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2015年 桜紀行 その−30(最終) 『五大桜のさまざま』 
 今回でこの項を終えるが、もう一度それぞれの樹の全体写真を掲載したい。

写真−1

 ここで五大桜と書いているが、最初に行った埼玉県北本市の『石戸蒲桜』はこの時、デジカメを購入していなかったので写真に撮っていない。東京に近い場所にあるのでまたの機会で写真に収めたい。

 ちなみに樹高は約
14m、幹周囲約6.6mの『カバザクラ』で樹齢800年以上とされる。

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1は岐阜県本巣市の根尾谷にある『淡墨桜』。樹高約17m、幹周囲約10mの『エドヒガンサクラ』。樹齢1500年と推定されている。

写真−2

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2は静岡県富士宮市にある『狩宿の下馬桜』。最盛期の樹高は約35m、幹周囲約8.5mの『ヤマザクラ』。樹齢800年と推定される。

写真−3

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3は山梨県北杜市にある『山高神代桜』。樹高約11m、幹周囲約12mの『エドヒガンザクラ』。淡墨桜と分類上では同じ桜になり、樹齢は2000年ともいわれ、日本の桜で最も古木になる。

写真−4

 写真4は福島県三春町にある『三春滝桜』。樹高約
12m、幹周囲約9.5mの『ベニシダレザクラ』。樹齢は1000年以上とされている。

 最後に俳聖『松尾芭蕉』の詠んだ桜の句を一つ。

 『さまざまのこと思い出す桜かな』
 




author:cebushima, category:2015年 桜紀行, 23:33
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2015年 桜紀行 その−29 『東京は既に若葉繁れる 羽田から日本を離れる』 
 三春へは新幹線を使っての日帰り往復で、行きは大宮から乗車、帰りは上野で降りた。上野に新幹線が通っているのも驚異的で、駅は地下深く作られていたが、降車客は案外と少なく次の東京駅まで行くようだ。

写真−1

 上野駅はだいぶ近代化されたが、まだまだ低い地下通路などに昔の面影が残り、構内広場の鉄骨組みも昔と同じ。駅舎の外観は変わっていないがその上に高層ホテルを建てる計画があったがどうなったのであろうか。

 上野で降りてアメ横まで足を伸ばす。写真
1がガード沿いアメ横の通りで、4月の半ば過ぎというのにまだ陽が落ちると肌寒く、結構厚着の人が多い。

 アメ横の賑やかさはいつもと変わらないが、行き交う言葉は中国語ばかりで、その他韓国語も混じり日本人はどこへ行ったのかという雰囲気。中国人の日本訪問熱は急増していて、この年は前年の倍近くになったという。

 また、中国人が土産を大量に買う行為を『爆買』などと面白おかしく日本のマスコミは取り上げたが、バブル時代の日本人がヨーロッパでブランド品を買い漁ったのと同じでそのレベルは同等だし、経済効果は抜群というから疎かには出来ない。

 それにしても中国人は何を買って行くのか分からないが、中国産の品物の品質が劣るという事なのだろう。

写真−2

 写真
2は知人の家を訪ねた時に見た選挙ポスター。そういえば4月というのは統一地方選挙のある月で、日本中自治体選挙をやっていた。過去形になっているのは今やバラバラに選挙をやるような状況になっていて、統一にならなくなった。

 必然盛り上がりも欠けるだろうと思うが、写真のポスターは区議会だと思うが、掲示板からも何となく低い投票率の選挙風景というのを感じる。

 そんなポスターよりも周りの木々に若葉が目立ち、雨が小振りのせいもあって清々しい色合いを感じた。

写真−3

 そうして、東京を離れる日が来て、帰りの便は羽田空港から出発した。写真
3がその羽田空港ビル内のチェックイン・カウンター付近の様子で、このビルは国際便向けに最近オープンした。

 羽田はかつては国内便専用だったが、今や成田と二分する国際空港になっていて、都内からの足の良さもあって伸びる一方である。

 羽田は海を埋め立てて拡張しているが、遠い成田に空港を造らず羽田に集中して増設すれば良かったなどという後出しジャンケンのような反省も出ているが、時既に遅しで、政治というのはこの程度の物かと思わざるを得ない。


 
author:cebushima, category:2015年 桜紀行, 19:08
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2015年 桜紀行 その−28 『春の陽の長閑な三春町で見た 福島第1原発爆発の爪痕』
 三春町は人口18千人、標高400mほどの谷間に開けた旧城下町になる。田村郡三春町となっているように田村氏が始まりだといい、旧三春城跡は残っているが、町の急坂を上がるような稜線上にあり行くのを止めた。

写真−1

 写真
1は本通りから少し入った寺で写していて、山門の向こう側に枝垂れ桜が満開であった。寺の名前は忘れたが城主だった人物の菩提寺であるようなことが看板に書いてあり、それなりに由緒はあるようだ。

 写真でも分かるように石碑が山のように寄せ集められていて、こちらの方に興味を持った。三春にはこの他にも寺が多く、時間があれば寺と桜巡りに費やしたいところである。

写真−2

 そうやってノンビリ駅に向かって歩いていると写真
2の看板を見つける。福島第1原子力発電所の爆発により広範囲に放射能は拡散したが、三春町も例外ではなくこのように『除染』作業をしている。

 この除染作業、震災支援で東北を回った時、いわき市駅前で目撃したことがあって、高圧ホースで屋根を洗っていた。どう見てもこれは放射能物質を拡散しただけで、後は雨水に混じって排水溝から川に入り、海へ流れて行き海を汚染するだけの作業で、自分の庭は綺麗だと自分のゴミを道路にぶちまけているのと同じで、何の解決にもならない。

 そういう除染作業に何兆円もの巨費を投じているとは日本とはおかしな国である。しかも、除染とはいいながら人の住む周りだけで、山林など手つかずで、これでは原発行政の単なるアリバイ作りでしかない。

 三春町には全町避難をした富岡町の小学校と中学校計4校が開設されている現実を忘れてはならない。

写真−3

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3はそういった原発の暗い思いを断ち切るかのような、駅近くの公園の様子。正に満開。こういった環境で遊べる子どもは幸せだと素直に感じられる光景である。

 最後に三春町出身で有名なのは世界で初めて女性としてエベレスト登頂を成し遂げた『田部井淳子』がいる。

 田部井がエベレスト登頂に成功したのは
1975年、勿論日本人女性として初めてで、2番目の日本人女性登頂者は1996年の『難波康子』だが、難波は登頂後遭難。この遭難をテーマにこの間『エベレスト』という映画が作られ私も観た。

 田部井が育った三春の丘陵が後年の大登山家を育てたかと思うと、感慨も深い。


 
author:cebushima, category:2015年 桜紀行, 22:53
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