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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(14) ダヴァオ市への道筋で検問

 フィリピンはマゼラン船団が1521年、フィリピンに上陸してカトリックを広め始めるまではイスラム教が多数派で、マニラ近辺まで伝播していた歴史を持つ。

 

【写真−1  フィリピンのカトリックは教徒は80%以上イスラムは10%程度】

 

 特にイスラム教の支配者(スルタン)の王国が古くからあった今のインドネシア、マレイシアに近いミンダナオ島はイスラム教が早くから伝わり、島内各地にスルタンを持つ王国はいくつも出現し、その末裔が現在も政治屋として地域で勢力を維持している。

 

 それが、近代になってカトリックの伸長は著しくなりイスラムは追いやられ、また少数民族の問題も絡んで、カトリック側の中央政府とミンダナオ島のイスラム教徒間との武力紛争が長年続いていた。

 

 それでも1990年代に両者間に平和協定が結ばれ、ミンダナオ島西部のいくつかの州と島嶼部にある州によって『イスラム自治区』が創設され、これでミンダナオ島紛争は収まるかと見られていたが、自治区指導部の力量不足と汚職の蔓延で『モロ・イスラム解放戦線=MILF』が分派に走る。

 

 再び泥沼の武装闘争が繰り返されたが、アキノ前政権になってMILFと和平交渉が進み、ドゥテルテ政権下で国防と外交は中央政府、その他は自治政府、徴税権の配分割合も決まり今年になって帰属する地域で住民投票が行われ新イスラム自治区移行への体制が固まった。

 

 そういった歴史を持つミンダナオ島だが、ダヴァオ周辺はそれ程イスラムの影響は強くはないが、写真−1のようにダヴァオへ向かう道筋にはモスクの姿を通過する集落ごとに見かけ、ぁなり根付いていることが分かった。

 

【写真−2  道幅が広いのがミンダナオ島】

 

 写真−2はカルメンという町を通過した様子で、三角形の下の青い看板に北ダヴァオ州と書いてあり、この町はダヴァオ市まで40キロほどの地点にあり、人口は8万人ほど。

 

 フィリピンは町といえども日本の消え入りそうな市とは違って人口は多く、総人口は既に1億1千万人を超え、その勢いはやがて日本の人口を追い越すと予測されている。

 

 写真−2の右側に流れるように写っているオートバイには運転者と後ろ座席に座る人物の間に子どもを挟んで乗っているのが見える。

 こういったオートバイの3人乗りはフィリピンでは普通で、中には子どもを2人も3人も乗せて走っていることがあって危険極まりないが、あまり頓着していないようだ。

 

【写真−3  ダヴァオ市に入る手前は警戒が厳重】


 そうしてダヴァオの平らで道幅の広い道を進み、いくつかの町を通り過ぎ車の走行が多くなった地点で写真−3の検問にぶつかった。

 

 ここでの検問はダヴァオ市内手前ということで厳しく、前方に停まる車は乗り合いヴァンで車から全員降ろされてチェックを受けていたし、フロント・ガラス越しには検問をする迷彩服を着た兵士の姿が見える。

 

 この検問では私用車であることと、乗っているのが日本人であったために車から降ろされることなく、運転者の免許証と登録証をチェックしただけで終わり問題はなかった。

 

 ミンダナオ島全土に布かれている戒厳令は今年の12月末に期限を迎えるが、今まで延長延長で際限なく延ばされているため、また延長されるのではないかとの観測が広がっている。

 それに対して、経済活動に影響があるのでダヴァオ市内だけは戒厳令を外してくれとの要望が出ていて、これもダヴァオ市を王朝のように支配している大統領一家の虫の良い要望だが、政治の私物化が当たり前のフィリピンでは驚くことではない。

 


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 19:26
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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(13) マティ市から一路ダヴァオ市へ

 ドリアンを食べてからマティ市を出発し、ダヴァオ市へ向かうが、市内は車の中から見た程度で、どのような街であったのか残念ながら分からなかったが、伝統的なフィリピンの街という印象は受けた。

【写真−1 マティ市は平坦な海岸線を持つが市の外は険しい】

 

 平坦な道を海岸沿いにしばらく走ると、道はやがて写真−1のように急坂が山の縁を縫って伸び、左手の下っている方がダヴァオ市方面になる。


 これで分かるようにマティ市に行くには昔はかなり難所の道であったようだが、現在も山を削って道を広げていて格段に便は良くなった。

 しかし、ダヴァオ市からマティ市までバス利用だと4時間はかかるというから、やはりかなり遠隔の地であることが分かる。

 

【写真−2 海岸線は泥質の遠浅が続く】

 

 そういったクネクネした道を走っていると写真−2のように見通しの良い場所に至るが、ここは展望スポットで遠くの山が『恐竜』の姿に見えると案内板には書いてあった。

 

 実際に遠望した時は、どこが恐竜の姿なのかと分からなかったが、写真を点検したら中景に写る半島が恐竜が伏せたように見えるのでこれかと分かった。

 

 なお、マティ市の博物館には長さ16メートル近い鯨の骨格標本が展示されていて、この標本はフィリピン国内では最大で、マティ市近海には鯨が生息していたようだ。

 また写真−2の右手遠景の山はこの時は漠然と写しているが、やはり後で確認したらハミギタン山(1620m)の山容で、この山麓一帯がユネスコの世界自然遺産に指定されている。

 

 なかなかこの地方に来ることはないだろうが、世界遺産があるとなれば次回の訪問時に試みてみたいし、楽しみにもなる。

【写真−3 戒厳令によって人権侵害が多発】

 

 乗ったヴァンはダヴァオ市を目指して走るが、所々に軍や警察の検問所があって、写真−3は対向車線で車が検問で停められている様子。

 ミンダナオ島には南ラナオ州州都マラウイ市の占拠事件をきっかけに2017年5月23日、60日間の戒厳令が布かれたが都合4回延長され、今年の12月にその期限を迎える。

 

 既に戒厳令の効果は薄く5回目の延長はどうかと議論されていて、強権体質のドゥテルテ大統領は治安側にとって便利な戒厳令を止めるつもりはなく、延長の意向と見られている。

 ところが、戒厳令があると印象は悪く経済活動、とりわけ海外からの投資がなくなるとドゥテルテの城下町ダヴァオ市の経済人から声が挙がっていて、ドゥテルテの跡目を継いだ娘の市長もダヴァオ市を外せといい出している。

 

 どれも目先だけのご都合で動いているだけで、戒厳令の本質や問題点など全く省みられていないで議論されていて、ダヴァオの経済人と政治屋の醜さばかりが目立つ。

 そういった動きもあって、実際に治安を行っている軍や警察の高官は戒厳令の延長は必要だが、イスラム地域に区切ってするべきとドゥテルテの機嫌を取るような発言が出ている。

 

 戒厳令を巡っては所詮フィリピンの辺境ミンダナオ島での出来事であり、他の地域の大都市では影響が全くないために、市民も政治屋も無関心であるのが現実で、ミンダナオ島の戒厳令がなくなるということはないのではないか。


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 19:20
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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(12) この時期はドリアンの最盛期

 その日の内にダヴァオ市へ戻るため、ダヒカン・ビーチでは写真を撮っただけでマティ市内に戻る。

 

【写真−1 これを見ると道路の幅が広いことが分かる】

 

 写真−1はその時の車内から見たマティ市内目抜き通りの様子で、東ダヴァオ州の州都、人口16万人を超えるだけあって活気を感じさせる。

 特にフロント・ガラス越し前方に見える小さな車は、最近フィリピン各地で爆発的に増えている三輪自動車で、従来のオートバイに側車を付けたトライシクルをいずれ追い越しそうな勢い。

 この三輪車は元々はイタリア発の車種でインドで生産されていたが、フィリピンでも組み立て生産が始まったのか安価になり、またそれを真似した中国産の三輪車も混じり、デザインのキュートさもあってトライシクルの代替え車になりそうだ。

 

【写真−2 外観の色の具合だけでは食べごろかどうかは分からない】

 

 時間がなかったのでマティ市内を探索することはできずに、荷物を預けてあるホテルに直行するが、途中写真−2のフルーツ・スタンドに立ち寄る。

 

 この時期のミンダナオ島は各種フルーツが出回り、写真−2のスタンドに乗っているのが『ドリアン』で、手前の赤い小さな果実は『ランブータン』。
 

 ドリアンは『果実の王様』といわれるように、その味はチーズに似た濃厚な甘みを持つが、プロパンガス同様の独特の臭いがあってフィリピン人でも好き嫌いがある。


 ドリアンはスイカと同じで外見だけでは熟し具合は分からず、店の人間が刃物で割って熟し具合を見て売っているが、買う側の地元の人間も真剣な眼差しで選んでいる。

 

【写真−3 実の割には食する部分は少ないがたくさん食べる物でもない】

 

 持ち帰ったドリアンをホテルの庭にある小屋で割ったのが写真−3で、臭いは一帯に充満し嫌いな人は鼻をつまむほどで、このため飛行機などの交通機関や公共施設ではドリアンの持ち込みを禁止をしている所もある。

 ドリアンの果肉は大きな種を包むようにあり、そこを食べるが実の大きさに比べて食べられる部分は意外と少ない。

 

 ドリアンを初めて食べたのは1980年代初め頃のミンダナオ島であったが、その臭さには閉口すしたものの、濃厚な味に慣れると気にならなくなり以降平気になった。

 ただし、ドリアンも臭いの弱い品種が栽培されていて、写真のドリアンも以前食べたドリアンの強烈な臭いを感じさせず、その系統なのかとも感じ、野菜でも何でも原種の持つ強さを弱めてしまう品種改良も考えもの。

 写真のドリアンの種の中でとりわけ大きな種3個を選んでセブに持ち帰り、水に漬けていたら1個から根と芽が出て双葉になった状態を見計らって鉢に植え替えた。

 今のところ育っているが、アボガドなどと違ってその成長は遅く、鉢から地植えするまでかなりの時間がかかりそうだし、地植えしても実生からは実を結ぶには5〜6年くらいかかるから先の長い話である。

 セブは台風が来るためかドリアンの樹や他の果樹栽培はあまり聞かないが、ミンダナオ島は台風がほとんど来ないのと、肥沃な土地のためにバナナを始めとした果樹栽培に適しているようで、まだまだ農業の発展余地は高い。

 


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 19:07
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