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この一枚2019年 セブ篇 その(13) フィリピンで流行る3輪車

 この間、ミンダナオ島ダヴァオ市の中心を歩いていたら、最近あちらこちらで見るようになった3輪車の大きな宣伝幕がウィンドーに張られていて一枚写した。

【洒落たデザインの3輪車】

 これは『Piaggio
=ピアッジオ』というイタリアの自動車メーカーが生産している『Ape』という車種で、どうしてイタリア製の3輪車がフィリピンで売られているのかと不思議に思った。

 しかし同社はインドでこの3輪車を生産していて、他にも映画『ローマの休日』をきっかけに世界的に知られるスクターの『ヴェスパ』もインドで生産をしているし、高級オートバイで知られる『モト・グッチ』も2004年に同社が買収している。

 

 インド製ならフィリピンを含む東南アジア地域に輸出するのは容易く、そういえば以前タイのメコン川沿いにあるノンカイの町でヴェスパを売る専門店があって驚いたことがあったが、インドから輸入すれば確かに距離的には近い。

 

フィリピンには『トライシクル』と呼ばれるオートバイに側車を付けた3輪車が津々浦々で走っているが、最近はガソリン使用のオートバイでは大気汚染の発生源になるといって、電動トライシクルを走らせるプロジェクトが始まっている。


 このプロジェクトには日本が歴代の総裁を独占しているアジア開発銀行が巨額な資金を継ぎ込んでいるが、電動トライシクルはフィリピン人のマインドに合わないのか計画は予定通り進まず、フィリピンの実情を知らない銀行屋の机上のプランと酷評されている。

 電動トライシクルの一番の難点は、運転手の収入が確実に減ってしまうことで、

従来のトライシクルだと運転者を含めて10人近く乗せることもあり、地方によっては10人以上乗せることも珍しくない中、電動だと5〜6人程度しか乗せられない。

 そのため、電動トライシクルは観光地などの限られた区域や交通警察の目の届く範囲での運行となり、アジア開銀のこのプロジェクトは大風呂敷を広げただけの結果になりそうだ。

 写真に似た3輪車で思い出すのは中米・ホンジュラスに住んでいた時に町のタクシーに同じような3輪車が使われていて、なかなか面白いと思ったが、その時の3輪車はスペイン製であった。

 似たようなデザインではタイで走る『トゥクトゥク』も面白く、かつてのバンコクはかなり走りボッタくり覚悟で観光客も利用していたが、軽量鉄道網と地下鉄が整備されて市内の移動が分かり易くなり利用は減っているようだ。

 このトゥクトゥクは日本の3輪車の中古車を改造して走らせたのが始めといわれていて、フィリピンの主要な足であるジプニーがアメリカ軍の払い下げジープから生まれたのと似たような経緯がある。

 

 その日本の3輪車というと一番に思い出すのはダイハツの『ミゼット』で、この車種は1957年に生産開始し、1972年に生産が終了したとある。

 ミゼットは日本の戦後の高度成長を支えた3輪車といっても良く、近所の商店が配達に使っているのを覚えているが、一度酒屋が使っていたミゼットに乗って丸ハンドル、2人乗り、フロントが曲面だったことに印象的であった。

 このミゼット軽自動車になるが当時の排気量一杯の360CCではなく、305CCの空冷単気筒であったから、オートバイ並みのエンジンで走り回っていたことが分かる。

 

 このミゼット以前の日本の3輪車というと、子どもの頃家の横の道路に停めて野菜を売る3輪車の記憶があり、その3輪車のハンドルは左右に開いた形式で、運転席に座ってそのハンドルを握って遊んだが、あれはオート3輪と呼んでいた『クロガネ』製であったと思う。

 さて、写真に戻るが赤地に白抜きの文字で1日当たり157ペソ、42ヶ月払いで買えると書き、その他登録料3年間無料、保険も負担するなど色々載っていて購買意欲を誘っている。

 

 157ペソというのは現在のレートで換算すると220円位で、その程度なら毎日飲むコーヒー一杯より安いと考えるのは日本人の感覚であって、フィリピンの法定1日最低賃金は500ペソ前後であり、ダヴァオを含むミンダナオ地域は最も安い地域になる。

 

 分かり易く書くと日収の3分の1の負担で手に入る3輪車となるが、月当たりでは約4800ペソ、それを42ヶ月間払い続けると20万ペソを超えるが、これには頭金については全く触れていなくてその辺りは分からない。

 

 この手の3輪車が安いのか高いのかは別にして、長期ローンならば当然金利分上乗せはあるだろうし、フィリピンの金利は非常に高く年20%程度は普通で、銀行以下金貸し業者は我が世の春を謳っている。

 写真の宣伝通り、1日157ペソポッキリでこの3輪車が手に入るのか、プラス金利分が上乗せされるのかは不明だが、広く普及している従来のトライシクルも新しく作るとなると20万ペソを超すというからこの3輪車と値段の上では良い勝負である。

 しかし、その格好の良さからイタリア・ブランドのインド製の3輪車の方が見栄えは良く、あっという間に普及し、ミンダナオ島の端にある町でもかなり目についた。

 この3輪車、フィリピンでは商機があると思ったのか、中国やヴェトナムなどからも似たようなデザインの3輪車がフィリピンに入って来ていて、増々増えそうな気がするが、従来の武骨なフィリピン製トライシクルの姿も捨て難い。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2019年 セブ篇, 20:25
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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(6) 北ダヴァオ州西端にある山の中の町へ行く

 前掲その(5)の場所から山に伸びる道を進むと、それまで平らであった道が急勾配になった。

【写真−1 こういう工事を見ると土木業の仕事というのは途切れない

 写真−1は途中の山側を切り崩して道を広げている様子で、かなり大掛かりだが、切り崩された崖の地層を見ると、砂の層に小さな石が混じったような感じで、工事はやり易いが大雨時には脆く崩れ易いのではと思った。

 それにしてもそれほど大きな町があるとは思えない地域に、このような拡張工事が行われているのは不思議だが、この道の先はミンダナオ島中部の山岳州ブキドノン州に続き、その先は北部の中心都市カガヤン・デ・オロ市へ繋がる。

 ブキドノン州はその昔カガヤン・デ・オロ市から州都マライバライへ行ったことがあって、マライバライは標高600メートル以上の高原にあり空気がヒンヤリしていたことを思い出す。

 なお、トマトのデルモンテやパインアップルのドールなどの大企業が経営する大農場が平地を利用して経営されていたが、特にパイナップル農場は大阪市と同じ面積と聞き、農場には甘酸っぱい匂いが流れていたことを思い出す。

 

【写真−2 眺めてる分には気持ちは良いが生活するには大変】


 山の上の方に眺めの良い場所があるというので幹線道路から更に山の方に入るが、その入り口は軍がチェック・ポイントを設けて警備をしていて、ミンダナオ島内に戒厳令が布告されているのを改めて認識する。

 写真−2は急な舗装道路の先にあった展望台から眺めた風景で、遠くには海が見え、この地域が平野から山に入っていることが分かり、この平地はバナナ農園として開発されているが、山側は山襞に民家がありその近辺で自作的な農業をやるのが精一杯のようだ。

 写真を撮った辺りの標高は500メートル以上あり、山の斜面を利用して栽培するのに適しているコーヒーの樹を植えたらどうかと思った。

 コーヒー豆は1000メートルくらいの標高で寒暖があり霧のかかるような環境で栽培するのが優れた味になり、ミンダナオ島の山間部は適していて、最近は植え付けは増えているがその多くはインスタント用の豆であり、味より量という段階となっている。

 

 そういえばミンダナオ島の山間部では日本の蕎麦栽培が行われていて、かなり良い成績で日本に出荷されている話を聞いたことがあり、日本の果樹なども可能性はあるのではと思われる。

【写真−3 大雨だと通うのが大変な場所にある】
 

展望台から更に昇って行くと山の端に周りの環境には不似合いな、写真−3の建物があった。

 この建物は町役場で、他には建物はなくずいぶん辺鄙な場所に造った役場と思うが、この町の人口は3万人ほどでバランガイと呼ばれる区は3つしかなく、フィリピンの町の中でもかなり小さい規模である。

 建物はノンビリした雰囲気というより、平日にも限らず建物内に人が居るような雰囲気を感じられず、建物前にも車は停まっていなかった。

 それでも、標高が高く眺めの良い場所なので、ハバルハバルと呼んでいるバイク・タクシーに乗って来る人はあり、写真を撮った後ろ側にはもっと眺めの良い場所があってそこに至る道が続いていた。


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 18:19
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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(5) 台風の来ないミンダナオ島というが

 南北に長い群島国家の最大の島は最北部のルソン島で面積は10万4千平方キロ余あり、最南部のミンダナオ島の面積は7万7千平方キロ余で2番目に大きい島となっている。

【写真−1 山の樹を伐るなど乱開発のツケから生じている】

 ミンダナオ島は熱帯に近く肥沃な平野が広がり、昔から開拓の地として切り開かれ、1970年代までの日本の建築ブームを担った材木はこの島を中心に伐り出された歴史を持ち、今も資源の島として注目を浴びている。

 日本とも関係が深く、戦前にはダヴァオ市を中心に日本人町が形成されその数2万人を超え、その多くの日本人はマニラ麻の材料になるアバカ栽培で入植し興隆を極めたが、敗戦で一気に全てを失った。

 今もフィリピン国内からミンダナオ島へ移る人は多く、このキリスト教の入植者が先住民と土地を巡って争ったのが長年続いているミンダナオ島紛争の要因の一つといわれている。

 ミンダナオ島は台風が来ないために農業に適しているとされているが、全く来ないわけではなく2012年の台風はミンダナオ島を横断するような進路を取り、死者1100人以上を生じた。

 この台風ではヴァンで車窓越しに眺めたコンポステラ・バレー州を中心とするバナナ産地が壊滅的な被害を受け、現在見えるバナナ農園はその後の復興の農園が多い。

 写真−1は英語と現地語で書かれた洪水に対する注意書きで、大雨が降ると山から一気に谷や道路を伝わって増水し、平地が水没する危険を訴えている。

【写真−2 冠水以来沿道の家では家財を低い位置には置かないという】

 写真−2は途中に立ち寄った町の道路際に建てられていた洪水注意の看板で、この道路は少し先から山に入り、ミンダナオ島中部の山岳州ブキドノン州へ続く。


 2012年の台風時には写真の道路は山から流れ落ちた水を集め、川のようになって低地を冠水させ、写真道路左に建つ家屋の部屋の壁の中ほどまで水が来たという。

 フィリピンの道路は予算の関係もあるのか排水など全く考えずに設計し造られるから、大雨が降ると道路が川と化し一帯を冠水させてしまう構造が普通となっている。

 写真の様に道路の幅を広げるのには熱心だが、肝心の排水に関しては設計されていなくて、大雨が降れば同じことを繰り返すが、セブの小生宅近くの道路にも雨が降ると必ず冠水して車の通行は大変になる個所があったが、大掛かりな配水管を埋め込んで解消されたから要はやる気の問題である。

【写真−3 精米したての米が美味いのはフィリピンでも同じ】

 写真−3はその時の台風で冠水した精米所で、写真に写る人間の肩辺りまで水に漬かったというから後始末が大変だったようだ。

 この精米所内には2つの設備があって、左側は米用、右側はトウモロコシ用で持ち込まれたトウモロコシを三段階の粒の大きさに砕いていて、下の方に黒い容器が置かれふるいを通じて粒の大きさが分けられるが簡単な構造ながら良く考えられていると思った。

 フィリピンでは人間が食するトウモロコシを『マイス』と呼んでいて、米の食べられない層が主に食べているが、最近はカロリーが低いのでダイエット用に食べる人もあるという。

 このマイス、フィリピンでは胡麻より少し大きめの粒を米と同じように煮て食べるが、日本人が食べると腹を壊すなどといわれながら、小生は食べても問題はなかった。

 トウモロコシを食べるというのはアフリカで生活した時に日常的に食べていて、トウモロコシの粉を熱湯でこねて餅状にし、それを手に取っておかずを付けて食べた。

 そのせいもあってマイスには違和感はないが餅状にしたアフリカの食べ方の方が美味いと思った。

 この精米所に近くの山からオートバイに乗って米やトウモロコシを持ち込んで処理していたが、食べる分だけ処理していて結構新鮮な状態で食べていると感じた。


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 19:58
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