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バタネス紀行 2017 その−(20) 夕陽と灯台からの帰り道にあったピザ屋

【写真−1 立ち入り可能の草原の続く海際】

 

 

 灯台から日の沈む方角を見た様子が写真−1で、入り口の近くにある建物は、かつてアメリカ軍が通信隊を置いていた時の施設。戦前からあったような建物で、バタン島に上陸した日本軍は、重要地点として真っ先に攻略したであろう。

 

 

【写真−2 手前の煙突は暖炉でもあったのだろうか】

 

 

 当時の通信は電信だから、こういう場所に中継通信所を作る必要があった。また、バタン島は中国大陸を行き来する船の監視場所として最適でもあった。写真−2の建物は今は閉鎖されているが、手を加えてカフェにでもするようだ。

 

 

【写真−3 バタネス牛のステーキ肉などと特産品で売り出しそうだが】

 

 

 海風の吹き募る丘には牛が放牧されている。写真−3は灯台を背景にして牛が草を食む様子で、こういった牛は食肉用だが、潮風で育つ草を食べる牛の肉質は良いと聞く。しかし、バスコでは牛の肉より豚の肉が売られている。

 

 

【写真−4 真西方向だが時期的に雲が多く太陽の姿は見えなかった】

 

 

 写真−4はナイディーの丘から見た日没の様子。この日は雲が多くて、期待していた南シナ海に沈む夕陽は姿を見せず冴えない色で終わった。水平線上には雨を伴った雲が発生していて、天候がまだ不安定な様子を知らせる。

 

 

【写真−5 サントリーのグラスがどうしてあるのか興味深い】

 

 

 暗くなってバスコへ戻る途中の道路沿いに1軒の『ピザ屋』があった。普通の住宅の庭を店にしているが、バタネスで食べるピザはどんなものかと騙されたと思って入る。写真−5に写るグラスはどういうわけか日本のサントリー。

 

 

【写真−6 フィリピン人はピザとスパゲティが大好き】

 

 

 こういう小さな町でピザのような商売がやって行けるのかと余計な心配をするが、出前注文もあった。写真−6は出て来たピザ。味の方は冷凍物よりはマシだが、その切方が面白く一枚を撮る。これで今晩の夕食は悩まないで済んだ。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 17:18
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(53) 高知市一番のアーケード街を通って『ひろめ市場』へ

 高知市の路面電車は一駅のみの体験乗車で、『はりまや橋』から写真−1の『堀詰』まで乗って料金は200円。写真の片隅に泊まっているホテルの建物が見える。

【写真−1 これで高知の路面電車は見納め】

 ここで降りたのは高知市内一番の繁華街となる場所を端からぶらぶら歩いて、夕食をこの一角にある『ひろめ市場』で食べようとしたためである。

【写真−2 地方のアーケード街としては人もあるし、シャッター店はない】

 写真−2は帯屋町のアーケードで幅もあって、全長700m以上あるというから結構長い。同じ県庁所在地の徳島にもアーケード街はあってもこれほど規模は大きくなく、やはり人口の違いを感じさせる。

 このアーケードを抜けて行くと高知城に当たり、帯屋町は郭内、つまり江戸期は武家屋敷のあった地域で、幕末史に名前の出る吉田東洋とか武市半平太の名前が出てくる。

 しかし、町の名前の由来は『帯屋勘助』という豪商が住んでいたので帯屋町となったらしい。この人物、帯屋とあるから帯や着物、和装品を扱っていたのだろうか。

 このアーケードを歩いて感心したのは結構立派な書店があって、書店が次々と姿を消す時代にあって健闘している感じがあり、中に入る。店構えの割には客の数は少ないが、扱う書籍は充実していて、こういった地方都市では大変であろうが残って欲しいものだ。

 ちなみに、地方都市へ行って本屋、特に古本屋が健在な都市は街自体に好印象を与えてくれる。それで後で気が付いたのだが、写真右の方に別の本屋が写っていて、高知は本の好きな人が多いのだろうか。

 時間帯にもよるだろうがアーケード内の人の動きは少ないが、自転車に乗る学生、会社員の姿が目立ち自転車で通える、用が足せる町というのも悪くない。

【写真−3 観光客向けの施設だが土佐名物を食するには手っ取り早い】

 そうしてアーケード内をぶらぶら歩いて着いたのが写真−3の『ひろめ市場』。既に陽はトップリ落ちて夜の部が始まった感じで、入り口近辺の人の出入りが賑やか。

 ここは色々な飲食店が集まった建物で、いわばフィリピンのショッピング・モールには必ずある『フード・コート』のようなもの。

 市場と名乗っているが生鮮食品や日用品を扱う市場とは関係なく、飲食店の集合施設で元々は屋台が集まったような形態であったらしいが、今は高知市の名所として内外から人が押し寄せる。

 『ひろめ』という意味はやはりこの辺りに住んでいた土佐藩の家老の名前から取っていて、1998年に開業というから年季は古い。入り口横の広場にラーメン屋の店が並ぶのは今風の嗜好であろうが、期待を持って中へ入る。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 18:43
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バタネス紀行 2017 その−(19) バスコの灯台の内部と上からの眺め

【写真−1 夜間は施錠されるのであろう】

 

 

 灯台に入って中から入り口方面を撮ったのが写真−1。バスコ港を左に見る湾を望み、ここからでも右手彼方にはサブタン島の島影が見える。灯台の建つナイデイの丘には夕陽を見に来た観光客が思い思いの場所に散らばり時を待つ。

 

 

【写真−2 休憩するには密室感が強い】

 

 

 入口を入ると写真−2の木のベンチが置かれていて、右回りの階段がある。そういえば灯台というのはどこも右回りだったような気がし、灯台を造る上の共通なのかと思う。床に敷き詰められた八角形の茶色い素焼き風のタイルが良い。

 

 

【写真−3 段数は数えなかったがかなりある】

 

 

 灯台は外観から分かるように上部が細くなり、写真−3の螺旋階段で上がるに連れて幅が狭くなる。無人で管理はどうなるのかと思うが、綺麗に維持されているのが分かる。なお、昔からこの灯台があるように思うが2003年に建った。

 

 

【写真−4 簡単といえば簡単な構造】

 

 

 写真−4は灯台の心臓とも言える灯火部分。ここへは螺旋階段から梯子になっていて、梯子を昇る形で写真を撮る。こんな大事な場所に外部から人が入れるのでいたずらが心配な気もするが、この灯台の光の海上到達距離は約19キロ。

 

 

【写真−5 帰るまでにイラヤ山の山頂が見えるかどうか】

 

 

 灯台の上部に一周デッキがあり、外に出られる。灯台の高さは20mというから、灯火部分を差し引いて5〜6階くらいの高さになる。写真−5はデッキから見た雲を抱いたイラヤ山とバスコの町の様子で、左下に白く見えるのは墓地。

 

【写真−6 真ん中辺りに見える岩は海からの独立岩】

 

 

 写真−6はバスコ湾を望み、水平線右側に見えるのはサブタン島。デッキのこちら側に来ると海からの風がかなり強い。飛行機でバスコに到着してから南シナ海からの風は弱まることなく、それにしては湿気が高く風の影になると暑い。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 17:41
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