- 四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(95) 最終回 八十八ヶ所の内 四十四ヶ所を終えて
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2018.03.15 Thursday
日本から10数年ぶりに香港を経由してセブに帰り2017年春の日本旅行は無事に終わった。
【写真−1 鐘突きは参拝前に行うのが順序】
今回は四国八十八ヶ所巡りをしたが、遍路巡りに要した日数は7日間で、徳島県を出発して愛媛県の第四十五番札所『岩屋寺』で終え、残る四十三ヶ寺は次の機会に回すことにした。
写真−1は巡拝3日目、徳島県の第十八番『恩山寺』の鐘を家人が突いている様子で、この辺りから巡拝の仕方も慣れて来た。
この鐘突き、どこでも参拝を済ませてから打っていたが、鐘突きは巡拝前に突く作法が本当で、帰りに突くのは『戻り鐘』といって良くないらしい。
本堂や大師堂への参拝の方法も順序があるのだが、文字通り知らぬが仏で、後で分かった。これは信仰で回ったというより一種の観光コースとして遍路旅をしたためもある。
しかし実際に回って、四国一円に巡らした遍路コースというのは秀逸な観光コースであるのも間違いなく、これを考案した人々は優れているといって良い。
【写真−2 この日は青空が広がり遍路日和】
写真−2は小生の後ろ姿で、場所は石柱にあるように第六番札所『安楽寺』門前で、この日は2日目に入り、最初に参拝した札所でもある。
セーターを着込んでいて、四月の四国路というのにまだ寒く、この年の四国の桜の開花は大幅に遅れていて、山の斜面には溶けない雪が残って見えた。
あまり後姿の写真というのは撮らないが、これは家人の撮った写真で、右肩に下げているのはミャンマーで買った『頭陀袋』で、無造作に物を入れるには重宝した。
【写真−3 それなりの思い出の詰まる納経帳】
写真−3は遍路旅の記録になる『納経帳』で、参拝後に寺にある納経所で寺名とご朱印を押してもらう。
その右側にある袋は各札所で頂いた本尊の姿が入った紙の札が入っていて、こちらも納経時に頂くがかなり分厚い。
今回の遍路旅では残り四十三ヶ寺と冒頭に書いたが、実は第十一番札所『藤井寺』を抜かしてしまい、実際は残り四十四ヶ所になり、この顛末は本稿で書き綴っている。
幸い、抜かしてしまった札所は徳島県にある札所なので、八十八ヶ所を廻った後には、始まりの一番札所『霊山寺』へ『お礼参り』に行くらしく、その時に十一番札所へ寄れるので心配はしていない。
といっても、次回の遍路旅はいつになるか、今のところ具体的な計画は全くない。それでも前半の遍路旅は春の四国であったから、後半は秋の四国路も良いのではと思っている。
何よりも元気な内でないと遍路旅も大変と思い、残る四十四ヶ寺と道中の様子などの資料をボツボツ作っている。
【終わり】
- 四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(94) 番外−香港篇−7 香港はマアマア美味い店が多い
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2018.03.10 Saturday
香港には2泊して、香港島のトラム、九龍方面への地下鉄、そして九龍側からフェリーに乗ってまた香港島へ周回するように戻った。
【写真−1 衣食足って礼節を忘れるのは世界共通】
写真−1はトラム内に掲げられていた注意書きで『禁煙』、『飲食物の持ち込み禁止』と書いてある。
香港がこのように喫煙者に五月蠅くなったが、1990年代半ばまでは喫煙者天国で、それまでは喫煙者に全く制限がなくて、当時の映画館へ入ると紫煙で画面が見えなくなることもあった。
下の飲食物持ち込み禁止はいわゆるファースト・フードの蔓延によってマナーが駄目になったのであろうが、持ち込む本人は良いだろうがみっともない。
こういうファースト・フードを食べながら歩いたり、飲んだりするのはアメリカの悪しき文化が浸潤したためで、また紙やプラスティック容器の大量使い捨てもアメリカからでロクな国ではない。
しかし、今やファースト・フードに慣らされた大人、その子どもは行儀が悪いなどとは思わず、こうして良貨は悪貨に染まっていく。これを『グローバリズム』とはいくら何でもないだろう。
【写真−2 今度は老舗の飲茶を】
香港島の道沿いにあったふらりと入った今風のインテリアの店で食べた『飲茶』が写真−2。
ファースト・フード式なので味の方はどうかと思ったが、フィリピンで出す飲茶と称する蒸し過ぎた品物と違って、新鮮で味も良かった。奥に見えるのは家人が頼んだ鳥の何とかで、小生はこの手は一切手を付けない。
地下鉄で九龍側へ行くが、天気が崩れて大雨。いつもなら人で賑わう尖沙咀辺りもびしょ濡れで店に寄る気も起きず、雨に当らないために地下道を歩いてフェリー乗り場に向かうが、この地下道、土産店に誘導するように造られていてフェリー乗り場にはなかなか出られない。
ようやく、フェリー乗り場へ出てフェリーに乗船しても台風がやって来たような具合で、船は大揺れで雨は吹き込み写真を撮るどころではない。
久し振りの香港フェリーも大雨で、香港島のビルの眺めを味わうことは出来なかったが、香港島についてしばらくすると雨は止み、またトラムに乗ってホテルまで帰った。
【写真−3 美味い店ほど教えたくない】
香港最後の夕食はどうするかと計画はしたが、疲れたためもあって昨日と同じホテルの並びの店へ行く。
写真−3がその店の入り口の様子で、香港でどうして日本の鹿児島が出て来るのか分からないが、一字、一字が香港語読みで、何か経営者は鹿児島と縁があるのかと思ったが、単に字の面白さと香港語のゴロの良さで名付けたのかも知れない。
ここでの2度目の夕食は何を食べたか記憶にないが、3品を注文し、味はやはり外れはなく、香港は何気なく入る店でもそこそこの味を出すと感心した。香港は50年の自治を認める形で、中国本土に吸収されたが、どうも嘘を平気でつく中国人に香港人は騙されたのが濃厚で、その内香港は中国の一地方都市になるのかも知れない。
明日は午前の便でセブへ帰り、この旅行を終えるが、目まぐるしい日程でも予定通り消化できたことが何よりである。
- 四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(93) 番外−香港篇−6 トラムに乗って上環の『ウェスタン・マーケット』へ
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2018.03.03 Saturday
ホテルは香港島の東、北角にありそこから西に向かってトラムが銅鑼灣、湾仔といった香港有数の繁華街を通り、金鐘、中環といったビジネス街を抜け上環(しょんわん)に至る。
【写真−1 トラムの路線に車を通らせない柵が良い】
これら目抜き通りを悠々とトラムは走り、沿道の景色は飽きず、しかも乗車料金は格安で、観光客に人気があるのが頷ける。
写真−1は中環を走っている様子で、この辺りは香港の名建築が左右にあり、写真で太いパイプ状の柱が見える建物は『香港上海銀行ビル』。
この線路を挟んだ反対側には『中国銀行ビル』があって、両者睨み合っている感じが強い。
【写真−2 建物前の丸い変な物は前はなかったと思うが目障り】
上環には写真−2の茶褐色のヴィクトリア朝建築の『ウェスタン・マーケット』があり、ここまで北角からトラムで1時間近くかかる。
ウェスタン・マーケットというように、かつてこの建物は食料品や日用品を売っていた市場があり、香港でも最も古いビルの一つになる。
写真の建物は1906年に竣工したが、正確にはこの建物は北側ビルで、南側には1858年竣工の今の建物より古い南側ビルがあったが、そちらのビルは1981年に取り壊されてしまった。
その理由は分からないが恐らく高層ビルの用地にしてしまったのであろう。その愚が分かったのか、現在の建物を保存し、1991年に改装して各種の店が入る観光客向けの施設となった。
ここには1990年代に来たことがあって、その時は骨董品店や土産店があり、そこで古いブリキのフォルクスワーゲンのミニ・カーを買っている。
その記憶があって、何か面白い物があるかと足を伸ばしたが、そういった店は既になくて、レストランや喫茶店などが洒落た店に入れ替わっていた。
【写真−3 意外性のない施設だから客足は遠いのか】
写真−3はその内部の2階から入り口を撮っているが、2階には生地を売る店ばかりが場所を占めていて、そういった生地に興味があれば面白いだろうが、このスペースは何となくもったいない感じがした。
時間的に朝早い関係もあったが、あまり人の姿はなく、こういう施設はかつての日本から香港に押しかけた『アンノン族』には良いだろうが、ネットの時代にはもう冴えなくなったのかも知れない。