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バタネス紀行 2017 その−(66) 最終回 バタネス諸島 印象的な写真−サブタン島6選

 サブタン島はバタネス諸島で3つある有人島の1つで、バタン島南部の港から小さな船で1時間少々かけて渡り、人口は1700人ほど。

 

 

【写真−1 個人が建てたようで本当の灯台かどうか分からない】

 

 

 サブタン島が近づくと右手の台地に写真−1の灯台が見える。この写真は灯台へ至る道から撮っていて、向こう側にはバタン島が広がる。灯台下の左の建物は宿泊も出来るが、入場料を要求する景色に似合わず嫌味な場所でもある。

 

 

【写真−2 茅と同じ感じがするからそういう茅の原があるのだろう】

 

 

 写真−2は灯台へ至る道筋で見かけた屋根の葺き替えをしている珍しい写真。日本の茅葺屋根の葺き替えと同じで近所総出で作業している。建物は船小屋だが、トタンで葺いて終わってしまう時代にこのような技術が残るのは嬉しい。

 

 

【写真−3 結構大きい無人島でその昔の火山の爆発で生まれた】

 

 

 島の南部にある集落から見た無人島のイヴホス島が写真−3。この島には江戸時代に日本の難破船が漂着し救助された歴史を持ち、穏やかな季節にも拘らず白波が泡立ち厳しさを感じさせる。現在この島は牛の放牧地になっている。

 

 

【写真−4 別注文でロブスターを頼んだがザリガニと思うような大きさ】

 

 

 島で食べた昼食が写真−4。ここは観光客が立ち寄るレストランになっていて、遠浅の向こうにはバタン島が見え波の音を聞きながらの食事は心地良い。メニューは島料理のカボチャの煮付けや魚でご飯に色を付けているのが特徴的。

 

 

【写真−5 何も離島のまた奥に住まなくてもと思うような峻厳な道を超える】

 

 

 サブタン島北端の集落を目指した途中で撮ったのが写真−5。良くぞ作ったと思うような道が険しい斜面を縫う。遠方の山裾に集落があり、道はそこで行き止まり。時間が止まったような感じで、石壁の特有の家屋も多く残っている。

 

 

【写真−6 穏やか菜早朝の海峡を船は朝日に向かって走る】

 

 

 帰りの船は明け方に出発する。バタン島は東にあり、船は日の出に向かって航路を取る。写真−6は島影から昇りつつある日を受けて、船首に座る人々が逆光の中に浮かび、その様子はさながら絵画でも見るような印象を持った。

 

 【了】

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 18:18
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バタネス紀行 2017 その−(65) バタネス諸島 印象的な写真−バタン島6選

 既に掲載している中から、州都バスコのあるバタン島とサブタン島の印象的な写真を再掲載し、この旅をそろそろと終えることにする。

 

【写真−1 右に少し見える海上から1942年12月8日日本軍が上陸した】

 

 

 バタネスの島に広がる草原で草を食む牛の向こうには、バスコの灯台が見える観光写真の様な写真−1。バスコの港と町は灯台の建つ向こう側に広がる。この灯台のある丘は南シナ海に沈む夕陽を眺めるにも絶好の地になる。

 

 

【写真−2 この辺りからでも左の方に灯台がグラウンド越しに見える】

 

 

9000人に満たないバスコの町だがバタネス州の州都になる。写真−2は州庁舎前の平らな場所の少ない島で贅沢に設けられた運動場で、大人も子どももスポーツに勤しんでいる平和な光景。右の方に大聖堂の正面が顔を出す。

 

 

【写真−3 最初は何か分からなかった雲量計】

 

 

 バスコには天気予報基準地で有名な気象観測所があり、この測候所のレーダー設備は台風で吹き飛ばされていた。写真−3はその測候所にある『雲量計』。その向こうに頂きに雲を被ったイラヤ山が見え、なかなか面白い光景であった。

 

【写真−4 こちら側は太平洋の波が打ち寄せる】

 

 

 写真−4は何の変哲もない浜の光景だが、水平線、透き通った水越しの玉石、波に洗われる玉石の様子が、北の島の雰囲気を醸し出している。この浜はイラヤ山が噴火した時に吹き飛ばされて石が堆積したもので、地質学的にも貴重。

 

 

【写真−5 水平線の向こうは台湾方面】

 

 

 バスコから北の道路を辿ると風の強い丘に出る。写真−5はその丘から北の水平線を撮ったもので、水平線上に三角状の無人島が見える。その先にはフィリピン最北の有人島の『イトバヤット島』があるが、今回の旅では行けなかった。

 

 

【写真−6 山からの水のためか思いの外冷たい】

 

 

 バタン島西側に写真−6のようなプールがあり、ここは山から流れる清水を引いてあり、彼方のイラヤ山と海を眺めながら浸かるのは最高の気分になるが、この時は人が少なかったからそう思ったので、混んでいたらそうはならない。

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 18:54
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バタネス紀行 2017 その−(64) セブへの乗り継ぎ便は時間があったので新興開発地タギッグ市へ

【写真−1 ここに日本のホテルオークラが開業するがイメージは落ちる】

 

 

 マニラ空港第4ターミナルで降りタクシーを拾って空港近くのタギッグ市へ。写真−1は途中の道路沿いの第2ターミナル前にあるカジノ施設で、昨年6月にここでギャンブル狂いの客が銃で武装し放火、37人も死亡した事件があった。

 

 

【写真−2 上部に見えるのは高速道路】

 

 

 空港の近くはフィリピンの軍事基地が集まっている。写真−2は空軍の持つ基地入り口で、ここは1986年のエドサ政変の最中に爆撃騒ぎがあった。基地前は慢性的交通渋滞地域だが、地下鉄が飛行場まで伸びるプロジェクトが進行中。

 

 

【写真−3 首都圏傍の広大な軍事基地は開発業者にとって格好の物件】

 

 

 写真−3は『HEADQARTERS PHILIPPINE ARMY』とあるように、フィリピン軍統一司令部のモニュメント。このようにこの通り沿いは軍の広大な敷地が延々と続いているが、この広大な国有地が次々と民間に払い下げられている。

 

 

【写真−4 こうやって熱い陽射しの中で歩いているのは珍しい】

 

 

 基地跡を開発したのが写真−4のタギッグ市の『ボニファッシオ・グローバル・シティ=BGC』。高層のビルの林立する新興都市だが、新しいから綺麗に見えても不動産バブル地域であり、多数を占める貧困層には面白い地域ではない。

 

 

【写真−5 日本人学校が出来て間もなくここを訪れているが当時は閑散な場所】

 

 

 ここには日本人学校もあり、写真−5は次々と建つビル。ここの市長は政治屋一族で占め、隣のビジネス都市マカティ市も政治屋一族が牛耳っている。互いに張りあって境界にある地域の帰属を巡って裁判沙汰になったがレベルは低い。

 

 

【写真−6 もう少し何とかならないかと思う待合所だが何ともならない】

 

 

 タギッグ市の中心でコーヒーを飲んで写真−6の空港ロビーに引き返すが、帰りも渋滞の中。タギッグ市の人口は90万人近く、コンドミニアムが爆発的に増えても公共交通機関が全くないので、車に頼るしかなく渋滞に輪をかける。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 18:47
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