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この一枚2016年 セブ篇 その(37) 2016年のクリスマスとサント・ニーニョ教会

 クリスマスの25日午後、セブ市ダウン・タウンにある『サント・ニーニョ教会』へ家人と共に出かけた。

 

【1月にはここを中心に『シヌログ』という一大イヴェントが繰り広げられる】


 年末と言うのに大型台風がフィリピンに接近していて、ルソン島南部から首都圏にかけて警戒情報が出ているが、セブは台風の影響のためかどんよりした天気が続き、時折り強い雨が降る。

 セブへ来た台風で記憶に新しいのは2013年11月の台風『ヨランダ』で、既に3年以上経つと記憶も風化しがちで、日本の福島原発爆発など既に5年以上経つから、日本人が原発に鈍感になるのも無理はないし、原発推進派は時間による風化を狙っていてその通りになっている。

 サント・ニーニョ教会というのは正称を『パシリカ・ミノレ・デル・サント・ニーニョ教会』と言うが、これは1965年にカトリック本山から尊称を受けたためだが、そんなややこしい言い方は教会関係者だけで、普通はサント・ニーニョ教会で通っている。

 この教会の本尊は『幼きイエス』像で、ニーニョとはスペイン語で『男の子』を言う。このニーニョ像、1541年に世界周航の途次セブへ立ち寄った『マゼラン』が持って来た謂われがあり、数々の奇跡を生む伝承がある。

 マゼランはセブへ上陸後の同年4月27日、セブの空の玄関口でリゾートとしての虚名で有名なマクタン島で島の支配者『ラプラプ』軍と戦い、同地で戦死していて、その戦死の地が観光ポイントにもなっている。

 マゼランは戦死するまで2週間足らずのセブ滞在であったが、その時、セブ島側の支配者『ラジャ・フマボン』一族に対してカトリックへの帰依に成功し、セブはフィリピンのカトリック布教の始まる聖地となっている。

 

 セブの当時の支配者にラジャと付いているように、この時代は『イスラム教』がフィリピンにかなり布教しているのが分かる。その後、1565年になって『レガスピ』がセブへ派遣され、レガスピは初代提督となり、これよりスペインのフィリピン植民地化が始まり、1898年の『米西戦争』でアメリカがスペインを破るまで続く。

 レガスピがセブへ来た時、行方不明であったマゼランが持って来たサント・ニーニョ像が発見され、奇跡の像として改めて崇め奉られ、1565年に教会が建てられたのが、現在のサント・ニーニョ教会の始まりとされているが、それ以前は質素な竹とニッパヤシで造られた堂であったらしい。

 フィリピンには最古と呼称する教会がいくつもあって、どれが本当か分からないが、一応、サント・ニーニョ教会はフィリピン最古の教会となっているが、セブ島の隣の島『ボホール島』にある『バクラヨン教会』が最古という話もある。

 創建当時からの建物と言えばバクラヨン教会は確かに古く、この教会は2013年のボホール地震でかなり被害を受けた。サント・ニーニョ教会は何度も火災などで建て直されていて、現在の建物は1740年に再建されたらしいが、先述したボホール地震ではサント・ニーニョ教会の鐘楼が屋根の部分から崩落する甚大な被害を受けたが、先頃修復が終わった。

 で、長くなったが写真に入ろう。崩落した鐘楼は写真の建物の右端にあるが、画面には入りきらず、クリスマスの日にミサを受ける人々の姿を写した。サント・ニーニョ像は右の建物のアーチを入った奥に安置されていて、長時間並ぶのを厭わなければそばまで行って拝見することができる。

 その像に信者が尻を向けているのはこちら側にミサを行う広場とスタンドがあって、そこの祭壇でミサが執り行われているためである。クリスマスと言う特別な日のためか、信者の数は多く熱心とは思うが、私などのような不信心者は厳かさは感じるもののシャッター・チャンスを求めるような按配であった。

 この日、私はたまたま新しい靴を履いて出かけたが、ミサに出席する人々の足元を見ると、新しい靴を履いているのが目立つ。恐らく、着ている服も新しい物が多いのではと思った。

 これは日本でも正月時に新しい服や靴を履いたり着たりしたのと同じで、新しい年には新しい物を身に付けて新しい気持ちでと言うのは国が違っても同じだなと感じた。


 

author:cebushima, category:この一枚 2016 セブ篇, 19:15
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この一枚2016年 セブ篇 その(36) 街はクリスマス気分に浮かれているが

【セブの台所 生鮮野菜のカルボン市場と魚市場パシルに挟まれた地域にある】


 15日の木曜日がフィリピンは給料支払日に当たり、会社によっては13ヶ月目の給与を同時に払っていて、この週末はどこでもクリスマス・セールのかきいれでにぎわった。

 それを象徴するのはモール前のタクシー乗り場の様子で、いつもなら客待ちをするタクシーが暇そうに並んでいるのに、給与の出たためいつもと違ってタクシー待ちの人が長蛇の列を作った。

 13ヶ月目の給与とは、フィリピンの法律で1年以上働いた労働者にはもう一月分支払う制度で、日本でいうボーナスに似ている。日本のボーナスは業績によって支給額は左右されるが、フィリピンはどんなに儲かっても会社は1ヶ月分を払えば済むので楽といえば楽。

 フィリピンはASEANの中でも経済成長率はトップ・クラスの伸びで、世界銀行の予測では2016年の経済成長率が予測では6.4%であったのに、6.8%へ上方修正している。

 こういったフィリピンの好景気は貧困層あるいは最貧困層に恩恵が及ぶはずだが、好景気分は従来の富裕層に流れ込むだけで、下に回って来なくて、これはフィリピンに限らず世界の多くの国が『格差』という問題に直面する要因の一つとなっている。

 毎年、我が家では1年間小銭を貯めて、この時期に蓋を開けて集計しているが、先日それを行った。今年は昨年より額は多くひと月当たり3000ペソが貯まっていた。

 塵も積もればの例え通りでコツコツ貯めれば結構な額になるが、今年の特徴は1000ペソの高額紙幣が多く、その気になれば気が付かぬ内に貯められると分かる。

 この貯めた金額の一部は施設や教会に寄付するようにしていて、昨年は老人施設であったが今年は写真の場所へ行った。ここは『Missionaries of Charity』と看板が掲げられているようにマザー・テレサの起こしたカトリック修道会が運営している。

 マザー・テレサはインド・コルカタで活動を続け、1979年にはノーベル平和賞を受けた世界的に知られた人物で、カトリック界では異例の早さで列福、列聖になって、この辺りの経緯が色々と詮索されて業績への評価も高いが批判も数多い。

 私は信者でも何でもないから家人に連れられてこの場所へ来て、初めてマザー・テレサの教団がセブで活動をしている事を始めて知ったが、場所は車一台が通れるような住宅密集地の最奥にあり、その向こうは水面が広がり高架道路が通っている。

 この高架道路は日本のODAで埋め立てた土地を通り抜ける道路で、毎回この高架道路を通る度にぎっしり建てられたこの地域を眼下に見ていて、セブにもこのようなスクオッター(不法占拠者)まがいのスラムがあるなと思っていた。

 今回、訪ねると住民はこの場所を親切に教えてくれて、危険な場所という感じはないし、何よりも住民が外部の人間を良く見ているという感じがした。また、スラムという表現は行き過ぎで、密集はしているが昔のセブはこんな雰囲気であったのだろうなと思った。

 この地域はトライシカッド(3輪自転車)で移動するのがもっぱらで、五月蠅いトライシクル(3輪バイク)はないし、時にはカレッサ(1頭立て馬車)が走っていて、狭いながらも住み易そうな感じさえ受けた。

 写真の施設は日本風に言えば『養護施設』で、扉に『Home for the Sick and Malnourished Children』と書かれているように病気や栄養失調の子どもを預かっている。これらの子どもは孤児あるいは親が子どもを育てられない背景から生じているが、2階の大広間に10人ほど。その横の部屋には乳児が5人ほどいた。

 栄養失調の子どもでは、かつてアフリカで生活した時に見た、手首の細さで栄養状態を知る事を想い出したが、アフリカでは人差し指ほどの手首の子がたくさんいて、医療関係者によるとそういう子は死に近いと言われた。

 この施設には韓国出身のシスターが一人いて、少し前まで日本人のシスターが居たとのこと。ここでは子どもを保護するだけではなく、最貧困層への支援も行っていて当日は隣接する地区で配る弁当を多数用意していた。

 この用意する人々の中でインドネシア・フローレス島から来た青年が居て、イスラム大国のインドネシアにしては珍しいなと思ったが、フローレス島の東には独立したチモール島があって、島民の80%はカトリックだというから、はるばるセブに来て支援活動をするのも理解した。

 豊かといわれた日本でも『子どもの貧困』問題が大きく取り上げられていて、先進国の加盟するOECD(経済開発機構)の34ヶ国中、子どもの貧困率が16.3%もあり、ワースト10に入っていると先頃発表された。しかも、1人親世帯では50.8%の高率になり加盟国の中で最も高くなっている。

 16.3%というと実に6人に1人は貧困という結果はにわかに信じ難いが、貧困の概念も今は、食べるものに困る層を『絶対的貧困』、食べるには何とかだが余裕のない『相対的貧困』という2つに分けられている。

 

 フィリピンは貧困層と最貧困層と分けられているように、その貧困率は相当なものだと思うが、その貧困は親から子どもに連鎖して、貧困はなくならないとも言われ、そういった社会の中で、更に親から見捨てられてしまったこれら施設の子どもの将来はどうなるのだろうと思うと、誠に辛い事がある。せめて、このように『貧者の一灯』を続けなければいけないことは確かである。

 



 

author:cebushima, category:この一枚 2016 セブ篇, 20:30
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この一枚2016年 セブ篇 その(35) 2016年のクリスマス・ツリー

【人出は多いがクリスマス・セールの売り上げ増はどうだろうか】

 クリスマスまで余すところ2週間となり、フィリピン中クリスマス商戦の真っ最中。写真は久し振りに訪れた近所のショッピング・モールに飾られたクリスマス・ツリーの様子で、吹き抜けのフロアー1階から3階にまで達する。

 このモールには出入り口にもツリーが飾られ、他にもLEDのイルミネーションを施し、クリスマス気分を否が応でも盛り立てている。クリスマスというのはフィリピンの人々にとっては、日本の盆と正月が一緒にやって来たようなもので、1年で最大の行事になる。

 この時期、海外に移住、あるいは働いているフィリピン人からのフィリピンに住む身内への送金も増えて、政府の公式発表では2015年度通年の送金額は257億ドル強で、送金額は毎年5%前後の率で増加し、5%増だと今年度は270億ドルに達する。

 この発表される数字も銀行などで公に捕捉できる金融機関経由の額であって、実際はフィリピンへ帰国する人に現金を委託する、あるいは地下銀行のようなものを利用する人もあって、実際はもっと巨額、一説には政府発表の倍に達するのではという話もある。

 この海外の送金額がどれだけフィリピンに価値があるかを見ると、フィリピンの2017年国家予算は3兆3500億ペソで、これを最近の対米ドルのペソ・レートで割ると約676億ドルで日本円に直すと約7兆円になる。

 何かと問題を引き起こしている金持ち自治体である東京都の2016年度予算が特別会計を入れると13兆円になり、この額は北欧スウェーデンや世界で4番目の2億5000万人以上の人口を擁するインドネシアに匹敵する額で、東京都というのが金の面でも肥大した奇矯な自治体であるのが分かる。

 世界で1億人の人口を抱えるフィリピンが東京都の半分程度の予算しか使えないのが貧困の源かも知れないが、スウェーデン並みの予算を持っている東京都がスウェーデンより暮らし良く、福祉も充実しているなどとは誰も間違っても思わない。

 一体この巨額な金はどこへ使われているのだろうかと疑問を呈する人も少なく、オリンピックなどという商業イヴェントに湯水のように浪費され、全く日本の納税者は簡単に洗脳されてしまっていると呆れるばかり。

 また、フィリピンはこの時期に海外からクリスマス・プレゼントと称して身内への大量の荷物が送られ、これをこちらでは『バヤックバヤン・Box』と称していて、直訳すれば『荷物の祖国への帰国』となるが、そのプレゼントも一箱50〜60キロにも達する重さで中味も様々。

 そういった思い遣りは大切とは思うが、中には米だとか日常的な食品も多くフィリピン人が住む在外国の物価はフィリピンより高く、これらを現地で購入して送るよりもそれに費やした金額をフィリピンで消費させた方が内需拡大に繋がると思うがどうだろうか。

 そういう風に数字で割り切れないのがこういった贈り物の気持ちであって、日本だって年末はお歳暮で結構物が動いている。もっとも日本の方は身内というより世間の付き合い方で他人に対して物を贈る慣習だから、フィリピンのように身内対象とはまた毛色が違うのも確か。

 

 とまあ、相変わらずつまらない事を書いているが、例年室内で飾っていた結構大き目のクリスマス・ツリーもここ数年、箱に仕舞い込んだままで飾っていない。そうなるとこの飾らない事が当たり前になって増々縁遠くなり、飾ろうと言う気も起きて来ない。やはり、こういった行事というのは勢いが必要で、このまま何も飾らないクリスマスを迎えても良いのだろうかと考えるが、それ程ツリーを飾る事と生活には関係ないか。



 

author:cebushima, category:この一枚 2016 セブ篇, 18:30
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