械から全てが記載されたプラスティックの免許証が出てきたことで、1週間くらい先に交付されるだろうと思っていたから驚いた。

 フィリピンの運転免許証交付にはドラッグ・テストといって尿検査が必要で、そういえばこのモールの外の通りに尿検査を行う場所が出来たが、あんな掘立小屋同然の所で正しい検査など出来るのかと思うが、検査を受けたという書類が整っていれば良いのであろう。

 また、以前は医者の問診と目の検査があって、やる気のない医者の診察を受けたが今もあんな形式だけの検査は続いているのだろうか。

 また、狭い一室で学科試験が行われていたが、受験者の机の間隔は近く、時間を定め入れ替え制で行われるのではなく受験者を数人ずつ呼び込んで受験させていたが、いかにも形だけという印象が強かった。

 この学科試験といえばずいぶん前にLTO事務所へ更新に行った所、いつの間にか受けてもいない学科試験の結果が出ていて、エッと思うものの更新出来れば関係ないと深く考えなかったが、実際に運転出来れば良く交通法規などどうでも良いという安直な発想から来ているのであろう。

 3年ぶりに手にした新しいプラスティックの免許証、写真がモノクロになっていることと、裏面に偽造防止の仕掛けと思われる銀色の線があることが以前と違う。

 しかし、この偽造に関してはマニラに行くと路上で偽造請負の店が軒を並べていて、既に作られているのではと思うが、LTO申請の混み具合と面倒臭さを思うと、偽造した方が早いと思う人もあって需要は多いのではないだろうか。

 

 こうして手にした免許証、既に申請後3年以上経っているために残る有効期間は2年弱で、何となく馬鹿らしい感じがしたのは否めない。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2020, 18:08
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