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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−145 【13日目−10 米子駅−富士見町駅−三本松口駅】 『鬼太郎』列車に乗って終点の『境港駅』へ

 日本海にある隠岐の島へ渡るために『米子駅』から出る境線終点の『境港駅』へ行き、同港から出るフェリーに乗船するが、境線と境港市は同市ゆかりの漫画家『水木しげる』を観光資源として活用している。

 

【写真−1 こういうのが好きな人には堪らないワンマン車両】

 

 『米子駅』0番線ホームに待ち構えていたのが写真−1の『境港駅』行き各駅停車列車で、後部車両の前面右側に『目玉おやじ列車』と記され、湯船に入る目玉おやじのイラストが描かれているのが最初に目に入る。

 

 1902(明治35)年に現在の山陰本線の『米子駅』−『御来屋駅』が敷かれた時に『米子駅』−『境駅(現境港駅)』間も敷かれ、山陰地方における最初の鉄道路線の歴史を持つ。

 

【写真−2 シーズンになればかなりの混雑になるという】

 

 境線では『ゲゲゲの鬼太郎』に因んだイラスト列車を1993(平成5)年に始まり、意外にも初代は『ねこ娘』からで、現在運行しているのは『こなき爺(2代目)』、『砂かけ婆(2代目)』、『ねずみ男(3代目)』、『ねこ娘(3代目)』、『目玉おやじ(3代目)』、『鬼太郎(5代目)』の6種類が運行中で、使用車種は『キハ−40系気動車』。

 

 写真−2は『目玉おやじ車両』内部の様子で、座席の背あてに目玉おやじのシールが貼られ、背あての下部には『PHOTO SPOT』と描かれ目玉おやじのイラスト部分に手を添えて写真を撮るように指示されていて、この手のファンには嬉しいようだ。

 

【写真−3 こういうイラストをバックに写真を撮る人が多い】

 

 列車は2両編成で運行されていて、写真−3は『目玉おやじ車両』に連結されている車両で『ねずみ男』のイラストが目立つが、前面右上に黒字で『鬼太郎列車』と記されているので5代目の新しい車両と思われる。

 

 『鬼太郎列車』は何度もイラストが交換されているので、過去の車両と紛らわしいが先述したように現在は6種類が運行されているが、どの車両がどうとかまでは興味はないので、この車両には立ち入らなかった。

 

【写真−4 他の車両天井にも別のイラストが描かれているだろうか】

 

 写真−4は座った『目玉おやじ』車両の天井に描かれている『目玉おやじ』の大きなイラストで、小さなこどもなら怖がるような迫力があり、同車両にはエアコン設備はあるが、天井に扇風機や蛍光灯が直付けで残されているのは何かの意図があるのであろうか。

 

 この『目玉おやじ』水木しげるが生み出した妖怪で、『鬼太郎』の父親として左目にあり、身長9.5センチ、体重33.25グラムあって、写真−1の前面に描かれているよう『茶碗風呂』が趣味になっていて、想像上のキャラクターのために色々細かく奔放に設定されている。

 

【写真−5 この町から大山(別名伯耆富士)を望めたのが駅名の由来】

 

 『米子駅』から2つ目の駅が写真−5の『富士見町駅』で、駅名の下に『後藤総合車両所 最寄り駅』と記されているように、同駅から線路に沿ってJR西の車両基地と車両工場があり、そのために気動車を走らせている非電化の境線だが電車を車両基地に入れるために『米子駅』から次の『後藤駅』までは電化されている。

 

 境線の各駅には『ゲゲゲの鬼太郎』に出て来る妖怪に因んだ愛称が付けられていて、同駅は『ざしきわらし』になり、『米子駅』寄りの『博労町駅』と『富士見町駅』間の実質距離は420mで、これはJRの駅では駅間距離最短となっている。

 

【写真−6 米子市内の住宅地で線路にかなり近い】

 

 写真−6は『米子駅』から4つ目の『三本松口駅』で、写真でも分かるようにこの辺りの沿線は住宅が迫っていて、JR路線というより路面電車の路線のように見えるが、境線は山陰でも鉄道路線嚆矢の路線でそのために駅間は離れていたが、1987(昭和62)年にJR西はこの駅を含めて境線に多くの新駅を誕生させ、同駅の愛称は『そでひき小僧駅』。

 

 先述した『富士見町駅』と『三本松口駅』の間に『後藤駅』があり、同駅は1902(明治35)年に開設された古い駅で、1926(大正15/昭和元)年から1938(昭和12)年までは『米子駅』から『皆生温泉』を結んでいた路面電車が駅前を走っていた。

 

 駅名の由来の『後藤』というのは、山陰本線と境線の鉄道敷設に最大の功労者であった米子の豪商、政治家の『後藤快五郎』の名前を取ったもので、同駅の愛称は『どろたぼう駅』。

 


 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 19:37
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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−144 【13日目−9 荒島駅−米子駅】 境線終点の『境港駅』へ行くために米子駅で乗り換え

 今回の旅は西日本、四国、九州の海岸沿いに敷かれている鉄道を利用して廻っているが、日本海側にはいくつも島がありこの機会に渡ってみようと調べ、距離や便利さから『隠岐の島』へ行くことにし、フェリーの出る『境港駅』を目指す

 

【写真−1 古代の安来地域は出雲王朝の神聖な場所であった】

 

 写真−1の『荒島駅』は既に鳥取県県境の安来市にあり、同市は滑稽な泥鰌すくいの民謡『安来節』で知られるが、出雲神話の豊富な地域で、古来より朝鮮半島との交易も盛んで、特に和銅や和鉄の生産地として歴史に名を残す。

 

 同駅は中海に近い平凡な山陰本線の無人駅だが、1928(昭和3)年開通の一畑電気鉄道『広瀬線』の起点駅で、内陸部の広瀬町まで7駅、8.3キロの路線であったが、1960(昭和30)年に廃線となった。

 

【写真−2 米子市は鳥取県内人口2位の14万4千人を擁する】

 

 10:01に『出雲市駅』を出た各駅停車列車は11:14に写真−2の『米子駅』に到着し、同駅で境線に乗り換えるが境線終点の『境港駅』行きは11:37なので、乗り換え時間に余裕はある。

 

 2019年の『ジャパンレイルパス』の旅で、『米子駅』に特急で到着した時に車窓から立ち食いそば屋がホーム上に見え、『吾左衛門そば』という看板の店は食べてみたいと思ったが、乗り換え時間が中途半端なので今回も見送った。

 

 

 『米子駅』は鳥取県内では『鳥取駅』に次ぐ数を誇り、山陰本線と境線の起点駅であるが、岡山方面に向かう伯備線の離発着駅ともなっていて、県内では最もホームの多い駅でもあるが、2023(令和5)年に竣工した新しい駅舎は橋上から地上のホームへ降りるようになっている。

 

 戦前には駅前から路面電車が皆生温泉方面へ敷かれ、1924(大正13)年から1967(昭和42)年まで『米子駅』から徒歩で10分ほどの場所にあった『米子市駅』から法勝寺電鉄線が運行されていた。

 

 法勝寺電鉄戦は11駅、12.4キロの本線と5駅5.5キロの支線があり、同路線で使われていた電車が保存されていて、特に1887(明治20)年にイギリスで製造された『フ−50形客車』は国内に現存する木造鉄道車両として文化財級の価値がある。

 

【写真−3 人口に比例して山陰本線で利用客の多い直営駅】

 

 『境港駅』へ行く境線に乗り換えるために跨線橋を渡るが、ホームから写真−3の薄紫色の車両が見え、これは『出雲市駅』−『岡山駅』間を走る特急『スーパーやくも13号』で10:30に『出雲市駅』を出て、『米子駅』は11:23に、最終目的地の『岡山駅』には13:38に到着する。

 

 『出雲市駅』から乗った各駅停車列車は途中で追い抜かれているが記憶にはなく、この『スーパーやくも』は1日上下往復10本が運行されていて、山陰地方と瀬戸内海側を結ぶ主要な特急となっている。

 

【写真−4 車両の色は明るくて悪くはないが微妙な感じもする】

 

 写真−4は『スーパーやくも』の後尾側だが、この薄紫色に塗られた車両は『国鉄381系電車』で、国鉄という言葉が入っているように1973(昭和48)年から1982(昭和58)年まで277両が製造された。

 

 同車両の特徴は山間部のカーブの強い路線を走るように振り子の原理を採用して安定を図っていることで、各地で走るがクリーム色の地に窓を挟んで赤い帯が引かれている姿は国鉄特急として馴染み深いが、『米子駅』に停車中の車両はまた別の色になっている。

 

 この薄紫色はかつて走っていた『特急やくも』の色を復刻したもので、同色の車両にはパノラマ車両の『スーパーやくも』があり、写真の車両は運転席が屋根に突き出た昔からのデザインで、2019年の『ジャパンレイルパス』の旅に『岡山駅』から『松江駅』まで乗車したのはこの色の車両ではなかった。

 

【写真−5 右側の階段に『ねずみ男駅』のイラストが】

 

 跨線橋を渡って降りた境線のホームは写真−5で分かるように0番線で、ホームの右側が1番線なので0番線になったのだが、0番線ホームというのは珍しくなく日本には40駅ほどあり、東京でも日暮里駅と綾瀬駅に0番ホームがある。

 

 駅のホーム番号の付け方は駅舎に近い方から1番線と名付けるのが基本で、それが何かの事情で駅舎側にホームが必要になった時に0番線と付けるようで、確かに『米子駅』0番線は駅舎に近く、同駅では『霊番のりば』と称している。

 

【写真−6 この手の物が好きな人間には堪らないだろうな】

 

 境線の終着駅『境港駅』のある境港市は漫画家の『水木しげる』の出身地で、そのために境線は代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』を観光資源にしていて、ホーム上には写真−6の『妖怪の国へようこそ』と記された幟を持った鬼太郎と目玉おやじの像が置かれている。

 

 この他に同駅には木彫りの『ねずみ男』の像が置かれているらしいが、そこまでは関心はないので探す気はなく、ゼロ番線ホームに停まっている11:37発『境港駅』行きに各駅停車列車に乗車するが、『ゲゲゲの鬼太郎列車』と名付けられているように外装から内装まで『ゲゲゲの鬼太郎』に因んだ意匠が施されている。

 


 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 23:17
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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−143 【13日目−8 来待駅−玉造温泉駅−乃木駅】 山陰本線は宍道湖沿岸を間近に通過して『松江駅』へ

 海と繋がる『汽水湖』の宍道湖は島根県の出雲市から松江市にかけて広がり、島根県では隣の『中海』に次ぐ広さで国内7番目の面積を持ち、その湖岸沿いを山陰本線は走る。

 

【写真−1 海と呼んでも良いこの広さ】

 

 『宍道駅』を出ると山陰本線は写真−1のように国道9号線を挟んで敷かれ、宍道湖の広がりが車窓から見え、海と違った春らしい湖面が目に入るが、同湖の水深は平均4.5mとかなり浅い。

 

 同湖は汽水湖の性質上、魚介類の種類は豊富で、特に『ヤマトシジミ』の特産地として知られ、また水鳥の渡来場所でもあり、2005(平成17)年に『中海』と共にラムサール条約に登録された。

 

【写真−2 宍道湖湖畔がこういう銘石の出る産地とは知らなかった】

 

 『宍道駅』から次の駅が『来待(きまち)駅』で、同駅と次の『玉造温泉駅』間は複線区間になり、写真−2の駅舎横のホーム上には『出雲石燈ろう・建材 来待石の原産地』と刻まれた碑が石と共に置かれている。

 

 来待石は1400万年前に生じた凝灰質砂岩で、駅のある来待地区は世界でも稀な産地として知られ、古くは古墳時代の石棺に使われ、近世になって花崗岩が多かった石灯篭の材料から加工し易い来待石が使われ、1976(昭和51)年には石工品では初の伝統的工芸品に指定された。

 

【写真−3 彼方に見える建物群は温泉街か】

 

 写真−3のようにしばらく山陰本線は宍道湖湖岸を舐めるように進むが、先述しているが2019年の『ジャパンレイルパス』を利用して『新幹線全線乗車の旅』で、『松江駅』まで足を延ばし夕暮れの宍道湖を眺めたが、その時は強風が吹いて湖面は波立ち、非常に寒い思いをした。

 

 『ジャパンレイルパス』は日本を訪れる外国人のためのJRが実施している特別パスだが、例外があって海外に住む日本人でも10年以上日本の在外公館に在留届が続いていれば資格があってそれを利用したが、この時は初めてグリーン車の7日間有効を床ったが、『東京駅』−『新函館北斗駅』間の北海道新幹線を往復利用すると支払代金と同等で、いかにこのパスが優遇、お得ということが分かる。

 

【写真−4 有名な温泉地のためか年配者の降りる姿が目立った】

 

 宍道湖の周りは温泉が多く、写真−4はその名もズバリの『玉造温泉駅』で、同駅は松江市玉湯町湯町にあり、いかにも湯の豊富な温泉地の印象を与え、そのために1909(明治42)年の駅の開業時には『湯町駅』で、1949(昭和24)年に現駅名に変わった。

 

 玉造温泉は駅から離れた地域にあるが、開湯は奈良時代と言われ『枕草子』に書かれているような名湯で、山陰地方の城崎温泉、皆生温泉、三朝温泉などと並ぶ代表的温泉で、高級旅館が多い。

 

【写真−5 鉄道史の中で異色の過去を持つ駅】

 

 『松江駅』手前が写真−5の『乃木駅』で松江市のベッドタウンのためか駅前風景は住宅が広がる平凡な無人駅だが、同駅は日本の鉄道史の中では特筆される駅として知られる。

 

 同駅の駅舎の壁の駅名板の下に『国鉄初の女性駅誕生駅 昭和55年(1980年3月)』と白い板に黒字で書かれた銘板が張られていて、この時代の日本は『赤信号みんなで渡れば怖くない』が流行り、多くの国がボイコットしたモスクワオリンピック、時代は男社会でその中での初の女性駅長は確かに凄い。

 

【写真−6 松江では過去に一泊したが何を食べたか覚えていない】

 

 『松江駅』は高架駅なので手前から山陰本線は写真−6のように高架になっていて、その上から松江市街地が臨め、松江市は人口20万人弱の島根県で最大の都市になるが、とは言っても県全体の人口が64万人で、都道府県では下から2番目の人口規模で、最下位は隣の鳥取県の53万人。

 

 山陰地方には高層のビルというのは少なく宍道湖畔に山陰合同銀行本店ビルが14階で一番高く、写真−6の真ん中辺にそのビルは見え、2番目が13階の島根銀行ビルで、こういう威容を誇るビルを建てるように島根は銀行が絶大な権力を持っていることが分かる。

 

 その松江市内に19階建てのタワーマンション計画が持ち上がっていて、しかも国宝の松江城近くに建つとあって、かなり建築許可を巡って揉め2024年春着工予定とあってその後の推移は分からない。

 

 しかし2016(平成28)年に竣工した山陰合同銀行ビルの高さが66m、今回のタワーマンションが57mと少し低く、両ビルはどちらも松江城に近く、銀行ビルを建てさせて今更景観がどうのこうのというのは整合されず、やはり銀行のつまらぬメンツが邪魔しているのかと勘繰る。

 


 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 21:31
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