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まにら新聞掲載 Archives (18) セブ補習校の20年と今 その−4 (最終回) (2004年掲載)

 (4) ままっ子の在外教育

   

 日本の外務省から(我が国の海外における子どもの教育)、文科省から(海外子女教育の現状)という資料が出され、日本政府の在外教育に取り組む姿勢が列記されている。
 

【1999年8月竣工の第2マクタン大橋開通直前の補習校社会見学】

 どちらも総花的に在外教育の難しさを述べるだけで、どのような具体的な方法で行くかの指針を、行間に読み取れない。今から25年前に、当時の内閣法制局長官が国会で『在外子女の教育を受ける権利』について答弁をしている。

 政府見解は、海外の日本人子女には憲法26条の保障する『教育を受ける権利』はないと断定しながら、義務教育該当子女に関しては『政策的に対処する』必要があると述べている。この答弁を要約すると『在外子女は日本人だが、日本国人ではない』となる。

 

 この解釈は今も一貫していて、その当時とは在外子女を取り巻く環境は格段に変化しているのに、国は政策を変える気はなく、怠惰ともいって良い状況を続けている。例えは似つかわしくないが、憲法を恣意的に曲げて、イラクに派兵出来るのも政策ならば、在外教育の政策変更など、赤子の手を捻るよりも簡単なのではないか? 

 要はやる気の問題で、最近導入された『在外選挙制度』のような票に直結する問題は議員も後押しするが、地味で利権とは無縁な在外教育問題に関心を持つ政党や議員など、あまり聞いたことがない。

 

 このように日本側の政策と取り組み方への批判と不満はあるが、外務省から補習校に対して、校舎賃貸料助成や講師謝金援助などがあり、一定程度の評価はあることを付け加えておく。
 

   ◇
 

 日本の在外子女関係予算は、外務省の場合2004年度原案では21億円強にしか満たないが、教育をつかさどる文科省は、在外関係予算原案は235億円強に上っている。

 ところが内訳では、日本人学校への教員派遣費(全世界で1341人・うち大規模補習校に80人ほど)に93%も費やされ、その他の事業項目を差し引くと、補習校に実質的に廻ってくる予算はほとんどない。

 また、気がかりなのは、緊縮財政のあおりで、両省併せた在外教育用の総額は前年比7.1%の減額となっていることである。日本国内の、小学校から英語を学ばさせる《国際化》構想などというのは、先の冷たい数字を知ると『かけ声だけ』といわざるを得ない。

 

 文科省と外務省で設立した、海外子女教育振興財団の統計資料では、アジア地域は日本人学校教育が中心で、在校生1000人を超えるマンモス校がいくつもある。補習校はセブを含めて17校あり、昨年、セブ補習校は独自にアジア地域補習校の《学費》調査を行った。

 受益者負担が原則の現行学費を考えるために作ったもので、当該国の物価事情や教育内容から簡単に比較することはできないが、それによるとセブ補習校の学費はアジア地域で、最も安いのではないかとの結果が浮き上がった。

 

 セブ補習校財政はその安さにもかかわらず一応安定を保っているが、補助金頼りの体質は変らず、健全とはいえない。補習校は、通わせている家庭が子ども分の学費を払っていれば済むといったものではなく、在留邦人全体で維持・負担する気持ちがないと、体力が落ち、より良い教育が受けられなくなる恐れがある。
 

   ◇

【2006年の補習校雛祭り 左に積まれた箱は日本政府供与の日本の教科書】
 

 12時に授業が終ると、帰りのあいさつの後、教室内の掃除を班交替で行なっている。ほうきを持つ子どもに『家でやっているの』と聞くと、口をそろえて『やったことないよ』という。
 

 こんなところにも、日本人補習校の価値があるようだ。現在、セブ補習校は創立二十周年の記念文集を編集中である。

 

 《参考資料》

 *外務省領事移住部政策課刊(我が国の海外における子どもの教育・2003年度版)

 *海外子女教育振興財団刊(海外子女教育・2004年1月号)

 *マニラ日本人学校発行(学校要覧・2003年度版)

 *セブ日本人会発行(セブ島通信・1994年4月号)

 *セブ日本人補習授業校編(学校の沿革・2003年度版)

 

 【終わり】

 


 

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まにら新聞掲載 Archives (17) セブ補習校の20年と今 その−3 (2004年掲載)

 (3) 理想と現実のはざまで  

 

 戦前のセブには日本人学校があった。1933年(昭8)に初代校長をマニラ日本人学校から迎えて開校。在籍者数は幼稚園・小学校併せて49名、教職員は校長以下4名であり、開校時の日比二世児童の割合は半分を超えていた。
 

【当時の写真 習字の時間】


 設立したセブ日本人会の会員が当時150名というから、現在のセブ日本人会と、会員数では遜色がない。当時は今のような日系企業進出などまれで、バザールと呼ばれた個人商店主や小商いの日本人がほとんどだった。

 日本人が海外に出稼ぎをしていた貧しいこの時代に、日本人学校を設立した人々の教育にかけた熱意には敬服し、今日の様変わりを思うとセブの今が問われている気がする。

 

 

 3人の子どもを通わせる校長は『補習校の限られた時間で、日本並みの学力をつけるのは無理と保護者も承知しています。なかでも永住者の保護者は、補習校で《日本の風》に当ててくれれば良いと思う方が多いですね』と、今のセブ補習校の空気を表現する。
 

 《日本の風》とは、日本では風化しつつある、日本の伝統的な行事や文化・習慣などを補習校で実践、学ぶことで、餅つき、節分、桃の節句、端午の節句、七夕と季節、季節に合わせて行なわれている。

 これには保護者の協力も欠かせず、立派なひな人形、鯉のぼりなどが寄贈され日本に負けない行事となっている。

 

 日比間二世の家庭環境では、片親が日本人であっても《日本の風》の当て方は弱く『日本語に触れるのは補習校の毎週3時間だけです』と偽らない悩みをもらす親も多い。

 また、時間の厳守など、日本的な規範の指導も行っていて、わずか1週間の3時間だけで、異文化の中で生活する子どもたちに、どれだけ理解を得られているのか疑問な点はあるが、日本語を学ぶと共に根気良く風に当てている。

 

   ◇

 

その一方、帰国子女についても悩みはある。セブ補習校が今のように日本の教科書で学ぶ帰国子女組と、日本語を習得する日本語組に明確に分けたのは、一昨年のことで歴史は浅い。

 現在、帰国組が6組、日本語組が4組の計10組あるが、帰国組は学年ごとの単式編成としてあり、小規模の補習校としてはかなり気張った陣容になっている。

 

 帰国子女の場合、ふだんはインターナショナル・スクール(IS)に行き、土曜日は補習校へ通う例が多い。ISはISでかなりきついプログラムと英語のみ使用のため、ほとんどの家庭では日本から転入後、英語の個人教師をつけて特訓する日が続く。
 

【当時の写真 遠足はマクタン島のリゾートで西瓜割り】


 同時に日本の教科もないがしろにできず、通信教育を中心に力を注ぐ必要がある。補習校からは学習効果を出すため宿題を出すことも多く、子どもには日本国内以上の勉強漬けが続く日々である。
 

 保護者の都合によるとはいえ、子どもにしてみれば突然の海外生活に適応できず、せっかくの機会も灰色で終わり、現地理解はおろか、英語も日本語も中途半端で帰国するという例が、世界中で増えている。これらの問題を在外教育の世界では《三重苦》と名付けて対処するも、解決に至る妙案がないのが実情である。
 

 ある講師は『本当は塾の延長のような補習校ではなく、現地校では学べない創作活動や理科・社会など、海外で生活する強味を活かして勉強をさせるのが理想です。

 しかし、常識的な漢字さえもポロポロ欠ける子どもの実態を目の当たりにすると、一字でも多く覚えるように指導しなければならず、『それが理想との間の課題ですね』という。


 【続く】

 


 

author:cebushima, category:まにら新聞寄稿 Archives, 19:50
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まにら新聞掲載 Archives (16) セブ補習校の20年と今 その−2 (2004年掲載)

 (2) 日本人学校への道のり

 

 最近のセブ補習校の入学者傾向は、日比間の結婚が年間7000組を超える中、日本人の父親が日本で働き、フィリピン人の母親と子どもがセブで生活する『別居型』が増えている。
 

【当時の写真 マニラ日本人学校による巡回授業風景】


 邦文の入学案内だけで済んでいたのが、英文の案内を用意するようになり、入学志望者も日本語を解さない児童が増えた。補習校は『日本語ができない理由で入学を断ると、この子が日本の教育を受ける権利と時機は一生失われるのではないか』の考えで、負担は大きいが受け入れるよう努めている。
 

 セブ補習校のような週1回学ぶ学校は、国庫助成を受けても私塾と同じだが、毎年、MJS(マニラ日本人学校)の協力を得て《巡回指導授業》を行っている。

 土日の2日間、ふだん学べない理科・社会などを中心に、MJS教諭に過密なスケジュールで教わるが、この熱心な先生方でも補習校の存在を知る方は少なく、セブを見て驚きの感想を持つことも多い。

 

   ◇

 

 補習校で教える講師を文科省では『現地採用教員』と呼ぶが、講師と学校側の雇用契約などはなく、ボランティアの面があり、学校そのものもNGO(非政府組織)のような性格が強い。
 

 セブ補習校は80年代初めに、有志日本人が自宅に日比二世の子どもを集めて教えたのが始まりで、20年間で、名前の分かっている講師は延べ80人以上に挙がっている。多くは、教職免許や教育経験を持たない企業駐在員の夫人方で、同じ講師メンバーで3ヶ月と持たず、出入りの激しい状態が続く。

 講師確保がひと苦労で『子どもの入学申し込みに行ったら、来週から講師をやってくれと頼まれ仕方なく引き受けた』などの例もある。この方はそれから5年間講師を続け日本に帰ったが、送別会で『補習校はみんなでリレーをしないと、やっていけない学校ですね』と語っている。

 

 その他、協力隊員、退職者、留学生など様々の立場の人間が、終りのないリレーを続けているが、最近はフィリピン人と結婚しセブに住む日本の女性が増え、補習校講師の新たな担い手となっている。子どもの母語と教育の問題を、落ち着いて補習校で活かせるのではないかと期待がかかる。

   ◇

 

【当時の写真 時には高学年中心に家庭科の調理実習も行う】

 

 補習校は週3時間、国語・算数を中心に1年間で合計150時間ほど学んでいる。一方、MJSを例に取ると学年により違うが、年間平均で900時間から1100時間前後学び、しかも教科はバランスが取られている。

 単純に考えると、補習校では6分の1の偏った学力しかつかない勘定になってしまう。この観点からセブに日本人学校を設立する話が、90年代半ばに論議されている。

 地元の『学校用地を寄贈する』話から始まったが、校舎建設・設備には膨大な資金を要し、肝心の授業料も試算では途方もない額に至り『入学できる邦人子女家庭は限られる』と話は立ち消え、その後今に至るまで、日本人学校設立の話は起きていない。

 

 日本人は単身赴任で海外に駐在する例が多く『駐在先に日本人学校があれば家族で赴任する』といい、現地では『家族帯同で赴任しないから、いつまでたっても日本人学校が作れない』と、鶏が先か卵が先かの不毛な議論に陥る。

 また『在留邦人と子女が多くないと日本人学校は作れない』と考え勝ちだが、日本政府の定めた日本人学校設立要件の中、在籍は30人以上あれば設立可能としている。全世界で82校ある日本人学校の最近の在籍者数を調べると、セブ補習校より在籍者が少ない日本人学校は46校、うち10人台の学校が12校もある。

 

【続く】

 


 

author:cebushima, category:まにら新聞寄稿 Archives, 09:45
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