RSS | ATOM | SEARCH
フィリピン・よもやま帖 2020 その−(1) フィリピンの新年はタアル火山の噴火から

 マニラ首都圏の南方向60キロ方向に『タアル』という湖がある。
 

【写真−1 この湖の周りがタアル火山】

 

 マニラ首都圏は慢性的な水不足に悩まされ、また2つある民間の水道配水会社の不手際もあって政治問題化し、単細胞のドゥテルテ大統領が経営権を取り上げて軍に管理させるなど突拍子もないことを言い出す始末。

 これは最近、シンガポールの国際仲裁裁判所に値上げを認められないために損失を被ったと水道2社が提訴して会社側が勝訴し、約230億円の支払いを政府に求める判決が出て、これに対してドゥテルテが激怒したものだが、積年の政権担当者の膿が出た感じである。

 水道2社はフィリピンの財閥系が経営していて、ドゥテルテは旧来の財閥系の経済活動には敵意を抱いていて、何とか在任中に潰そうとしているが、本人の大統領選時に多額の献金をして当選を後押しした地元ダヴァオ市の新興財閥にかなりの便宜を計っているから、所詮は綺麗ごとである。

 マニラ首都圏の水不足は漏水と盗水が多いためといわれていて、漏水に関してはセブの小生の近所にかなり前から漏水している個所があって、かなり流れを作っているが一向に直そうとはしない。

 家庭に繋いでいる管ではなく料金に直接関係ないから住民も無関心で、こういったいい加減さで市内にはどこでも何千、何万とあるから水不足は解消されない。

 また、マニラ首都圏の水不足は従来の貯水池の問題があるといわれ、政府は新たな水源として川を堰き止めるダムを造るプロジェクトを推進しているが、こういった山間部は自然保護地帯であり少数民族が生活しているので永年反対運動が続いている。

 しかも、この新たなダム建設を中国への借金で造り、中国の企業が建設、運営をするというので安全保障の面、強権的で環境問題をないがしろにする体質があると指摘が出ている。

 中国は途上国に多額の借金をさせて大型プロジェクトを展開しているが、借金が返せなくなると長期租借に持ち込むなどそのやり方は巧妙で『中国型新植民地主義』と名付けて良い代物。

 話が逸れて長くなってしまったが、マニラ首都圏近郊にはフィリピン最大の湖、面積にして300平方キロもある『ラグナ』があって、これを水源にすれば良いと思うが、水深は浅く過大な養魚施設のために水質は良くなく、飲用には向いていないとされているがそうも言っていられないのではないか。

 

【写真−2 タアル湖と火山島の地理的関係図】

 

 さて、ラグナの南にタアル湖があり、こちらは234平方キロあり、日本で2番目の面積を持つ『霞ヶ浦』が168平方キロだから、かなり大きい湖と分かる。

 この湖は火山活動によって生じたもので、湖中央に島があり『タアル火山』と呼ばれ標高311メートルあり、この火山島内の中央に湖があり地質的には二重カルデラ湖となるが、その湖に高さ50メートルほどの小さな島があって、島は1911年の大噴火の際に生まれたがこの時の噴火ではタアル火山の住民1300人以上が死んでいる。

 その後も活発な火山活動を続け1965年、1977年と大爆発を起こし火山の多いフィリピンでも有数の活発な火山となっていて、最近では2010年に活動が活発になり火山島に住む住民に対して避難命令が出たが、住民の多くは大したことがないと判断して島に留まったが実際爆発は起きなかった。

 この島は本来居住は禁止されているのだが、マニラからの日帰り観光地として有名になっていて、それに携わる人々が次々と住み学校まである始末。

 それが今年の1月12日に1977年以来の大噴火を起こし噴煙は上空1万5千メートルに達し、沖縄近くまで噴煙が広がっているのが確認され、このためマニラ国際空港に離発着する航空機は影響を受け、飛行停止などの措置が取られ空の便は混乱している。

 この噴火によって今までのレベル2から大噴火の恐れがあるレベル4に引き上げられ近隣住民の避難が行われ、10万人近い住民が学校などに避難している。

 また、タアル湖を囲む高台は標高600メートルほどあり、マニラ近郊の避暑地として観光開発されて人を集めるが、降灰によって視界が遮られ、道路は降った雨によって泥濘状態となり市民生活、農業など経済活動に大きな支障が出ている。

 

 小生も昨年、この地方に行ってタアル湖をタガイタイ市から遠望したが、海の景色の多いフィリピンでは異質の湖と山の風景が広がり、ゆっくり再訪したいと思ったくらいで、特に冷涼な気候を生かして園芸をする店が多く、またパインアップル畑が広が住むには良い地域との印象を受けた。
 

【写真−3 馬で巡るトレッキングは盛んだが今回の噴火で取り残されている】

 

 火山島は観光で生きていると先述したが、島に渡るには船で島の絶景ポイントへ行くには歩く以外に多くの観光客は馬に乗って行くため、この乗馬業が島民の生業になっているが、今回の噴火で人間は避難しても馬は取り残されているためにその対処をどうするかで問題になっている。


 今回は大爆発で噴煙が上がって、島民も以前のように居座ることはせずに避難したが、避難生活が長引けば生活をどうするかの新たな問題が生じて来るが、その時はその時という国民性もあってまだ深刻化していない。

 この大爆発によって立ち昇る噴煙を写真に撮ろうと現地に押し掛ける連中が多いこともフィリピン的といえばフィリピン的だが、その足元から大爆発が起きるかも知れず、怖い物見たさというところか。

 フィリピンは環太平洋火山帯に属しているために火山は多く、セブ島西海岸側にあるネグロス島に標高2465メートルある『カンラオン山』という活火山があって、それなど不気味な感じがするし時々噴火を起こしていて、現在は登山禁止になっている。

 また、ルソン島最南部には標高2463メートルの『マヨン火山』があって、この山は戦前のフィリピンに住む日本人が『ルソン富士』と呼んだように流麗な円錐状の姿をしている。

 その姿に似合わず噴火活動は活発で、1814年の噴火では裾野に在った町を溶岩流が飲み込み1200人以上が死亡し、町は教会の鐘楼上部を残して完全に埋目てしまい、今ではその跡が観光名所と知られる。

 最近でも2013年に噴火が起き、頂上付近に居た登山中の外国人観光客が5人死んでいて、その後何度も噴火の兆候が出ては住民の避難が繰り返されている。

 このマヨン火山、何度も行っているが常に頂上付近は雲に覆われていてなかなか頂上の姿を見ることが出来ない不運に見舞われている。

 活火山といえば1991年に大噴火を起こした『ピナツボ山』が知られ、この噴火は20世紀最大の噴火とも言われ1745メートルあった山頂が1486メートルまで吹き飛ばされた。

 この時の死者は900人近かったが、噴火による被害よりも降灰による被害の方が多く、これは山に住む少数民族の言い伝えによって、早くから避難が行われたため、噴火が急激ではなかったためと言われている。

 その後のピナツボ山だが今は火山灰に覆われた一帯が観光地となって山頂に生まれた湖見学と併せて人気の場所となっている。

 ピナツボ山の大噴火はアメリカ軍の極東最大のクラーク空軍基地とスービック海軍基地の機能を麻痺させ、米軍のフィリピンからの完全撤退に繋がったが、その撤退の代償に強化されたのが沖縄の米軍基地で、自然災害というのは思わぬ余波を生むものである。


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2020, 20:35
-, -, pookmark
台湾一周 鉄道旅 2020 その(4) 飛行場から台北に出て台北駅の地下街で昼食

【写真−1 無線充電のスマホの普及率は知らないがこの装置には驚かされる】

 

 飛行場からの鉄道は『桃園機場捷運』線と呼ばれ、最近台北駅に乗り入れた。機場というのは飛行場のことで、その先は高速鉄道駅に繋がっている。写真−1は乗った車両の窓側のスマホ充電装置で、しかも無線の充電式で台湾もこの手はかなり進んでいる。

 

【写真−2 台湾を一周して分かったが台湾は島とはいえ山の国】

 

 この線は地下鉄(MRT)と呼ばれているが台北市街地に入るまでは高架上を走り、通過する駅前に中層のビルが見える。写真−2の様に山深い場所を縫って走り、植物もジャングル状態で台湾はかなり開発は進んでいると思ったが、意外な感じを受けた。

 

【写真−3 左のディスプレイの竹は良く見たら人造物であった】

 

 やがて地下に入って空港駅を出て40分ほどで終点の台北駅に到着。最近出来た駅らしく駅はかなり深い所にあり、いくつもエスカレーターを乗り継がねばならなかった。

写真−3は最後のエスカレーターから昇った方向を見たもので、天井を含めて相当深い。

 

【写真−4 元日ということで人出は少なかったようだ】

 

 台北駅は地下に造られていて、それに付随して地下街が設けられしかもかなり広く、東京駅の地下街を思い出す。写真−4は昼食を摂ろうと歩いた時、ヒジャブのグループが買い物をしていた。恐らくマレイシアかインドネシアから来た観光客と思われる。

 

【写真−5 台湾に限らず海外は日本食ブーム】

 

 年の初めなので休んでいる店も多かったが、店の業態はあまり高級感のあるものはなかった。写真−5は歩き疲れて入ったラーメンとカレーの店の看板で、学生風の若者が多く座っていた。どういう訳か店に入ったらすぐに日本語のメニューを出された。

 

【写真−6 ブロッコリーの添え物もあって値段にしては上等】

 

 中華系を食べたかったが、この旅行で最初に食べたのは写真−6の『コロッケカレーオムライス』。値段が139ドル、500円を越した程度で学生向きの値段。味の方もマアマアだがどうしてオムレツなのか不思議。家人は『激辛ラーメン』を頼んだが味は良し。

 


 

author:cebushima, category:台湾一周鉄道旅 2020, 17:25
-, -, pookmark
この一枚2020年 セブ篇 その(1) またシヌログか もうシヌログか

 セブでは毎年1月の第3日曜日にシヌログ(SINULOG)のグランド・パレードが市内の目抜き通りで開催される。

【既存のTシャツを切ったり別の素材を張ったりしてオリジナルを作っている】

 元々は大航海時代のマゼランゆかりのサント・ニーニョ教会の宗教行事で、教会にはマゼランが持ってきたといわれる幼きキリスト像が安置されていて信仰を集めるが、ニーニョというのはスペイン語で子どもを意味する。

 今でも教会に行くとローソク売りの叔母さんが、ローソクを掲げて左右に3歩進んで2歩下がる踊りをするが、この踊りを1980年代になって観光資源として取り入れたのが現在のシヌログで、フィリピン国内で最大級の人を集める祭りになった。

 近年はこの祭りに参加する踊るチームの衣装や踊りが派手になって観光客の目を楽しませるが、小生が初めて見た1990年代初頭のシヌログのパレードはかなり地味で、参加チームとチームの間が間延びしたり、普通の車に乗って通り過ぎるグループもあった。

 やがてイヴェントとしては発展したが、セブのシヌログ・パレードはオリジナルではなく、パナイ島北西部にあるカリボ市で昔から伝わる『アティアティハン』を真似たもので、そのためどちらも似たようなものになっている。

 このセブの集客力の強さを真似て、観光客を呼び込むために同様のいで立ち、構成で何とかフェスティヴァルとフィリピン各地で開催され始め、その土地独特の習俗を現す踊りや扮装は薄れて単なるパフォーマンスの場となっている。

 

 この真似るという行為はフィリピン人は割合当たり前で、儲かるとなればすぐに真似し、例えばサリサリ・ストアといって個人の家が軒先で小商売を始めると、その並びが真似て次々とサリサリ・ストアを開くことが多い。

 

 道によっては2〜3軒置きにサリサリ・ストアがあって、あれで商売が成り立つのかと心配するが、商売品を自家用で消費しまって閉店という例もかなり多く、簡単に始めるから簡単にお終いになるようだ。

 

 そういう意味では何事も慎重、計画を立てて計画通りに物事を進めたい日本人にはこの手の発想は無理で、逆に失敗しても元々と思って行動に移すフィリピン人には腐すよりも見習うことが多いのかも知れない。

 

 祭りの話題に戻すが、どこの国でも伝統的な祭りといってもその発祥はどこかの知恵者の発想で始まったのが多く、それが年月を経て昔からあったような顔をするのが祭りであって、その始まりなど大した意味がなく、いかに浸透して継続されて来たかが重要なのかも知れない。

 

 シヌログを始めとしてこれらフェスティヴァル参加チームは自治体や学校が多く、このチームが優勝を目指して早くから練習を積み重ねて勝ち上がる様子は郷土の誇りでもあり、各チーム間のライヴァル意識はかなり熾烈である。

 娯楽のない地方の自治体では青少年でシヌログにチームを組んで参加することは、青少年対策にもなっているようであるし、元々踊ることに天性の資質のあるフィリピン人には向いていて熱狂する要素は揃っている。

 外国人の眼としてはシヌログも最初は物珍しくて、朝から沿道に待ち構えて写真を撮ったりしたが、それも2〜3回も続けて見学すれば充分で、今ではその喧噪に嫌気がして行く気にもならなくなっている。

 これも参加型の祭りではなくただ見物するだけの祭りであることも関係はあるが、シヌログが年々工夫を凝らして派手になっているにも関わらずマンネリ感が強いこともあるし、見たいならテレビの中継で充分である。

 写真は久し振りに行ったモール内で写しているが、このモールではシヌログもクリスマス・セールに続く商機であり、催事フロアーで大音響の音楽を流しながら大々的にシヌログ関連商品を売っていた。

 写真を見ても分かるようにマネキンの頭に羽根飾りが乗っていて、かつてはこういう羽飾りはパレード参加者以外はあまり見かけなかったが、近年は手を変え品を変えて流行っているのかも知れない。

 

 第3日曜日に行われるグランド・パレードのことを中心に書いたが、シヌログの行事はサント・ニーニョ教会で連日宗教儀式が始まっていて、小生も一度見物に行ったが、各自の家に飾ってあるサント・ニーニョ像をミサの時に掲げて『ヴィバ』と叫ぶ様子は圧巻であった。

 

 そういえば、この幼きサント・ニーニョ像は市内の場所と日時を定めて巡行する時があって、数年前に小生宅の傍にある通りに来たことがあり、人々に混じって通り過ぎるのを眺めた。

 沿道には多くの人々が詰めかけ通過時には熱狂の極みだが、信者でも何でもないただの野次馬の小生としてはガラス・ケースに入れられた像などそれほどありがたい存在と思わないが、そこが宗教たるゆえんでありがたい人にはありがたいのであろう。

 

 祭りが商業的になるのは仕方はないが、2020年に東京で開催されるオリンピックなど建前と本音が見事に乖離していて、今やオリンピック開催は興行の世界であって、こういう興行に国が税金を注ぎ込んでいるからおかしくなる。

 

 サッカーやラグビー、テニスのような世界大会も興行の一貫であり芸能人のコンサートと同じで、それだけ付加価値があるから何年も前からオリンピックのスポンサーに企業が国際オリンピック委員会に巨額の金を払い、コマーシャルを垂れ流している。

 

 特に年が明けてオリンピックまであと何日と表示が声高にいわれるようになって、日本は頭がおかしいのではと思うが、これは戦時中の『大政翼賛』と同じで、少しも日本人は先の敗戦から懲りていないと感じる。

 

 こういう大政翼賛体制で固まる日本で『オリンピックなど止めろ』と叫んだら袋叩き、国賊と言われそうで、そう思わざるを得ない日本の今の在り方が悲しく、悍ましい時代となった。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 18:00
-, -, pookmark