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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(31) 再び平地から山の中へ二十番札所『鶴林寺』

 遍路旅3日目は十八番札所恩山寺、十九番札所立江寺と平地から始まったが、二十番札所『鶴林寺(かくりんじ)』は山の中へ入る。

【写真−1 この日は春の陽射しを浴びる遍路日和

 鶴林寺は標高550mの頂に在り、徳島(阿波)では十二番焼山寺に次ぐ難所となっているらしいが、それは歩き遍路の時代であって、車利用のお遍路にはそういった実感はない。

 それでも境内には杉などが生い茂り山寺の雰囲気は充分。写真−1は立派な扁額を掲げた山門に至る参道で、お遍路さんが行き交う。

 この山門内左右に仁王があり、寺名の由来となった鶴の木彫り像一対が置かれているが、これも先を急ぐあまり見ることはなかった。

【写真−2 写真左側に杖立てが見える】

 写真−2は鶴林寺本堂で、鶴の像が置かれている。材料は何で造られているのか確かめなかったが、ブロンズのような金属で造られているのではと思う。

 空海がこの山で修行中に雄雌の白鶴が杉の梢で小さな金の仏像を抱いていたので、3尺(90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴の抱いていた仏像を収め本尊としたのが寺名のいわれとなっている。

 この地蔵菩薩像は明治になって国指定の重要文化財となり、現在は京都国立博物館に預託されているという。

写真−3 建てられてから190年経つ三重塔】

 写真−3は境内にある三重塔で銅板葺の屋根を持ち高さは23m、江戸期の文政10年(1827年)に建立。

 ちなみに三重塔や五重塔は釈迦の遺骨(舎利)を収める仏塔で、現存最古の三重塔は奈良県斑鳩町の法起寺にあり、建造時代は飛鳥時代というから確かに古い。なお、三重塔で国宝となっているのはこの法起寺を含めて13塔あり、鶴林寺の三重塔は徳島県唯一の三重塔で県指定文化財になっている。

 写真からでも木造の清々しいたたずまいを感じさせる建造物である。

 


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 17:57
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まにら新聞掲載 Archives (16) セブ補習校の20年と今 その−2 (2004年掲載)

 (2) 日本人学校への道のり

 

 最近のセブ補習校の入学者傾向は、日比間の結婚が年間7000組を超える中、日本人の父親が日本で働き、フィリピン人の母親と子どもがセブで生活する『別居型』が増えている。
 

【当時の写真 マニラ日本人学校による巡回授業風景】


 邦文の入学案内だけで済んでいたのが、英文の案内を用意するようになり、入学志望者も日本語を解さない児童が増えた。補習校は『日本語ができない理由で入学を断ると、この子が日本の教育を受ける権利と時機は一生失われるのではないか』の考えで、負担は大きいが受け入れるよう努めている。
 

 セブ補習校のような週1回学ぶ学校は、国庫助成を受けても私塾と同じだが、毎年、MJS(マニラ日本人学校)の協力を得て《巡回指導授業》を行っている。

 土日の2日間、ふだん学べない理科・社会などを中心に、MJS教諭に過密なスケジュールで教わるが、この熱心な先生方でも補習校の存在を知る方は少なく、セブを見て驚きの感想を持つことも多い。

 

   ◇

 

 補習校で教える講師を文科省では『現地採用教員』と呼ぶが、講師と学校側の雇用契約などはなく、ボランティアの面があり、学校そのものもNGO(非政府組織)のような性格が強い。
 

 セブ補習校は80年代初めに、有志日本人が自宅に日比二世の子どもを集めて教えたのが始まりで、20年間で、名前の分かっている講師は延べ80人以上に挙がっている。多くは、教職免許や教育経験を持たない企業駐在員の夫人方で、同じ講師メンバーで3ヶ月と持たず、出入りの激しい状態が続く。

 講師確保がひと苦労で『子どもの入学申し込みに行ったら、来週から講師をやってくれと頼まれ仕方なく引き受けた』などの例もある。この方はそれから5年間講師を続け日本に帰ったが、送別会で『補習校はみんなでリレーをしないと、やっていけない学校ですね』と語っている。

 

 その他、協力隊員、退職者、留学生など様々の立場の人間が、終りのないリレーを続けているが、最近はフィリピン人と結婚しセブに住む日本の女性が増え、補習校講師の新たな担い手となっている。子どもの母語と教育の問題を、落ち着いて補習校で活かせるのではないかと期待がかかる。

   ◇

 

【当時の写真 時には高学年中心に家庭科の調理実習も行う】

 

 補習校は週3時間、国語・算数を中心に1年間で合計150時間ほど学んでいる。一方、MJSを例に取ると学年により違うが、年間平均で900時間から1100時間前後学び、しかも教科はバランスが取られている。

 単純に考えると、補習校では6分の1の偏った学力しかつかない勘定になってしまう。この観点からセブに日本人学校を設立する話が、90年代半ばに論議されている。

 地元の『学校用地を寄贈する』話から始まったが、校舎建設・設備には膨大な資金を要し、肝心の授業料も試算では途方もない額に至り『入学できる邦人子女家庭は限られる』と話は立ち消え、その後今に至るまで、日本人学校設立の話は起きていない。

 

 日本人は単身赴任で海外に駐在する例が多く『駐在先に日本人学校があれば家族で赴任する』といい、現地では『家族帯同で赴任しないから、いつまでたっても日本人学校が作れない』と、鶏が先か卵が先かの不毛な議論に陥る。

 また『在留邦人と子女が多くないと日本人学校は作れない』と考え勝ちだが、日本政府の定めた日本人学校設立要件の中、在籍は30人以上あれば設立可能としている。全世界で82校ある日本人学校の最近の在籍者数を調べると、セブ補習校より在籍者が少ない日本人学校は46校、うち10人台の学校が12校もある。

 

【続く】

 


 

author:cebushima, category:まにら新聞寄稿 Archives, 09:45
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(30) 十九番札所『立江寺』境内には堂々とした建物が

 徳島市に隣接する小松島市には十八番『恩山寺』と十九番『立江寺(たつえじ)の札所2寺がある。その距離は平らな道で4キロ程度だから歩いても1時間程度。

【写真−1 山門前の石橋、塀の構えなど八十八ヶ所札所の中心的寺院】

 写真−1は立江寺山門で、いかにも寺らしい構えを持つが脇や境内に植えられた枝垂れ桜の蕾はまだ固い。写真−2にはその山門が右側に写り、手前に手水場、その奥に見える塔は『多宝塔』。

【写真−2 境内はそれほど広くないが整っている】

 こじんまりとまとまった立派なたたずまいの境内だが、この寺も天正年間(1573〜1593)の長宗我部元親の兵火によって伽藍は焼け落ち、その後、阿波を治めた蜂須賀家によって再興された歴史を持つ。

 多宝塔の上層は銅板葺、初層は瓦葺の多宝塔はその時代の物かと思うような風格を持つが、建立されたのは大正7年(1918年)で、それ程古くはない。

 建立された年は第1次世界大戦の終わった年で、日本では『富山の米騒動』があり、世情は騒然とした時代だと思うが、四国のこの一角でこのような立派な塔が造られているのは興味深い。

 なお、立江寺の本堂は1974年(昭和49年)火災で焼け落ちていて、現在ある本堂は1977年に再建されたものになるが、焼け落ちてわずか3年で再興成るとは、この地の信仰心が強い証しになるようだ。

 その再興成った本堂天井には格天井に描かれた286枚の絵が見ものらしいが、見まず仕舞いでやはりもったいなかった。

 立江寺がこれほど立派なのは四国八十八ヶ所の『根本道場』になっていることで、根本道場というのは比叡山延暦寺にもあり聞き流していたために意味は不明。

 そこでその意味を調べたら宗派によっては大本山のことを指し、札所八十八ヶ所の多くを占める高野山真言宗では根本道場といい、立江寺は別格大本山ともなっていて、寺格は相当高いようだ。

【写真−3 この辺りで遍路旅も慣れてきて札所での参拝は手際良くなった】

 

 写真−3は十九番札所『立江寺』のご朱印で、バランスよく書かれている。立江寺には立派な宿坊が備わっていて、今度の遍路旅でも一度は宿坊に泊まりたいと考えている。

 

 今日の宿泊先は決まっていないが、室戸岬にある高知県最初の札所二十四番『最御崎寺(ほつみさきじ)』には宿坊があって、そこの宿坊泊まりも良いかと先を急ぐ。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 09:02
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