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バタネス紀行 2017 その−(56) バスコの町 点描−3

【写真−1 バレーボールの練習も盛んにやっていた】

 

 

 この時期、写真−1のバスコの運動場では野球が盛んで、これは女性チームの試合。ピッチャーがなかなか速い球を投げていて馬鹿にならない動き。こういう試合もこの月に全州挙げてのスポーツ大会があるための練習という。

 

 

【写真−2 売っているのは良く分からないが国内TVの影響が強そう】

 

 

 学校の多く集まる運動場近くのお店の様子が写真−2。放課後にこういった店に群がるのはどこの国でも同じで、昔の日本の駄菓子屋の世界を思い出した。ここには左の方にアイスクリーム製造機があり、値段も安い。

 

 

【写真−3 フィリピン最北の州でも装いはマニラ辺りと変わらない】

 

 

 別の場所でのアイスクリーム売場が写真−3。ここは少し年齢の高い子どもが来ているが、バタネス州はミス・コンテスト優勝者を多く出している地域で、その眼で見ると確かにスラッとし、姿勢の良い女の子が多く身長も高い。

 

 

【写真−4 他の場所では小さなロブスターを売っていた】

 

 

 泊まっているホテル角に夕方間近に出現する『魚屋』が写真−4。ここでは磯で獲れる色々な魚を売っていた。その魚を計るのが手前に見えるデジタル計量機で、そんな物が必要なのかとも思うが、人間よりは信用できるのであろう。

 

 

【写真−5 軽い塩で一夜干しの飛び魚の開きならたくさん買いたいが】

 

 

 写真−5は『DAY OLD』と書いてあるように一夜干しの干物。この時期は飛び魚を干物にしているが、日本人が思うような少し生っぽい一夜干しではなく、かなり塩気が強く、食べ方も油を引いたフライパンで揚げる。

 

 

【写真−6 今は昔と違って切れる鋏を使うようになって安心】

 

 

 最初バスコの町をブラブラ歩いた時に見つけた離島でも腕の良さそうな感じの『美容店』が写真−6。クーラーもあり髪を切るには美容店の方が良いと思って行くが、この日は結婚式があってそちらへ出張していて臨時休業で残念。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 20:06
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プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018 その−(9) プーケット旧市街行き当たりバッタリ−5

【写真−1 どこに旅行しても市場へは行く】

 

 市場の前から『パトン・ビーチ』へ行くバスが出ていると聞いて確かめに行く。写真−1は道路から数段ある階段を上がった市場内部で、かなり大きい。右側の方に小間割りした小さな店が並ぶが、1階は小さな屋台風の店が並び胃袋を満たしている。


【写真−2 仏事に花を飾ることの多いタイ】
 

 その市場の地下の花売り場が写真−2。奥の方には生鮮野菜を扱う小さな店があって、売っている品物はかなり新鮮でこういう市場は奥へ奥へ行くほど面白くなるが、今回はバスがどこから出るかを確かめるためにサアーッと見ただけであった。


【写真−3 外国人観光客も多く乗る】
 

 市場の前の通り全体が停留所になっているようで、写真−3は目当ての『パトン・ビーチ』行きのバス。バスとはいってもトラックを改造していて、フィリピンのジプニーの大型車という感じで、座席に人が埋まれば出発というその辺りは全く同じ。


【写真−4 深煎りの豆だが味の方は試飲出来ず残念】
 

 同じ通りを歩いて行くと、店先からコーヒーの香りがした。写真−4がその店で、ここではコーヒー豆を焙煎して売っている。プーケットでコーヒーを栽培しているのか分からないが、興味を持って店の中に入ったが誰もいないので諦めた。


【写真−5 この辺りに来るともう観光地という感じはしない】
 

 コーヒー豆屋の先に写真−5の鳥籠をぶら下げた店があった。中国人は小鳥を飼うのが好きで、中国系の多いプーケットで商売になるのであろう。面白いのは鳥籠で、様々なデザインで作られ、一つ求めて持って帰りたいくらいである。


【写真−6 いわゆるヴェジタリアン向きで値段も安い】
 

 だいぶ外れにあった食堂で、写真−6のように店構えはタイの普通の食堂風だが、売っているのは全く肉を使わない精進料理で看板に『和善素食』と漢字で書いてあった。肉食の多いタイで商売になるかと思ったが、客はやって来ておかずを持ち帰っていた。


 

author:cebushima, category:プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018年, 18:23
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この一枚2018年 セブ篇 その(3) 昔の映画のポスターから (下)

 前回に続いて、真ん中のポスターは1955年公開の『理由なき反抗』。赤いジャンパーとジーンズの組み合わせに当時のアメリカの若者の姿を強く感じさせるが、これもジェームス・ディーンが着ていたから似合っていた。

【この店あまり客が来ないようで大丈夫なのかな】

 ディーンは最初の主演作『エデンの東』で脚光を浴び、翌年の『ジャイアンツ』撮影終了後に自動車事故で亡くなり、3本しか映画を残さなかった。と巷間には伝わるが、実際は1951年の『折れた銃剣』でその他大勢の役者として初出演し、1953年の『勝負にかける男』まで計5本の映画に出ている。

 監督のエリア・カザンに見出されて『エデンの東』に抜擢され、瞬く間に映画史に輝くスターとなったが、1955年9月30日、自らが運転する車で事故に遭い、24歳で世を去った。

 この時乗った車が屋根のないレース仕様の『ポルシェ550スパイダー』で、ディーンはポルシェ好きで普段乗っていたのは『ポルシェ356』という、非常にクラシックな形をしているが、後継車種の今出回っているポルシェ911シリーズなど子どものデザインに見えるくらい車として完成されている名車である。

 ディーンはレースに参加するために州道を移動していたが、Y字路で左折してきた車が側面に激突し、ディーンは車外に放り出されて即死。同乗者もぶつかって来た車の運転手も骨折程度で済んでいるからディーンは運が悪かったとしか言いようがない。

 今と違ってシートベルトが完備していたのかどうか分からないが、シートベルトを着けていたら助かる可能性もあるが、運転席側に車が衝突しているので、シートベルトをしていても即死は免れない大事故であった。

 この事故地点には祈念碑があり、その写真を見ると現場は木や建物のない見通しの良い場所で、双方が車を認識していたにも拘らず、衝突したのは一時停止を怠った相手の車に問題があるとされている。

 さて、映画に戻るが『理由なき反抗』と共演したのが、この時17歳の『ナタリー・ウッド』。ウッドは子役からスタートした俳優で、出演作は数多いが一番記憶に残るのは1961年公開の『ウエストサイド・ストーリー』のマリア役で、この作品は第34回アカデミー賞では作品賞以下10部門で大量受賞した。

 この時の主演女優賞は『ふたりの女』のソフィア・ローレンが受賞し、同じノミネートに『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンが入っていたからウッドの受賞は難しかったであろう。

 しかし、助演男優賞に共演したジョージ・チャキリスがモンゴメリー・クリフトやピーター・フォークといった名優を押し分け、助演女優賞でもジュディ―・ガーランドなどを押し分けリタ・モレノが受賞している。

 さて、このウッドだが、43歳の時の1981年11月29日、映画を撮影していた時の合間に湖で水死体で発見され、その時は事故死として処理されたが、ヨットに同乗していた夫である俳優のロバート・ワーグナーによる他殺ではないかとの疑惑が持ち上がった。

 検死報告書には複数の打撲の痕跡があり、一度は事故死から不審死として捜査も行われたが証拠が不十分で捜査は打ち切られた。しかし、2018年になって新たな目撃者が出て、ワーグナーを警察は重要参考人として聴取を求めるが、ワーグナーは聴取を拒否していると伝わる。

 36年前以上の事件を掘り起こすアメリカの警察も大したものだが、金さえ積めばアメリカは弁護士も優秀なのが多いから、この手の事件は『藪の中』になって真相は分からなくなるのではないか。

 こうして長々書いたが、この『理由なき反抗』で共演した二人が若くして不慮の死を遂げたのは、何かが二人の符号、運命を指し示していたのではないかと思わざるを得ない。

 右から2番目は1939年公開の『風と共に去りぬ』。ただし、日本公開は戦後の1952年だからかなり遅い。1939年というのは日本では昭和14年になり、9月にナチス・ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発した年で、日本は日本軍がソ連軍と軍事衝突をした『ノモンハン事件』が起きた。

 そういった戦争へまっしぐらの時代に『風と共に去りぬ』の様な超大作が作れたのもアメリカは当時、ヨーロッパの戦線に介入しないと声明し、内向きの時代であったためである。これが徐々に介入し、2年後の日本の真珠湾攻撃によって全面戦争に入って行く。

 ポスターに戻るが、男優はクラーク・ゲーブル、女優はヴィヴィアン・リーでヴィヴィアンは第12回アカデミー賞主演女優賞を新人で獲得。1951年にも『欲望という名の電車』で2度目の主演女優賞を受賞している。

 ヴィヴィアンは舞台俳優出身で、『風と共に去りぬ』の主演女優が決まらないまま撮影に入った撮影所を見学に来て、見出されたのは有名な話である。また、名優ローレンス・オリヴィエの妻としても有名だが、結婚生活は20年しか続かず、1967年53歳で病没。

 『風と共に去りぬ』で共演したゲーブルは主演男優賞にノミネートされたが、受賞したのは『チップス先生さようなら』のロバート・ドーナット。ただし、ゲーブルは1934年『或る夜の出来事』でアカデミー主演男優賞を受賞している。

 『風と共に去りぬ』は作品賞を受賞したが、この年は『スミス都へ行く』『駅馬車』『オズの魔法使い(ジュディ―・ガーランド)』『嵐が丘』といった錚々たる名作が並んでいる。

 ゲーブルは1960年に59歳で亡くなったが、最後の映画は『荒馬と女』で、この作品はマリリン・モンロー最後の出演作で、写真の壁にモンローと並んでポスターが掲げられているのも何かの因縁か。

 『風と共に去りぬ』に流れる『ララのテーマ』も息の長い名曲だが、ディーンが最初に主演した『エデンの東』のテーマ曲も映画史に輝く名曲で、今、このようにメロディーを口ずさめる映画音楽はあるのかと思う。

 最後に右端の『アイアン・マン』。こちらは2008年公開でかなり新しく、同題名で3作作られ、そこから派生した『アベンジャー』も作られたが、コンピューター・グラフィックを駆使する映画は観ていてオヤッと思わせ面白いが、ただそれだけで何にも残らず、映画史に残るような映画は少ない。


 

author:cebushima, category:この一枚 2018 セブ篇, 18:54
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