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パラワン島紀行 2018年 その(31) 1日遅れのプエルト・プリンセサ−セブ行きの飛行機に乗る

【写真−1】

 

 大晦日発の便が機体故障でプエルト・プリンセサに一泊する羽目になったが、費用は航空会社持ちだから時間がある向きには得した感じ。搭乗手続きを終えて、ロビーに入ると写真−1のように地元自治体のコーラス・グループが歌っていて、その巧さに驚嘆。

 

【写真−2】

 

 この空港は国際空港と名乗っているように、写真−2の入出国審査場がロビーの一角を仕切って作られていた。現在は台湾や韓国便が乗り入れていて、その内香港や中国から直行便が乗り入れるようになればこの規模では対応できなくなるのは必至。

 

【写真−3】

 

 昨日の欠航騒ぎもなかったように少し遅れて搭乗手続きが始まり、セブ行きの搭乗客が写真−3のように吸い込まれて行く。1月1日のパラワン島の天気は台風の過ぎ去った後なので、雲は多いが時々強い日差しが雲間から差し込む。

 

【写真−4】

 

 国際空港と名乗っていても写真−4のように、目当ての搭乗機には駐機場をぞろぞろ歩いて行く方法。傘を差しているのが見えるが、これは空港用意の物で、強い日差しを避ける時は良いが、横殴りの大雨の時は乗客も乗るまでかなり大変。

 

【写真−5】

 

 こうして、機内に乗り込むが前日の大騒ぎから比べると写真−5のように客席は空きが目立つ。昨日カウンターで騒いでいた観光客もチラホラ見るが、皆1日滞在が伸びても航空会社持ちのためか余裕の顔で、日程のきつい観光客は昨深夜の便で帰ったようだ。

 

【写真−6】

 

 写真−6は搭乗機から見た飛行場管制塔。窓の下の方に円形のドアが見えるが、これは荷物室のドアで、係員が乗客の荷物を運び入れていて、昼間で作業が乗客の目に晒されるから見える限りは荷物を放り投げることはないが、床下からドンドンと音が伝わる。

 


 

author:cebushima, category:パラワン島紀行 2018年, 18:54
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パラワン島紀行 2018年 その(30) 日本軍の米兵焼殺事件のあった捕虜収容所跡を見終えて飛行場へ

【写真−1】

 

 写真−1は現在、公園化されている旧日本軍の捕虜収容所跡の海方向を写している。白っぽく写っている向こうはマングローブ林に続いて海に繋がっている。焼殺時に辛うじて生き残った米兵11人はこの方向から、イワヒグ方面へ脱出したのだろうか。

 

【写真−2】

 

 跡地内ではその当時の様子を写真入りでパネル展示している。写真−2は『パラワン虐殺』と当時の写真入りで説明されている。フィリピン国内における日本軍による虐殺は各地で発生していて、セブでも北部メデリンの砂糖精製工場内の虐殺が知られる。

 

【写真−3】

 

 パラワン焼殺実行の日本陸軍士官、兵士は戦後横浜でBC級戦犯に問われ、ぞの関係者が写真−3に写る。この裁判では憲兵が絞首刑を宣告されるが、最終的には終身刑に減刑、他の人間も禁固刑で留まり、その残虐性を考えると非常に軽かった。

 

【写真−4】

 

 写真−4は焼殺された米兵の名を刻んだ祈念の碑。こういった非道なことを行った皇軍と称する日本の軍隊を考えると、戦争指導者としての天皇の在り方、最近も改元などと浮かれる日本の今はおかしいが、スマホに狂う現代はファシズムに踏み込んでいる。

 

【写真−5】

 

 早朝の大聖堂、捕虜収容所跡を見てホテルに戻って朝食。こういったものも欠航した飛行機会社持ちとなっているが、元々朝食を食べる習慣のない小生は有り難くもなく、頼んだのは写真−5のフルーツ盛り合わせ。少々貧弱な2019年元日の食事となった。

 

【写真−6】

 

 ホテルから空港まで送ってもらい、今日は問題なく出発するとのこと。写真−6はプエルト・プリンセサ空港で見かけたポスターで空港の全体が見られる。この飛行場がパラワン焼殺事件の舞台で陸軍131飛行場大隊が守備し、米軍捕虜を使役していた。

 


 

author:cebushima, category:パラワン島紀行 2018年, 16:53
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パラワン島紀行 2018年 その(29) 新年を迎えてプエルト・プリンセサの大聖堂と捕虜収容所跡へ

【写真−1】

 

 飛行機は午後発なので、その時間を利用してトライシクルに乗って大聖堂へ行く。写真−1はその正面で、現在の建物は1955年に竣工した。日本流の初詣感覚がカトリックにもあるのか、早朝にもかかわらず信者が次々とやって来る。

 

【写真−2】

 

 大聖堂入り口から正面中を写したのが写真−2。外観の塔の高さから比べると中はそれ程広くない。古い教会だと大きな木製のドアがあり厳かな印象を与えるが、ここは一見アールヌーボー風の味を感じさせる。

 

【写真−3】

 

 旅先で教会を訪れるのは、日本で古刹を巡るのと同じ感覚で宗教心とはまた別。写真−3は大聖堂内部、祭壇方面でこれだけの規模の教会にしては祭壇はかなり地味。ただし、信者の座る長椅子は良い材料でしっかり作られていた。

 

【写真−4】

 

 大聖堂正面から見て左側の先に写真−4の建造物がある。ここは先の戦時中に設けられた旧日本軍の捕虜収容所跡で、現在は公園として整備され、写真はその入り口になる。この収容所は捕虜をガソリンで焼き殺すという日本軍の残虐行為で知られる。

 

【写真−5】

 

 写真−5は入り口嵌め込まれていた銘板。収容されていた150人の米兵捕虜が1944年12月14日に日本兵によって焼き殺される羽目になり、焼殺を免れた米兵はイワヒグ方面に逃げたなどと、淡々と事実が書かれている。

 

【写真−6】

 

 そういう禍々しい事件のあった場所のためか、中は何となく妖気が漂っている感じを受ける。写真−6は入り口方面を写し、左にある装飾された自転車は観光客の撮影用。入り口では記帳するが日本人名は見ず、浮かれた日本人観光客には縁がないということ。

 


 

author:cebushima, category:パラワン島紀行 2018年, 18:18
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