タイ鉄道 各駅停車の旅 (20) 特選写真 その−3 最終章
-
2015.09.24 Thursday
19章に渡って綴ってきた『タイ鉄道各駅停車の旅』も、本章の(20)で終了とするが、この旅行は何の目的も持たない足に任せた旅程で、それでいて時間もあったし資金も珍しく潤沢だった。
結論から言えば旅は貧乏旅行の方が面白く、同時に連れ合いが居た方がより良く、一人旅の世界はもう卒業という年代を感じざるを得ない。
写真−1
写真1は路線で多く見た無人の停車場で、周りは雑木林や畑に囲まれた、辺りには人家の見えない場所に作られている。
それでもタイ国鉄幹線上の駅の一つになり、上り下りの停車本数は1日7本あることが、駅舎というか小屋の壁に掛かる黒板の時刻表で読み取れる。
この小屋などまだ回りを壁に囲まれてマシな方で、屋根だけあって四方吹きっ晒しという駅も結構あった。
こういった無人駅では乗降時の切符販売、回収はどうしているのかと気になる所だが、日本のように使用済み切符は回収しないから、無賃乗車はかなり多いのではと思うがどうであろうか。
写真−2
写真2はタイからラオスに抜ける入国ルートの一つで、タイ・ウボンラチャターニーからバスに乗って小1時間で国境に着く。
タイ側の出国を済ませるとラオス側へは写真のような地下道を歩いて行くようになっていて、しかもこの地下道行く手で『くの字』に折れ、不思議な感じを抱く。
タイとラオス間の関係は悪くないのに、まるで国境紛争に備えているようだが、車の通過状態は暇で閑散としていたし、ワザワザ人間を地下に潜らせて国境を行き来させる理由は分かり難い。
国境を越えるのに地下道を通ったのは恐らく初めての経験だと思うが、足を踏み入れる時は何となく気味が悪かった。
写真−3
写真3はウボンラチャターニーで見た光景で、この日はなぜか坊さんの姿が目立ち、公園のあちらこちらで写真のように座り込んで食事をしていた。
タイもラオスも仏教国といわれるように寺が多い。その様式は日本の木造建築の寺に慣れ親しんだ目にはけばけばしさを感じるが、こういう熱帯の地ではその派手さが映えることも事実。
坊さん達が着ているお馴染みの僧衣は新しいとオレンジ色という表現で当てはまるが、坊さんにオレンジ色はないだろうと思って調べたら、この色は『檜皮色』とチャンと日本語にはあった。
檜皮だから檜の皮の色となるのだろうが、檜の皮の色はこんなにオレンジっぽくはなかったと思うが、僧衣も長い間に洗濯して陽に晒されると変色し、やがて檜皮色になるようだ。
考えてみればタイでは高位の僧でも皆同じ檜皮色の僧衣を着ていて、日本のように階級によって僧衣の色が違ってくることはないようで、その意味では日本の坊主世界は俗と言えば俗と言えなくもない。
これはカトリックの神職者が被る帽子の色で階級を区別しているのと同じで、共通点がある。それともタイでもラオスでも高位の坊さんを見極めるための何かの飾りや仕掛けがあるのだろうか。
写真−4
写真4は本シリーズ最後の写真となるが、ラオス・タナレーンからタイ・ノンカイを結ぶ国際列車の様子で、今しもノンカイ駅のホームに到着という一コマになる。
列車は前方に停まる列車後尾手前に停まり、タイの入国事務所はホームを降りて、線路を越えた次のホームにある。
今回、タノンチラからウボンラチャターニーへ行く路線に乗ったことでタイ国内にある国鉄の幹線はバンコクーチェンマイ路線と小さな枝分かれ線を除いて乗車したことになり、次の機会にバンコクーチェンマイ線の乗車を試みたい。
タイ鉄道 各駅停車の旅 (19) 特選写真 その−2
-
2015.09.20 Sunday
タイの鉄道はほとんどが単線で、当然逆から来る列車とはどこかですれ違うために待機する。
写真−1
写真1はその様子で、駅はどこか忘れたが、こちらの乗る列車が駅構内で長く待たされた。
向こうの列車はバンコクから来た長距離列車で、エアコン付きの車両や寝台車も編成されている。
写真を見ても分かるように電化されていないので架線はなく、全線ディーゼル機関車が牽引している。
鉄道マニアなら機関車を見て『何の何型』とたちどころに分かるだろうが、当方は特に興味はなく、せいぜい韓国製の機関車のようだと思うくらい。
写真−2
写真2はとある駅の駅員の作業風景で、制服制帽に身を包んだ駅員が列車を待つ間に作業をしているが、このホームに立つポストは運行を管理する『タブレット』をかけるポストだと思うが違うかもしれない。
いずれにしても糊のきいた折り目もしっかりした制服を着ている駅員はそれなりにタイでは名誉ある職業のようだ。
ホームにある木のベンチが横になって寝るには良さそうで、昔、JRが国鉄と言っていた時代に寝袋で駅の待合室で寝たことを想い出したが、今の日本そんなことをしたら『不審人物』として警察が出て来るだろうから、日本も嫌な時代になったものだ。
写真−3
写真3は写真1や2のようにしっかりした駅舎やホームを持たない無人駅の様子で、駅と言わずに『停車場』と分類しているらしい。
まだこちらなどホームがそれなりにあってマシで、中には小屋だけしかない駅もあり、客は直接地面に降りていた。
日が暗くなってからの列車の到着は無いと思うが、どう見ても電灯などなさそうで、真っ暗であることは間違いない。
この写真を見て分かるように駅の周りは畑だけで、家らしいものはない。鉄道が敷かれた頃は集落もあったのかも知れないが、自動車用の道が発達して、集落はそっちの方に移っているのだろうか。
写真−4
写真4はコーンケーンの町にあった踏切で、町をブラブラ歩いている時にタイミング良く、機関車がやって来た。
写真1の機関車と同じ形式かどうか分からないが、それなりに堂々と驀進して通り過ぎた。
こういう大きな町の踏み切りはしっかり遮断機が下りて通行させないようにしているが、地方に行けば直前まで列車が来ても踏み切りを横断する者が多いとは前に書いた。
タイの新聞にはそういった踏み切り死亡事故が頻繁に起きていて、運行本数と較べると事故の確率は高そうだ。
タイ鉄道 各駅停車の旅 (18) 特選写真 その−1
-
2015.09.17 Thursday
(1)から(17)まで各回6景の写真を紹介してきたが、その他に印象的な写真があるので掲載したい。
写真−1
写真1は世界一短い国際列車と知られるラオス・ヴィエンチャンからタイ・ノンカイへ行く際に購入したチケットで、値段は20バーツ。
ラオスの貨幣単位はキップというが、この路線はタイ国鉄の管理、運行のため支払いはタイ通貨のバーツになる。
20バーツというのは日本円で70円程度になるが、15分の乗車時間を考えるとかなり高い。
記憶はうろ覚えになっているが5時間くらい乗った区間で60バーツくらいだったような気がする。
勿論、一番安い席のエアコンなしの普通座席になるが、各駅停車の列車には普通席しかないから選びようがない。
それにしても全体に物価は安目のタイでも、こんな安い料金徴収では利用者としてはありがたいが、タイ国鉄の赤字は免れないだろう。
写真−2
写真2はウドンターニから列車がバンコク方面に南下する途中駅のコーンケーン駅のホームの様子。
全体に利用客の少ない各駅停車だが、コーンケーンのような大きな都市の駅に来るとかなり乗り降りも多く、ホーム上はそれら乗客の動きは活発でタイの生の姿を垣間見ることが出来る。
特に日本ではほとんど見られなくなった天秤棒で荷物を運んでいる姿はタイではまだかなり残っていて、見とれてしまう。
写真−3
写真3はタイ東北部、ラオス国境近くのウボンラチャターニーへ向かう路線の車窓から見た『虹』。
タイも雨季に入っているが全体に雨の降らない状況で、路線の光景は乾いた畑が続いていた。
それでもラオスの方に近づくに連れて、畑にうっすらと草が生えて茶色一色から緑の模様が見えるようになり、少しは雨が降っているようだ。
虹が出たくらいだから驟雨が一帯を過ぎたようで、虹というのは何となく希望とか未来を感じさせてくれてどこで見ても印象深い。
写真−4
写真4は通学時間帯にぶつかった時の車内の一枚で、タイの高校生といった感じの女学生。
席に着くなり携帯電話を取り出して何やらやっているのは、もう万国共通の風景で驚くことではないが、通学時間中に友人と語らう面白さを失っているのも事実。
こういった学生、やはり男女別に席を占めるのも万国共通、何となく五月蠅いのも同様だった。
写真の仲良し4人組は駅を違えてパラパラと無人駅のホームに降りたが、一帯は木の繁った寂しい所で列車に乗り遅れたら明るい内に帰れない。
そんな時のために携帯電話があるのだろうが、携帯電話というよりゲーム機になっている現在、電話として使えるのかと余計な事を考えてしまう。