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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(27) 日本で問題になっている高齢者の運転について

 日本では65歳以上を『前期高齢者』と呼び、75歳になると『後期高齢者』と呼ぶそうだが、英語だと『Senior=シニア』のみで区別はない。

【どこもポルシェらしい感じのしない時流に迎合したSUV】

 高齢者として区別するのは国連では60歳以上、世界保健機構では65歳以上と統一されていないが、国によって平均寿命は大きく違い、統一させることには無理があるようだ。

 その高齢者による自動車死傷者事故が日本で毎日のように発生して、特に80代の元高級官僚が池袋で暴走し自転車に乗った母子を死亡させた事故もあって、社会問題化している。

 実際、自動車の死傷事故で高齢者が起こす割合は、免許を取ったばかりの若年層と同じ程度となっていて、従来はこれらの層は運転のヴェテランで事故には遠いとされていたが、高齢者の運転の質が良くないことが明らかになっている。

 最近の事故で多いのはアクセルとブレーキの踏み間違いで、そんな馬鹿なことがあるのだろうかと小生は思うが、予期せぬことであるから『事故』で予期していたら『犯罪』になる。

 この踏み間違いに関してだが、恐らく事故を起こした車はオートマティック車だと思われ、左からクラッチ、ブレーキ、アクセルと並んだ従来の車と比べると左にブレーキ、右にアクセルしかないこの手の車はクラッチ操作が要らない分、運転は楽なのは確かである。

 今やトランスミッション車を走らせる人は少ないのか、発売される車もオートマティック車が当たり前になり、いつの頃か知らないが日本の免許証では『オートマティック車限定』などという奇怪な代物が生まれている。

 これで思い出すのは、平成生まれの青年に車を貸そうとしたところ『ギア付きの車は乗ったことがなく、運転できない』といわれたことで、遊園地の車を運転するような技術しか持たない有様に絶句した。

 小生は原付免許から数えると優に運転歴は半世紀を超え、フィリピンでの運転経験も30年を超え、アフリカや中米でも現地の免許証を取得して運転した経験を持ち、保有した車も全てトランスミッション車で、オートマティック車は一台も保有したことはないし、持ちたいと思ったこともない。

 それでも時々オートマティック車を運転することがあって、2年前に四国八十八ヶ所巡りをした時は、オートマティック車を借りたが、これはレンタカー会社がオートマティック車しか揃えていないためであり、トランスミッション車があるならそちらを選んでいた。

 

 確かにオートマティック車はギア操作がなく運転は楽であり、昔のオートマティック車の加速が足踏みするような機械的欠点もなくなったが、車を運転する味がなく、遊園地で走らせる車のような感じは免れなかった。

 

 そういえば、2011年に東北大震災時の被災者支援で東北を回った時に使用した車はオートマティック車であったことを思い出したが、信号の多い市街地を走る時は少々楽だと思った程度でこの手の車が良いという気にはならなかった。

 この時の活動は3ヶ月に及んだが、それだけの期間を連続してオートマティック車を運転していたためにセブに帰ってから、保有するトランスミッション車を運転しようとしたら、ギアとクラッチの加減の調子が戻らなくてエンストを繰り返したから、身体で覚えた慣れというものは恐ろしいと感じたが、すぐに感は戻った。

 日本で多発する老齢者の事故だが、今の70〜80代は日本の若者は皆免許を取得した層で、そのまま日本の社会現象として車社会を作るが、この層は当たり前のように老いても昔取った杵柄で運転には自信と過信があり、いわば自動車運転者の老齢化が引き起こしているもので、少子高齢化と密接な関係がある。

 自分は大丈夫だと思うのが老齢層の特徴といわれ、詐欺にはかからない、運転には自信があるといいながら、この層が一番問題を起こしているのも事実。

 運転に関しては高齢者は『免許証返納』という動きが出ているが、年齢で一律に区切るのは問題も多く、例えば70歳を超えたら『実技試験』の義務化を考えた方が良いのでは。

 

 これはいくら年を重ねているといっても、運動や動態識別能力は個人差があるためで、現在行われている紙の上での適応試験などほとんど無意味で、一度免許証を受けると死ぬまで実技や交通知識の再考査がないというのはやはりおかしい。

 

 写真はセブのあるビルの前で見た『ポルシェ・カイエン』で、セブにもこういった超高級車を乗る人物がいて、ポルシェの販売店がセブで開店しているからそれなりに需要はあるのであろう。

 

 このカイエン、ポルシェ初のSUVとして発売されていて、写真のタイプは最近のタイプだと思うが、日本で販売価格は1千万円を軽く超すから、フィリピンではもっと高く売られている。

 こういった高級車、フェラーリなどセブでは珍しくはないが、肝心のスピードを出す道がセブにはなくて、宝の持ち腐れだが、中国系の金持ちは高級車で自己を誇示したい性格が強く、これはどこの国に限らないが。

 

 さて、小生のセブでの運転だが、現在は家人が外から帰って来て庭に置いてある車を車庫に入れることと、たまに遠出した時に家人と交代で運転する程度で、格段に車を運転することが少なくなった。

 

 こうなると、免許証などあってもなくても良い状況だが、公共輸送が全くないセブでは車を運転することは必要であり、まだまだ車を運転しないという気持ちにはならない。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 18:36
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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(26) 夕間暮れ時に舫われたヨットを見ながら

 先日、知人とマクタン島にあるレストランへ行った。

【写真のヨット 航海できるようにするにはかなりの金がかかる】

 マクタン島には国際空港があり『セブのリゾート
』として有名な地帯はこの島の東側の海岸線に造られ、西側は狭い海峡を挟んでセブ市に向かい合うが、海はリゾートには程遠く工場地帯にあるような海の色をしている。

 マクタン島は島とはいいながら、人口は50万人を超しフィリピンの人口増加を象徴するような場所だが、日本との直行便があるということで、経済特区がいくつも造られ、日本の企業もかなり進出し、雇用だけの面でいえば数万人が特区で働いていて失業率が非常に高いこの国では貢献している。

 ただし、フィリピンの1日の最低賃金はマニラ首都圏が一番高く、セブは500ペソを少し超えた程度であり、セブで飲むスターバックスのコーヒー1杯が170ペソである値段を考えると、この国は相変わらず低賃金国であるといえる。

 日本の企業が大挙してフィリピンに進出したのも、この低賃金を狙ったもので賃金が高くなれば他の国に移り、今はヴェトナムが人気となっているが、こうして低賃金国を求める企業活動だと、最後はアフリカに行き付くのであろうか。

 フィリピンでもこの最低賃金が守られているのは良い方で、実際はこれ以下で働いている例は多いし、フィリピンの労働慣行として6ヶ月以上連続して雇用したら正規社員にしなければならないという法律があって巧妙に運用されている。

 つまり、6ヶ月目に入った雇用者を首にして時間を置いてまた雇用すれば良いという手法が企業に蔓延していて、日本の進出企業も同じ手法を採用し、直接雇用せずにマンパワー会社からの派遣という形態にすると、この違法行為は延々と続くことになる。

 それでも働く場所の少ないフィリピンでは働く場所があれば良い方なので、労働者は会社都合で働くことになり『労働者の権利』などあってないようなものになり、労働組合活動はあっても微弱である。

 小生が初めてフィリピンに住み始めた30年以上前、デパートに行って働いている女性達が全く働く意欲がないことに驚いたことがあって、やはりフィリピン人は怠惰だなと思った。

 しかし、6ヶ月経てばほとんどは自動的に首になる労働者だと分かると働く気が起きないのはもっともだと思い、それならば働かなくても良いとまで思った。

 こういった悪しき労働慣行に対して、現在の大統領は、正規労働者にしろと取り組んでいるが、貪欲な企業経営者からは儲けられなくなるといい、日系を含む外国資本企業は雇用条件の緩い国に事業を移すなどといっている。

 この労働者の正規、非正規問題は日本でも問題になっているが、企業にとって都合の良い非正規労働者が最近では労働者の40%近くを占めるという統計があって、これには驚かされた。

 こういう基本的な部分が企業ばかりに有利になり疎かにされていると、日本という国の崩壊が始まると思うが、金儲け主義の日本は省みないようだ。

 こういうギリギリの線に立たされつつある日本だが、何しろ『スマホ』という病原ウィルスに侵された若者ばかりで、真正面から現実をしっかり見つめることが出来なくなっているのではと感じる。

 今やスマホを見るのは『病気』と同じで、その症状は俯いて正面を見られないこと、繋がりなどというありもしないことを盲信、情報操作に惑わされるなど症状は重篤である。

 あれだけ、情報などとスマホに噛り付いている割には、浅薄、物事を考えられず昨今の日本の政治の貧困に対して無条件の受け入れなどなど、たくさんあり過ぎる。

 そういえば何かの物事に対してインターネット上で意見を吐くのは、実はコンマ0%以下の人々という調査結果もあり、時々炎上などと騒いでいるが最初から相手にしなければ済むことでまともに相手にすることはない。

 ついでに書くとこういったインターネット上でもっとらしい書き込みをするのは、若者ではなく中年以上の人が多いという。

 『引き籠り』という現象が以前より社会問題になっていて、最近の国の調査で40〜64歳が、全国で推計61万3千人いて、15〜39歳の推計54万1千人を上回るという衝撃的な結果が出た。

 従来引き籠りというのは若年層が圧倒的に多いと思われていたのに、中高年の方が多く、こういった人々はそれなりに社会経験もあって、中にはインターネット上でもっともらしい意見を書き込む連中というのは、この人々なのではないかなどと考えるが確証はない。

 この引き籠りが最近事件を起こし、引き籠る人々が何か犯罪予備軍のように取り上げられているらしいが、小生など『引き籠りのどこが悪いのか』であり、非難や批判する対象ではないと思っている。

 この引き籠りの高年齢化は日本の老齢化社会と関係があると思うが、昨年生まれた子どもの数が3年連続で減少し、確実に日本は少子高齢化時代へ真っ逆さまに転がり落ちている。

 これに対して相変わらず何にも道筋、解答を付けられないのが今の日本の政治だが、政治家と称する連中は、日本が絶体絶命に突入する頃は皆死んでいるだろうから先送りしたいところであろう。

 このように馬鹿な日本の政治だが、どうやら7月の選挙は参議院選挙だけで、衆参同時選挙はしないとの話が流れるが、絶妙といって良い『騙しの安倍自民党』、『マスコミ操作』を考えると、何が何でも有利に導きたい安倍の無意味な同時選挙はあり得る。

 などとつまらぬことを書いてしまったが、写真は冒頭に書いたマクタンにあるレストラン前に舫われたヨットで、このヨットは数年前に来た時も同じ水面に浮かんでいて、そのやつれようは前に見た時と変わっていない。

 このヨット、誰が持ち主なのか分からないが、動いた様子や手入れをされている様子はないし、この水面の隣は『セブ・ヨット・ハーバー』で、そこに繋ぐと金がかかるからこの水面に置いているのかも知れない。

 ヨットは36フィートくらいの長さで、センターにコックピットを持ち、後部にキャビンを持ち、恐らく使えないであろうがレーダーなどの航海機器も備え、住まい代わりにするには快適そうなヨットで、このまま置き捨てられているようであるならもったいない。



 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 20:12
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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(25) 1989年6月4日の天安門事件から30年

 天安門事件の起きた1989年当時、小生はアフリカに住んでいて、遥か彼方の中国で事件があったニュースは直接伝わらなかった。



 日本帰国後に天安門事件の概要が分かり、中国は相変わらず『暗黒国家』だなと再認識したが、学生時代には第2
語学で中国語を取ったくらいであるから、中国には関心は高かった。

 学生時代の中国は『文化大革命』の真っ最中で、『造反有理』というスローガンが日本の学生にも影響を及ぼし、既成の権力が否定され、ある意味では日本も戦後の残滓を精算できるチャンスでもあったがそうは甘くはなかった。

 文化大革命については主導した最高権力者の毛沢東の妻以下『四人組』が逮捕されて終息を迎えるものの、歴史的評価は定まらず、中国にしてみれば向き合いたくない文化大革命時代であるが、その本質は権力闘争であったことは間違いなく、若い学生や労働者が利用されたことは間違いない。

 文化大革命が始まる前の日本の大手マスコミなどは盛んに発展する中国の様子を書いていたが、中でも『中国から乞食と蠅がいなくなった』は印象的で頭に残ったし、そういうこともあるのだなと妙に感心した記憶がある。

 その後、1990年代初頭に初めて中国南部を旅行したが、この時は香港でヴィザを得て、九龍鉄道で中国本土の広州へ入り、途中、現在IT先進地として注目を浴びている深圳駅では、菅笠にモッコを担いで線路を補修する姿を見て、清朝時代の彼方に遡った印象を受けた。

 その当時でも深圳は経済開発が進んで高層のビルが荒野の中に生えたような感じであったが、列車から眺めた様子は荒々しい光景であり、その印象は後年中国に住んだ時でも変わっていなかった。

 広州駅では持ち金やカメラやラジオの台数などを記入するが、外国人は人民元を使えなくてドルを『兌換券』に交換して使うが、そのため、駅を出ると『ドルを持っていないか』という人間が摺り寄って来たし、市内のデューティー・フリー・ショップ前には物欲しそうな人々が群がっていた。

 こういった店は外国人しか入れないためだが、中に入って品揃えを見たら外国産の酒や煙草は揃えていたが、他は変哲もない日用品を並べていて、どこがデューティー・フリー・ショップかと思った。

 そういった時代を知っている小生としては日本における中国人観光客の『爆買い』現象などを考えると、良くも悪くも時代は常に変わると認識させる。

 その後、1990年代半ばから広東省で仕事をするようになり、深圳には都度行ったが、高層ビルの谷間谷間は旧来の街並みが残り、田舎の町という印象は拭えなかった。

 その中国駐在中の1997年2月に『天安門事件』の弾圧を命令した『小平』が92歳で死んで、勤務先で小平の死亡が大ニュースになっているかと思いきや、そういった話題は上がっていなくて、外国人の小生が関心を持っていることに逆に関心を持たれたくらいであった。

 後で中国人に聞いたら『政治家の死は中央、北京だけの関心毎であり、経済中心の広東省では話題にならない』と述べ、成程、あの広大な中国大陸の地政的な観点を考えると、中国は地方政権の合体で出来ていると思った。

 小平は香港をイギリスから取り返すものの、その返還を見ずに死んだが、50年間は香港の自治を認める『一国二制度』という巧妙な枠で香港を取り込み、しかも50年間は保証したが、香港の自治は著しく侵食され『民主』を主張する人々への風圧は増している。

 この小平が弾圧した天安門事件については、中国政府も敏感で中国内ではインターネットで検索が出来ない状態で、そういった歴史の事実を隠蔽するのに躍起になっていて、6月4日に因んだ6と4をネット上に並べると削除されるというから世も末である。

 こういったことが出来るのも、数万人といわれるインターネット監視組織がチェックしているためで、この他街頭の監視カメラなどを使って個人を特定する技術と機材は中国は世界でも一番となっている。

 アメリカと中国が問題視しているIT企業フアウェイの5G問題にしても監視カメラによる個人特定技術と関係が深く、人権など露ほどもない中国だから進んだもので、中国政府が国策として開発したことが分かる。

 この監視カメラによる個人特定は2020年の東京オリンピックで導入の動きがあり、日本のNECなどが盛んにその技術を宣伝しているが、NEC自体日本の軍需産業の大手だから人権を侵害する監視技術開発などお手の物である。

 そういえば、先年久し振りにシンガポールへ行った所、交差点などに設けられた監視カメラの多さには驚かされたが、中国系というのはこういった監視をすることに抵抗がないのかも知れない。

 さて『天安門事件』はその真相が明らかになっていなくて、政府発表では死者は300人程度となっているが、死者1万人という説があり、話半分と見ても5000人は死んでいるから『内乱』状態であったことは確かである。

 こういった真相が定かにならないのも、中国を支配する中国共産党の隠蔽工作体質から来るものだが、この中国共産党もしぶといといえばしぶといが、党、党員として既成の特権を守ろうとしたら思想も理想も空論であることが分かる。

 一党独裁という政治形態がこの世界に何ヶ国あるのか分からないが、多数派ではないだろうし、一途独裁というのは政治的な主張はあってもその実態は『利権』を維持する組織であり、利権を崩す勢力に対して中国の権力闘争、特に民主化を目指す動きには容赦なく、天安門事件もその延長線と見て良い。

 こういう一党独裁を潰すには選挙で政治指導者を選ぶしかないが、中国人民には最少の権利である選挙権がなくてどうにもならず、民意が反映されては困る国にはもってこいの措置である。

 このため、中国は確かに経済は大きくなったが、選挙権が誰しもに与えられない限り『二流の国』の批判は免れない。

 最後に、学生時代に聞いた『中国には乞食と蠅がいなくなった』の話だが、住んだ広東省では乞食は珍しくなかったし、蠅などいくらでもいたが、さすがに中国というのか乞食も哲学者めいた風貌をしていた。

 暮らしぶりでは、アパートの窓から外に向かって塵芥を放り投げるなど珍しい光景ではなく、こういった世界で暮らしている中国人は世界に出て行くと批判、非難される存在だなと思ったが、実際そうなって世界中で中国人観光客のマナーの悪さが指摘されている。

 この先、中国はどこへ行くのか分からないが、有産階級と最貧民層の格差はフィリピン以上というから、既に社会主義の旗は失っていると断定して良いが、天安門事件から既に30年かあるいはまだ30年かと思って注視する必要がある。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 21:30
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