RSS | ATOM | SEARCH
小さな旅 ボホール島篇 2017年 最終回 その−21 『タグビラランのモールに驚き一路セブへ帰る』

【写真−1 トライシクルの多さで有名なタグビラランもこのオートバイに負ける】

 

 

 アンダからのバスはタグビラランのバス・ターミナルへ到着。ターミナルの隣りには写真−1の大きなショッピング・モールが建ち、以前来た時はなくてこの地の経済発展の象徴のよう。この辺りには昔ながらの市場があったと思うが、その市場はすぐ傍に地味なたたずまいで今もあったが、客の流れはこちらのモールの方が断然多い。

 

 

【写真−2 上映作品はセブと変わらない】

 

 

モールという集客施設はフィリピンでは大流行りで、フィリピン人の思考、生活と合うのだろうが、かつては家にいると暑いので冷房の効くモールに行くというスタイルが多く、買い物は二の次であった。そのモール内で見かけた映画館の看板が写真−2。4館あるが1館は上映していなくて、やはり地方の映画館は苦戦しているなと思わせる。


【写真−3 ネットの時代だから場所さえあれば代理店商売も簡単】

 

 

 モールの造り、入っている店はどこへ行っても同じで金太郎飴と揶揄されるほど独自性はない。独自性のないところが、大衆的といえなくもないがやがて飽きられ、アメリカなど廃業が相次ぐという。写真−3はモール内にある旅行代理店で、ここでセブへ帰る船のチケットを購入。一時から比べると旅行代理店もずいぶん増えて便利になった。

 

 

【写真−4 昔のいかにも船着場という雰囲気のかつての時代が懐かしい】

 

 

 モール内でコーヒーを飲んで、タグビララン港へ向かう。写真−4はそのターミナル・ビルの様子で、以前は倉庫のような造りであったが、地方の空港以上の威容を持つ。空港といえば2018年に日本のODAによる新タグビララン空港が完成するから、ボホールの観光は一層伸びるだろうが、良かったのはこれまでとはなって欲しくないものだ。

 

 

【写真−5 安い席なので船からの排気ガスと振動が凄い】

 

 

 乗った船は『スーパーキャット』というモーターボートを大きくしたような高速艇で、往航の一晩かけた船と違ってセブまで2時間少々で帰れる。海のタクシーといった具合だが、写真−5は乗りこんだ船室。下にある船室より少し安く、室内は覆いをかけられた吹き晒しで、座席もビニールで編んだ簡易なものだが、帰れれば同じか。

 

 

【写真−6 ヤレヤレだが港を出てからのタクシーの客引き攻勢が待っている】

 

 

 この手の高速艇は波浪に弱く、先日には同型艇がルソン島東海岸の島で運航していた海域で沈没し、幸い300人近くの乗客は救助されたが何人かは死亡した。船室が上部にあるので揺れと振動が酷く、本を読むのに苦労し、船に弱い人はグッタリ。ほぼ予定通りに写真−6のセブ港の明かりを見る場所に到着し、ボホールの短い旅は終わった。

 

 


 

author:cebushima, category:小さな旅 ボホール島篇 2017年, 20:13
-, trackbacks(0), pookmark
小さな旅 ボホール島篇 2017年 その−20 『アンダを後にして再びバスでタグビラランへ戻る』

【写真−1 アンダの町からここまで30分くらい】

 

 

 ラマノック島からアンダの町へ歩いて通りかかった『ハバルハバル』に乗ってホテルへ無事に戻れる。ハバルハバルとはオートバイに相乗りする白タクならぬ白バイで、結構重宝する。ホテルに預けていた荷物を引き取り、アンダの中心でタグビララン行きのバスに乗るが写真−1はアンダから幹線道路に出た分岐点で、左側がタグビララン方面。

 

 

【写真−2 通る車が少ないから快適】

 

 

 この乗ったバス、行きにアンダへ向かった時と同じバスと運転手で、座った席も行きと同じ場所。写真−2のように左手側に海を見ながらタグビラランへ向かって走るものの、どこでも乗り降り自由なので停まること多く、距離の割には時間がかかるのは行きと同じ。途中には山のリゾートの看板を多く見かけた。
 


【写真−3 公害企業の輸出と一時は騒がれたが今はどうなっているのだろうか】

 

 

 写真−3は途中で気になった所を写している。幹線道路を跨いで見えるのは山から延々と伸びたコンベアーで、山を崩して石灰石を採り港の船まで運んでいる。ここの石灰石、セブ島で採ったドロマイトをミンダナオ島にある日系の製鉄会社に運んで鉄鉱石を加工している。遠くの山肌を見るとかなり剥き出しで自然破壊そのもの。

 

 

【写真−4 橋が崩落してしまい被災地はかなり困った】

 

 

 2013年にボホール島は大地震に見舞われ、多数の死者を生じたが、建物や橋などの損傷もかなりあった。被害の大きかったのはアンダとは反対側のボホール島西岸にある町だが、あれから4年も経つと被害の様子はすっかり消えている。しかし、写真−4のように川に架かる橋の復旧工事は何ヶ所もまだ続いている。

 

 

【写真−5 ボホール観光には必ず訪れる教会】

 

 

 タグビラランが近くなるとフィリピンでも最古級の『バクラヨン教会』の前を通る。写真−5の鐘楼はかつて見た鐘楼とは違い上部は新しく復元されたものである。セブのサント・ニーニョ教会の鐘楼が崩れたのもこの地震であった。この教会、マルコス独裁時代に妻のイメルダがここを訪れて、教会の貴重品を持ち出した話が残る。

 

 

【写真−6 土地などいくらでもある場所でも安全を考えるとこういう所か】

 

 

 写真−6は既にタグビラランの市街地を走行中で、写真−6はこんな所にと思うような所に建設中のコンドミニアム。売れるから造っているのであろうが、人口爆発のフィリピンでは住宅需要は大きく、こういう光景が見られるようになった。そういえば道筋に新築の家がやたらに多く、あれは地震被害を受けて建て直した家かと思い至る。

 

 


 

author:cebushima, category:小さな旅 ボホール島篇 2017年, 19:21
-, trackbacks(0), pookmark
小さな旅 ボホール島篇 2017年 その−19 『雨の上がったラマノック島を後にして幹線道を歩く』

【写真−1 結局島では人と会わず落ち着いて見物出来た】

 

 

 大雨もガイドが船着き場へ戻って傘を取ってくる間に上がり、無駄足になってしまい気の毒であったが、写真−1は島に上陸した時は気が付かなかったが歓迎の看板。落ち葉の溜まり具合から看板の下辺りまで潮が満ちてくるようで、島には舟の着けられる桟橋はないが、その内作って観光客の便を図るかも知れないが、それも善し悪し。

 

 

【写真−2 正面に見える小屋がラマノトック島へ渡る場所】

 

 

 あれほど降った雨が嘘のような静かな海面を写真−2のように舟は出発地の船着き場へ向かう。この辺りの水深は1mくらいで浅く、右手のマングローブには根を下ろした小さな樹が生え、少しずつ拡大している。桟橋にある建物はガイドなどを手配する事務所があり、簡単なお菓子や飲み物を並べる売店もある。
 


【写真−3 植物を観察しながら歩けば面白い竹で作られた橋】

 

 

 ガイド付きの舟の使用料というのは決まっていなくて、ガイドへの寸志で良いとのこと。そういう決まりも困るが、大雨の中傘を取りに戻ってくれたことを考えて、かなり多めに渡すが、そうやって観光地の相場が決まり後の客が困るかも知れずないが、こういう現金収入の少ない地域で良しとする。行きと同じように写真−3の橋を戻る。

 

 

【写真−4 車は通らないがしっかり作られた舗装道路】

 

 

 最初にトライシクルで降りた場所から写真−4の幹線道路沿いにアンダの町へ向かって歩き出す。この辺りではトライシクルもほとんど通らず、どこまで歩けば良いのか分からない。普通はアンダから乗ったトライシクルを待たせて戻るが、かなり高く片道だけにした。車がやって来るのに望みをかけて雨上がりの道を歩く。

 

 

【写真−5 ほとんどが零細な漁業に従事するが身内の海外就労者も多い】

 

 

 道は海岸沿いに作られているので所々に集落が海辺に在り、写真−5のように舟置き場も見える。この辺りの家の造りはニッパ椰子を葺いた家が多く、それ程豊かでないのが分かる。フィリピンはアセアンでも経済成長率は上のクラスだが、その富が一部富裕層に偏重して普通の人に行き渡らず貧困は減らず、これは日本も同じか。

 

 

【写真−6 フィリピンは教育熱心な日本よりも顕著な学歴社会】

 

 

 写真−6は途中のバジャンという集落にある小学校の下校風景。バジャンはボホールからアンダへ行くバスの終点になるが町というほどの家はない。学校入り口の看板にアンダと書かれていて、ここもアンダの町域と分かるが、アンダは人口爆発のフィリピンには珍しく人口減少気味で現在1万7千人弱で、バジャンには1300人ほどが住む。

 

 


 

author:cebushima, category:小さな旅 ボホール島篇 2017年, 19:18
-, trackbacks(0), pookmark