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ルソン島紀行 山岳州篇 2017 最終回 その(23) 喧騒のキアポ教会の『ブラック・ナザレ』を横目にマニラ空港へ 

【写真−1 正面広場の露店は片付けられているが、酷い混雑ではない】

 マニラを発つ1月9日の翌日は写真−1のキアポ教会の年に一度の大祭『ブラック・ナザレ』があって、教会周辺は人の出がいつにも増して多い。

 この大祭はマニラ湾近くの競技場から、教会のキリスト像を巡行する行事で、キリスト像に触れたり、像に触れたタオルを得るとご利益があるとされ、競技場から教会までの沿道は数百万人の信者で埋まり、像に殺到する群衆で怪我人が続出、時には死亡者も生んでいる。

【写真−2 この時間はまだ大通りは通行止めになっていない】

 大祭前日とあってキアポ教会は人で身動きできないかと思ったが、いつもより人は多いものの混雑感は薄い。

 これは多くの信者は出発する競技場近辺に集まっていて、像と共に移動するためだと思うが、写真−2で分かるように、右側に写る教会横にある、普段だと人が道に溢れることはない道路に人が徐々に溢れ出し、一晩かけて像が近づくに連れて道路は大群衆で埋まる。

 そういった近辺の様子から、タクシーなどはこの地域に来るのを敬遠し、ホテルを出てからなかなかタクシーがやって来ない。それでも待つこと30分以上でようやくタクシーを捕まえられたが、運転手は混雑が酷いので、遠回りして行くといい、乗り遅れない程度で空港に着けば良しで乗車。

【写真−3 古い建築の好きな人にはたまらない地域】

 ダウン・タウン内を右に曲がったり左に曲がったりで、走っている内にどこかで見た光景だなと思ってタクシー内から写したのが写真−3。

 遠くにクラシックな建物が見えるが、ここは戦前に栄えたマニラのビジネス街『エスコルダ地区』で、戦前に建てたアール・デコ調のビルがいくつも残っている。

 どこかで見た光景というのはそれらビルを写した写真が記憶にあったためで、一度は行って見たい地域でもある。エスコルダを抜けて渡るのが写真−4のパッシグ川で架かる橋名は『マッカーサー』。

【写真−4 向こう側が下流 右手側はエスコルダ、チャイナ・タウン方面】

 左側の川沿いにある白い建物は中央郵便局で、その辺りにも古い建物が残り、この辺りは1945年2月、連合軍と日本軍のマニラ守備隊が交えた『マニラ市街戦』の主戦場となった。

 この市街戦ではマニラ市民10万人が死に、戦争史の中で最大の犠牲者を生んだといわれるが、その全容は明らかになっていなくて、日本軍がマニラから撤退すればこの悲劇はなく、実際司令長官の山下奉文など陸軍は『無防備都市宣言』を出す気があったともいわれている。

 それが出来なかったのは、海軍を中心とする勢力が既に無意味が分かっていながら『徹底抗戦』を主張したためだといわれるが、いずれにしても無駄な戦いであったのは確かで、軍隊の本質が露出したのは確かで、無辜の民が大勢殺された事実が残る。

 

【写真−5 世界3大夕陽の観られる場所の一つのマニラ湾沿い】


 橋を渡ってやがてリサール公園に至るが、ブラック・ナザレの像が出発する競技場に近く、交通規制と地方から大祭に参加する人々が彼処に眼にし、前日とあって何とかその地域を抜けて、マニラ湾沿いのロハス大通りを走る。

 ここまで来て、渋滞はなくなり右手にマニラ湾の夕暮れを見ながら一路空港へ。その写真が写真−5になるが、名物のマニラ湾の夕陽には少々雲が多く、お目にかかれなかったが、万事、騒音から逃れられないマニラでもこういうノンビリした時間の流れる場所がある。

【写真−6 バス会社の待合室と変わらない空港待合室】

 写真−6はマニラ国際空港の通称第4ターミナル待合室内で、利用するエアー・アジアは例によって大幅に時間が遅れている。エアー・アジア航空は運賃の安さと反比例して、発着の遅れは常習的で、今まで何度も利用しているがまともに飛び発ったことがないし、運航日の変更もしょっちゅう。

 多分、無理な運航体制で機材の整備、運用が間に合わないのだろうが、いつも遅れる航空会社と思っていれば怒りも収まり、飛ぶだけでも良いとするしかない。

 こうして呆れるほど待たされてセブ行きの便に搭乗したが、それにしてもいい加減にしてくれないかエアー・アジアよ、運賃が安いからという言い訳は通らない。

 

【了】

 


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 山岳州篇 2017, 12:45
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ルソン島紀行 山岳州篇 2017 その(22) 夜行バス内は冷凍庫同様 チャイナ・タウンで時間を過ごす

 夕方にバナウエを出たバスはほぼ満員。それでも途中の町で停めて客を乗せようとする。

【写真−1 トイレと軽食をかき込む乗客で夜中でも混雑

 フィリピンのバスは過剰にエアコンを利かせていて、車内は冷凍庫同様になるので厚着をするが、これは先年行ったルソン島イロコス地方の旅行で乗ったマニラ−ヴィガン間で体験済み。

 恐らく運転手の居眠り運転防止のためと思うがそれにしても途中で眼が覚めると、車内の凍り付いた余りの寒さにギョッとする。

 写真−1は山岳部を抜けてマニラへ通ずる幹線道路沿いにある駐車場の様子で、次から次へとこの手の大型バスがマニラ目指して発着している。

 鉄道がほとんど未発達なフィリピンは昔からバス輸送が主流で、最近インフラ投資の一環としてルソン島やミンダナオ島に長距離鉄道敷設プロジェクトなど検討されているが、敷設したは良いが維持管理がまるで不得手なフィリピン人気質を考えると、溝に金を捨てるようなプロジェクトになるのではないか。

【写真−2 路面がゴトゴトするなと目が覚めたらバスの終点間近】

 写真−2はまだ夜が明けやらぬ時間にバスはマニラに到着。幹線道路上に出ても結構な山岳部の中を走ったが、そこが戦争末期に日本軍が連合軍に追い詰めら最後の攻防、激戦地となった『バレテ峠』で、ウトウトしている内にいつの間にか通過してしまった。

 バスを降りて予約していた近くの安いホテルで仮眠を取って、夕方のマニラ発セブ行きの便に搭乗する予定となっていて、昼近くまで寝て昼を食べるために近くのチャイナ・タウンへ行く。

【写真−3 貧弱なセブの中華レストランを思うとセブにもこういう店が欲しい】

 写真−3が食べた店で、前回、8月の時はチャイナ・タウンでは割合大衆的な店で食べたが、今回はセブの中国系の知人にお勧めの店を聞いて少し高級な店に入る。

 その結果は、大当たりで内装が高級な割には値段も安く、点心も注文を受けてから蒸す新鮮さで、時間が経ち過ぎ干からびた点心を出すセブの店とは大違い。どの一品も味が際立ち、特に春菊の炒め物は絶品であった。

【写真−4 昔より安全になって家族連れでも歩けるようになった】

 写真−4はチャイナ・タウンのメイン・ストリートになる『オンピン通り』中ほどに建つ南側の中華門で、今は溝川と化した川に架かる橋の手前に建ち、北側にもある。この中華門、もっと大きいのがチャイナ・タウンの入り口に2つ建てられている。

 ちなみにオンピンとは中国名をフィリピン風に呼んでいる名前で漢字で書くと『王彬』と書き、著名な政治家なども出している中国系の一族名になる。

 チャイナ・タウンの始まりだが、フィリピンと中国との関係はスペインがフィリピンを植民地にする以前から交易を通じて深く関わっていて、スペイン植民地後にカトリックに改宗した中国人を住まわせたのが始まりで、今風に言えば『ゲットー』のはしりになり、本来の地名は『ビノンド』という。

【写真−5 フィリピンの中国系の出身地は福建省が多数】

 写真−5はオンピン通りで見かけた中国風の装飾品を売る店で、看板を見ても中国にある店と変わらないし、通りは中国系の店が連なる。

 フィリピンには中国系が人口の1%少々、100万人を超すがフィリピンの経済、産業は中国系が押さえていて、経済及び政治に対する影響力は大きく、現大統領のドゥテルテが中国に媚を売る発言を繰り返すのも選挙戦で資金を出したのが中国系だからとまで言われている。

【写真−6 チャイナ・タウンも最近は高層のマンションが建ち並び景観を壊す】

 写真−6は『ビノンド教会』で、なかなか堂々とした造りで、中国系カトリック信者の財力を如実に表しているようだ。この他、チャイナ・タウンには『サンタ・クルス教会』という瀟洒な造りの教会がある。


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 山岳州篇 2017, 10:13
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ルソン島紀行 山岳州篇 2017 その(21) バナウエで時間を過ごしてその日の夜のバスでマニラへ

 今度また来れるかどうか分からないが、その時は車道が完成して排気ガスまみれになるであろうバタッドの道路工事を横目に、行きに乗り帰りも使う約束でバナウエからやって来たトライシクルでバナウエに戻る。

【写真−1 山肌のむき出しになっている場所が道路で下の斜面は残土投げ入れ】

 写真−1の中ほどの斜面に車道が造られていて、残土などその下の谷間にそのまま投げ落とす粗っぽい工法で、自然破壊がどうのこうのという範囲を超えている。

【写真−2 帰りというのは何でも早く感じるが気のせいか】

 帰りのトライシクルは下り勾配の中、思ったより速くバナウエを目指すが、写真−2のように山深いことには変わりない。


【写真−3 左上に幹線道路が走るが地形的にはバタッドと良く似ている】

 バナウエに戻る途中、棚田の名所が道路沿いにあるというのでそこへ行くが、まるで絵に描いたような景色が広がるのが写真−3。

 バタッドもそうであったが、棚田の最下部に集落が固まっていて、敵からの襲撃を防ぐためにはこういう形が良いようだ。その集落を注意して見ると、建物の周りには壁のような物が築かれていて、やはり外敵から集落を守るようになっている。

 教会らしき建物もあり、トライシクルの運転手に『この村には泊まることは出来るのか』と聞いた所、観光客用の宿泊設備が完備していて受け入れには問題ないという。

【写真−4 パラシュートのような鮮やかな色の覆いが慶事を表している】

 こういった環境の中で時間を過ごすのも一味違う体験が得られるのではないかと思った。バナウエに近い場所で、写真−4のように道路上に人が溢れていて、運転手は『結婚式がある』という。

 近隣からお祝いに駆けつけ、恐らく、家の中では民族衣装を着けて伝統的な結婚式、披露が行われているのだと思うが、外の人々の中にはこの地方独特の民俗衣装を着ている者はいなかった。

【写真−5 この辺りに見える山の斜面もかつては棚田であった】

 写真−5はバナウエの中心地を見下ろした様子で、真ん中辺りがそのまた中心で、ジプニーなどはここから発着している。今夜のバスでマニラへ戻るが時間があったので博物館や町歩きで時間を潰す。

 博物館は写真−5を撮った場所の更に上にあるが、訪れる人も少なく、鍵を開けてもらって入った。展示品はこの地方の少数民族を中心にした民具などが主であったが、その昔に撮られた古い写真が面白い。

【写真−6 狭苦しい車内より屋根の方が気持ちは良いだろうが】

 写真−6はジプニーの屋根に乗っている様子で、この山間部では屋根に乗るのも普通の光景で、いかにも手慣れた雰囲気。

 これでジプニーには満員なら50人近く乗り、重心は悪くなるから、下り道やカーブで制動を誤って谷に転落する事故などしょっちゅう起きている。

 外国人観光客も面白がって屋根に乗るが、あまり勧めたくない乗り方で、体験のため短距離に留めるべきである。



 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 山岳州篇 2017, 17:35
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