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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(30) 最終回 イロイロ国際空港を飛び立ってマクタン・セブ国際空港に帰着

 2015年暮れのこの旅行記も今回で最終回。既に半年以上過ぎた7月に入っていて、記憶の薄れた所も多いが、そのくらいの時間を寝かして書くのも良いと言えば良い。

【写真−1 相変わらず雲は多い】

 

 写真−1はイロイロ国際空港のターミナル・ビルの様子で、セブ行きの飛行機は滑走路に向かって走り始めている。この飛行場を飛び立って海に出たなと思うと、すぐにネグロス島上空に入り、セブ島が間近に迫る。

 30分程度の飛行時間だから上昇したらすぐに下降するような状態で、飛行機に乗るまでの時間の方がはるかに長く、発車1分前でも乗車が可能な鉄道やバスと違う不便さを構造的に飛行機は持っている。

 今回の旅は空路でイロイロに入り、次に陸路をバス、島には船で渡っているが、実はセブ島の北端からは今回訪れたヒガンテス諸島は海上の直線距離は80キロを超えた程度しかなく、バンカ・ボートをチャーターしたら、4〜5時間で行ける位置にあり、そのためかそれらの島にはセブ出身の人が多かった。

【写真−2 かつては潮が上がるような岩礁に造られた住宅群】

 写真−2はマクタン・セブ国際空港への着陸態勢に入った状態で、眼下にマクタン島の住宅地開発の様子が良く見える。

 海峡を挟んだ向こう側はセブ市で、やや大き目で岸寄りにある白い細長いタワーは日本のODAで埋め立てた土地に出来た、フィリピンの小売り最大手のSMのショッピング・モール。

 この埋立地、日本の税金を使って竣工したのに、フィリピンの大手不動産業者の商売の場と化して、ODAで大企業を利するのかと批判はあって、早い話が事業主体のセブ市に騙されたとの話が伝わるが日本も含めて関係者はダンマリ。

 マクタン島はラプラプ市ともう一つの町を持つ島で人口は50万人程度。毎回この上空を通過する度に開発が進んでいるなと思うが、セブ本島と較べれば土地代は安いからこのような小さな敷地で区切られた住宅を作るが、昔から水源のない所で、セブ本島から水道水をパイプで送っていて慢性的に水不足の島にある。

 セブのリゾートというのはこの反対側に固まっていて、最近はリゾート・マンション開発が盛んである。

【写真−3 将来は利用機が増え、機能不全になると予測される空港】

 写真−3はマクタン・セブ飛行場に着陸した時の様子で、ブレーキ用のフラップが立ち上がっている。このフラップいつも見る度に立ち上がらなかったら大事故につながると思って見ているが、今の所はそういった目には合っていない。

 それにしてもこのフラップを作動させる油圧装置など結構華奢な感じを受けるが、まあ大丈夫に設計されているのであろう。

 遠くに管制塔が見え、向かって左側に新しいターミナル・ビルを建設中で、この時は基礎を造っていた。この空港、今は運営を民間に委託していて、そのためか以前と違って乗客本意に動線や設備が改善されている。それはそれで結構だが、空港使用料が高くなっている。

 乗客本意の空港は当然であるが、新しいビルは造れても空港拡張や滑走路の延長は不可能で、いずれ空港として不適な状態になりそうで、マクタン島のマングローブの生える浅瀬を埋め立てて新空港を造る計画はあるが、まだ計画だけの段階となっている。

【了】

 


 

author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 18:58
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(29) イロイロ市に戻ってセブ行きの便に

 イロイロの土産というのはこれといってなく、ビスケットのような焼き菓子がこの地の名物のようで、イロイロ空港ではいろいろな焼き菓子を売っていて、乗客も飛行機の手荷物で預けるほど大量に買い込んでいた。

【写真−1

 イロイロへ行ったら周りから買ってきてくれと頼まれるのであろうが、言って見れば日本でいう『温泉まんじゅう』を買うような感覚なのかも知れない。

 写真−1
はそういった焼き菓子を売る市内にある店の老舗で、家人は小さなダンボールに買い込んでいた。

 このイロイロには『バッチョイ』という名物があって、これは豚や牛の骨を煮込んだスープで、中に麺を入れると日本のとんこつラーメンと似ている。

 なぜ、イロイロは有名なのか良く分からないが、バッチョイを全国展開するフランチャイズ店がイロイロ発祥だからとも言うが、この手の料理はフィリピン中どこにでも昔からある。

 こういった脂っこい味に慣れているためか、フィリピンでは日本式のラーメン店の進出が盛んで、値段は一杯250ペソ以上とどう見ても高い値段設定で、一日の収入が500ペソを超えた程度の労働者にはかなり贅沢ながら流行っている。

 もっとも私などバッチョイはおろかこの手のラーメンは食べたくなく、そういうものを食べていては身体に良くないと思っている。


【写真−2 フィリピン航空など海外出稼ぎのフィリピン人で持っている会社】

 写真−2はイロイロ国際空港のチェック・イン・カウンター。前にも書いたが、以前のイロイロ空港は市内中心に在って便利であったが、今はタクシーを飛ばして40分以上も遠い地に造られ、タクシーでないと行けないようになっている。

 この空港、一日に何便飛んでいるか分からないが、国際空港と名付けているのは、ここから香港、シンガポールに向けて直行便を飛ばしているためで、閑散としているが一応出入国のブースもあった。

 イロイロを含めてパナイ島はお手伝い=メイドの一大供給地で、香港やシンガポールにはたくさんのフィリピン人メイドが働いていて、需要と供給の関係で直行便を飛ばすようになったのであろう。ちなみに香港にはフィリピン人メイドが20万人働いている。


【写真−3】

 写真−3は空港の管制塔で、イロイロというのはどこまでも平地で、新空港を造るにはあまり土地問題は無いようだ。

 セブの空港は急増する利用客に対して現在の滑走路の増設や延長は出来ない状態となっていて、将来はどうするのかと思うがその時になれば何とかなるのがこちらの流儀か。


 

author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 18:04
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(28) 世界遺産 ミアガオの教会を訪れるが滞在は30分足らず

 イロイロ市内から約40キロ、西海岸沿いにミアガオという町がある。ここにはフィリピンの世界遺産になる1993年登録の『教会群』の中の一つがあり、時間はないが再びパナイ島へ行けるかどうか分からないのでやはり行こうとなり、モロ教会前の前にある公園からタクシーに乗る。

【写真−1】

 このような観光客は結構多いのか、値段交渉で手間取ることなくタクシーはスンナリと出発。道中はこれといって風景に特徴のある感じはなく、イロイロ市から離れた場所にどうして作られたか良く分からない。

 写真−1がそのミアガオ教会の正面左からの姿で、使われたこちらの石灰岩は茶褐色だったのか古色蒼然とした堂々とした建物であった。

 この教会、ミアガオの町の名前を付けてミアガオ教会と呼んでいるが正式には『サント・トマス・デ・ヴィリャヌエヴァ教会』という名前で、創建に関わった人物の名前でも冠したのであろうか。

 スペイン植民地時代の1778年から10年ほどをかけて造られ、沿岸を荒し回ったイスラムの海賊に対抗するために砦にもなるように造られている。

 正面両脇にそびえる塔の屋根の形状は右側だか左側を設計、施工した人物が建造中に亡くなったため、後を継いだ人物が別のデザインにしたため、塔屋の形状は違っているが、それが不自然ではなかった。

【写真−2】

 写真―2は教会内部で、モロ教会と同じように結婚式をやっていた。どうも日本流に言えばお日柄がよろしい日となるが、年の瀬と言っても良い日で、カトリックは暮れも正月も関係ないのだなと改めて思った。

 内部は写真でも分かるように外観の堂々とした様子からは、それ程広い感じはしないが、観光化されつつ教会にしては一定程度の秩序が保たれていた。

【写真−3】

 写真−3はミアガオ教会の壁の様子で、厚さは1メートル近くある。これは外部の暑熱を遮るには効果的だが、石灰岩を積み上げて強度を出すにはこの位の厚さを持たないと維持できないとも言える。

 先年あったセブ−ボホール地震の時、ボホール島の由緒ある教会が崩れる被害を受けたが、いざ地震となるといくら厚い壁でも持たなく、この間の熊本の地震でも熊本城の堅固に見えた石垣も被害を受けている。

 こうして250年ほど無事に建っているこの地方には地震がない証拠のようで、そういえばイロイロ地方の地震情報というのは聞いたことがない。

 この教会は良く手入れされていて、窓の色ガラスや鉄格子などじっくり見たら面白い発見はたくさんあると思うが、タクシーを30分ほど待たせての見学で、とんぼ返りのようにイロイロ市内へ戻る。

 



 

author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 19:29
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