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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(7) 今日はヴァレンタインだったのか

 フィリピン人の知人が大きなチョコレート・ケーキを持ってきたので、珍しいことをするなと思ったら『今日はヴァレンタインだよ』といわれて、今日2月14日がヴァレンタインだと気が付いた。

 ケーキは日頃世話になっているからという理由だが、日本と違って訪問時に手土産を持ってくるのもフィリピンでは珍しい方なので、特別な日とはいえフィリピンも少しずつ生活が変わって来ているのが分かる。

 

 特別な日と書いたが、ヴァレンタインというのはカトリック聖人のヴァレンタインから来ていて、カトリックの信者の多いフィリピンなら、さぞや大きく祝っているだろうと思うが、教会内ならともかく宗教的にはどうという感じにはなっていない。

 

 それでもヴァレンタインは『愛』を象徴するため、この日に結婚式を挙げる集団カップルが地元の英字新聞に写真入り記事として載っていた。

 

 こういう特別な日に集団結婚式を挙げるのはフィリピンでは他の日にもあって、個別には思い出せないが自治体とか警察、軍隊のような組織がスポンサーになり挙行され、スポンサーの売名だ、宣伝だととやかく言ってもカップルは幸せに浸っているから仕方がない。

 

 聖ヴァレンタインに便乗したのが日本のヴァレンタイン・ディーで、この日に女性から男性にチョコレートを贈る、贈ったで、狂騒状態となるのが年間行事として定着している。

 

 ヴァレンタイン・ディーにチョコレートを贈るというのは日本の商魂逞しい企業が始めたのは誰でも知っているが、これはキリスト教徒でもないのに12月25日にクリスマスを祝いケーキを買って食べるのと同じだが、誰が困る訳ではないから目くじらを立てても仕方がない。

 

 このヴァレンタイン・ディーに日本でチョコレートを贈るようになったのはいつからかと考察されているが、戦前説と戦後説に分かれている。

 

 国産チョコレートは1918年(大正7年)に森永製菓の発売を嚆矢としているから、既に100年以上の歴史を持つが、ヴァレンタイン・ディーのチョコレート戦前説は1936年(昭和11年)に神戸の菓子会社『モロゾフ』の英字新聞広告を根拠とするが、直接的にチョコレート販売促進と結びついていないとの指摘もある。

 

 モロゾフの新聞広告は2月12日に載ったが、その2週間後の26日に『2・26事件』が発生し、日本が軍国主義に急傾斜した時代で、そういう暗鬱な時代に入る時でも嗜好品はまだ普通に流通していたことが分かる。

 

 ちなみに1936年(昭和11年)は、5月に昭和の猟奇事件と知られる『阿部定事件』、7月にはスペイン内戦勃発、11月にフランコ側が勝利し独裁政権、ファシズムが世界を覆うようになる。

 

 8月には水泳の『前畑ガンバレ』で知られ、ナチス政権が前面に出た『ベルリン・オリンピック(第11回)』が開催され、その前月の7月にはベルリンに続く第12回オリンピックが東京に決定する。

 

 この東京大会は戦争のために幻の大会となるが、ナチスのドイツ、軍国主義の日本とオリンピックが時の権力に都合良く使われているのが分かり、これは1964年のアジア最初の東京オリンピックも同じで、その流れは次回2020年東京オリンピックにも引き継がれている。

 

 そういったきな臭い時代でも2月にプロ野球が発足し、その年の12月に巨人の沢村栄治が日本で最初のノーヒット・ノーランを達成する。

 

 この沢村も1944年12月、2度目の応召でフィリピンへ向かう輸送船に乗っている時に、屋久島西方沖で潜水艦攻撃を受けて沈没、戦死していてあらゆる場に戦争の影は及ぼしている。

 

 当時の映画では1936年にチャップリンの『モダン・タイムス』がアメリカで製作され、その2年後の1938年に日本で封切りされていて、戦前からチャップリンの映画は日本で公開されているのが分かるし、人気があった。

 

 この年は『国家総動員法』が出来、日本のファシズム化は進むが、まだチャップリンの映画を観る余裕はあるものの、この映画の資本主義を揶揄した意味が日本の頭の固い検閲官には分からず、誤って公開されたような気もする。

 

 阿部定事件を先述したが、都電で通学をしていた中学生の頃、車内にこの阿部定の名前を大きく書いた広告がぶら下がっていたのを想い出した。

 

 これは星菊水という料亭が阿部定の名前と接待を売り物に宣伝を打っていて、昭和も30年代以降になると事件は好奇心だけに変わったようだが、今の馬鹿馬鹿しいテレビのワイド・ショー番組には阿部定など出演者としては適材のような気がする。

 

 その後阿部定は生死不明で歴史の中から消えたが、文学や映画では多く取り上げられ、大島渚の『愛のコリーダ』など問題作にして名作を生んでいる。

 

 さて、ヴァレンタイン・ディーのチョコレートの由来に戻るが、戦前のモロゾフ説に対して戦後の『メリーチョコレート』説がある。

 

 メリーチョコレートは現在は製菓大手のロッテ傘下に入っているが、モロゾフの菓子職人であった人物が1949年に創業し、一度潰れて1952年に再開し現在に至るが、1958年2月12日から12日にかけて新宿伊勢丹でヴァレンタイン・フェアーを開催している。

 

 これがヴァレンタインとチョコレートの結び付きの始まりと見る向きは多い。もっともこの時のフェアーではいくらも売れなかったというから、時代の先駆者には苦労が付いているのは変わらない。

 

 このメリーチョコレート説で思い当たるのは、やはり中学時代の話になるが1年生の時、同級生からチョコレートをもらった記憶があり、その時は数人がクラスで配っていたが、何でチョコレートなどくれるのかと不思議に思った。

 

 通っていた中学校は都心に近く万事進んでいて、千住の小学校から来た小生としてはヴァレンタイン・ディーに女性がチョコレートを贈るなど知ったのはずっと後で、千住が東京でも田舎であったことを物語る。

 

 今思うと、メリーチョコレートがヴァレンタイン・フェアーを開催した翌年に、もう中学の同級生は知っていたのだから、以降爆発的に流行する予兆はあった。

 

 ヴァレンタイン・ディーの時期にはチョコレートの売り上げが年間の20%以上を占めるというから、業界としても力を入れるし、世間も義理チョコと本命チョコなどと面白がって捉え、この時期の風物詩となったが、ヴァレンタインが俳句の季語になるのかと歳時記を開いたら見当たらなかった。

 

 字余りのせいかと思ったが夏の季語にアイスキャンディーとかアイスクリームが入っているので、それが理由でもない。

 

 ではヴァレンタインと繋がるチョコレートは季語になっているのかと見るとやはり季語にはなっていなくて、新しい慣習のヴァレンタイン・ディーは俳句の世界とは遠いのかとも思うが、季語ではなく他の言い回しでヴァレンタイン・ディーは表現できるからあまり拘らなくても良いようだ。

 

 最後に、日本では女性から男性へチョコレートを贈るが、フィリピンではこの日は男性から女性に贈るようになっていて、フィリピンに住んだ当初は女性から催促されて面食らった覚えがある。

 

 フィリピンではチョコレートではなく別の物を贈るが、薔薇の花を贈るのが流行っているようで、この時期のフィリピンの薔薇の花を扱う業者は年間売り上げでも相当の割合を示すというから、日本のチョコレート騒動と似たところがある。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 18:07
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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(6) フィリピンの選挙が近い

 今年の5月13日(月曜日)にフィリピンは3年に1度の選挙が行われる。

 

 前回選挙は2016年に行われたが、この選挙の大統領選で最初は泡沫候補であったドゥテルテが次点に663万票以上の差を付けて当選。

 

 ドゥテルテのブッチ切り選挙と当時は言われたが、得票数1660万票余で得票率は39.01%に過ぎず、過半数を得ていない。

 

 次点はアキノ(子)が当選した2010年選挙で副大統領候補として組んだロハスで、2010年選挙では首都圏マカティ市長のビナイに僅差で負け、満を持して2016年大統領選に立候補したが997万票余、得票率23.45%で落選。

 

 この選挙でロハスは劣勢は伝えられ下位落選なら政治生命を失うとまで言われたが、健闘して次点に食い込み、今年の選挙では上院議員選に立候補する予定で、事前調査でも当選圏に入っている。

 

 この時の大統領選では、ドゥテルテが出馬するまでは上院議員のポーの当選が固いとなっていたが、ポーはよもやの3位、910万票、得票率21.34%と惨敗。

 

 この他に副大統領であったビナイが野望満々で大統領選に出たが、541万票余、得票率12.73%で副大統領としては不名誉な数字を残して惨敗し、本人の政治生命は風前の灯火となった。

 

 もう一人大統領選には最下位落選となったサンチャゴ元上院議員が出ていて、得票数145万票余、得票率3.42%と見るも無残な結果となったが、同議員はかつてラモスと大統領選を争って小差で敗れた過去もあり、上院議員としても名物で人気は高かったが、2016年大統領選後に癌で死亡した。

 

 このそれぞれの得票率を見て分かるように、フィリピンの大統領選は有力な候補者が乱立し、票が割れてしまいその結果、ドゥテルテが39.01%という少数得票率で当選してしまうことになるが、俺が俺がという政治の世界では座を譲るなどあり得ないのであろう。

 

 ドゥテルテはミンダナオ島ダヴァオ市の市長に20年以上君臨し、現在の市長は長女、長男も副市長であったがこの長男は密輸容疑で辞任をしたが、今度の選挙にはダヴァオ選出の下院議員選に出るから、公職の私物化はこの国では日常茶飯事で誰も驚いていない。

 

 副大統領選には独裁者マルコスの息子が立候補したが、アキノ政権側から立候補した女性のロブレドがマルコスに僅差で勝利し、マルコス側は開票に不正があったと選挙後に騒ぎ、裁判沙汰になったがいつの間にかニュースにならなくなった。

 それにしても、マルコスは開票不正を問題にするが、父親がアキノ(母)と大統領の座を争った1986年選挙で、開票不正を行ってエドサ政変を招き、妻のイメルダ以下一族と取り巻きがハワイに逃げたことを忘れたのかと噴飯ものである。

 ドゥテルテは副大統領には上院議員と組んだがこちらは落選し、両方の座を独占する野望はならなかったが、本当はマルコスと組みたかったとシャアシャアと言い、ドゥテルテはこの副大統領選で落選した相棒をその後に外務長官に任命したから、恩と借りは返しまるでやくざの世界と変わらない。

 

 今年のフィリピン選挙は前回2016年に行われた正副大統領以外を選び、上下院議員、州、市、町の正副首長、それら自治体の全部の議員が対象になっている。

 これで分かるようにフィリピンの議員や首長の任期は3年で、これはアメリカと同じになるが、日本のように衆議院議員や自治体議員と首長4年任期というのは考える必要がある。

 

 ただし、日本は参議院議員以外は解散という制度があり、反対にフィリピン、アメリカは3年任期で解散なしとなっていて、時の政権が党利党略で解散をする日本など奇妙な感じがする。

 

 今も安倍自民党が今年に行われる参議院選に衆議院を解散して同時選挙を目論んでいて、この見方に対して安倍は『頭の片隅にない』と否定しているが『頭の真ん中にある』と言って解散した首相も居るから例によって信用出来ない。

 

 4年任期となっている衆議院議員だが、戦後に行われた日本の衆議院議員任期で、任期満了を全うしたのは1976年の三木内閣の時のみの1回で、記録によると平均は2年半しか在任していない。

 

 これを考えると首相の持つ解散権は憲法上で疑義があると指摘されていることもあり、首相が解散をちらかせて政局を作る手法は問題があり、3年任期解散なしというのが議員連中も落ち着いて仕事に取り組めるのではないか。

 

 さて、フィリピンの選挙に戻すが、日本の選挙は公示と同時に立候補受け付けが行われ、選挙戦に入るが、フィリピンでは立候補予定者の事前届け出というのがあって、昨年の10月に行われた。

 

 選挙は半年以上も先なのでおかしな制度に見えるが、この届け出によって噂されていた立候補予定者が本当に立候補するというのが分かって、敵対する陣営同士には運動がし易くなる。

 

 ただし、この届け出も候補者の最終決定ではなく、議員に出るのか首長に出るのか様子を見て変更が出来るという。これはいわば腹の探り合いを公的に許している訳で、当選する可能がある方に決めようという、フィリピン的な融通無碍な制度と言って良い。

 

 また事前登録を採用しているのは、売名や資金のない泡沫候補を排除審査するためで、特に全国選挙となる上院選は規制政治屋に交じって有象無象の連中が立候補するため、そういった連中を振るい落とすために必要で、先日この審査に通った候補予定者が発表された。

 

 この上院選、24人定員の半数12人を5月に改選するが、それに対して先日の第1次選考では70人ほどが通ったがそれでもまだ候補者数は多い。

 

 日本は供託金を払えば誰でも立候補出来る仕組みになっていて、各種選挙では奇妙な候補者が出て来るが、これら候補者は泡沫と一括りにされてしまうものの、意外とまともな意見を言っている者があり排除することはない。

 

 当選は覚束なくても知名度の高い候補者もあって、フィリピンでも上院の立候補者には名物候補者が何人も居て、小生などもこの面白連中の顔が見えないと今回はどうしたのかと気にかかる。

 

 この上院選、歴代のフィリピン大統領は上院議員経験者が多く、これはアメリカと似ているが、現在のドゥテルテのように大きいとは言え地方の市長から大統領に当選するなど例外中の例外になる。

 

 フィリピンの上院選挙は日本でかつてあった参議院の全国区と同じで、国内全域で選挙運動が行われ、前回2016年の投票率は80.69%と日本やアメリカのように50%も行けば投票率が良かったと言う国とは違う。

 

 そのため候補者側の事前運動は盛んで、金のある候補者予定者はテレビ広告を盛んに打っていて、この間マニラへ行った時にテレビを見ると、番組の間に名前だけ書いた広告が頻繁に流され、これが違反を避けるためのフィリピン流の手口かと思った。

 

 3年ごとの選挙は過熱し、金も動くので選挙のある年はお祭り騒ぎになって国内GDPが上昇する始末で、当然広告を流すテレビ局を初めとして選挙で儲ける輩も多く、既に選挙は終盤戦に入っている。

 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 15:11
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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(5) 今年の春節は2月5日

 今日2月5日(火曜日)は『春節』で、フィリピンは休日に制定されている。春節が休日になったのは最近の制定で、これはフィリピンの多様性を重んじるためと称しているが、フィリピンの経済を牛耳る中国系のご機嫌取りとの批判も強い。

 例えば、今の大統領のドゥテルテはダヴァオ市長から大統領選に立候補した時、泡沫候補扱いであったが、中国系財界人が多額な選挙資金を出して当選を勝ち取っていて、当選後のドゥテルテはフィリピンの中国系財界人と中国政府との橋渡しを露骨に進めている。

 

 フィリピンの多様性という理由では、やはりカトリック王国のフィリピンで一定程度を占めるイスラム教徒の行事『ラマダン』の始まりと終わりの日を休日にしているが、カトリックの行事日を祝祭日としているからこちらは分からなくもない。

 春節というのは中国圏では正月の始まりになるが、この春節を中国本土で初めて体験したのは1996年で、その時まで春節などという言葉を聞いたことはあっても、それが中国で大切な行事であることとは知らなかった。

 小生は1995年から広東省で仕事をする機会を得ていたが、広東省は中国本土の中では割合暖かい地域に入るが、その年の冬は大寒波が襲来し、隣の香港でホームレスが多数凍死したことが大きなニュースになった。

 広東省は夏に備えての冷房設備は考えられても、冬の寒さに備えての暖房や建物の構造はあまり考えられていなくて、町でやっと見つけた電気ストーブを購入して一晩中点け続け寒さをしのいだ。

 そういった厳寒の中、春節時には室内に花を飾る習慣があると中国人の知人に教えられ、知人と一緒に深圳の『花市』へ出かけた。

 今でこそ深圳は中国のシリコンバレーなどと呼ばれて持ち上げられているが、その当時の深圳は高層ビルはあちらこちらに立ち上がり、発展はしているが、高層ビルが場違いに見え田舎の町が背伸びしているという感じが強かった。

 1990年代から開放経済政策に乗って広東省などは外資の資本が入った工場がたくさん進出するが、その勢いは人も環境も荒っぽく小生などは『西部開拓時代』と同じと感じた。

 その象徴として現地で新しい工場用地を探した時に、公安(警察)が適地があると接触してきて、公安と書かれた車に乗って場所を案内されたが、これは中国は警察でも企業活動が容認されているためだがさすがに驚いた。

 これは今もそうらしいが、中国では警察や軍、自治体が企業活動をするなど当たり前で、その源は『利権』であり、最近問題になっている通信企業大手の『ホァウェイ』もその始まりは軍と密接な関係があった。

 ちなみにこのホァウェイ、ラオスに住んだ時に国内のインターネットなどの通信環境は全部ホァウェイが国営のように運営していて、国の根幹ともなる通信事業を中国の一企業に任して大丈夫かと思ったが、既に中国の植民地といわれるラオスでは問題ないのであろう。

 最近読んだ文章で1990年代の広東省の様子を描いているのがあって、この文章の中に広東省が無法地帯と化していた話が載っていたが、そういえば深圳の街中で昼間に家人と歩いていたら怪しいグループに追いかけられたことがあって、辛うじて近くの店に逃げ込んで難を逃れたことを思い出した。

 

 このような無法地帯となっていたのは広東省へ地方の農村部から工場労働者として出稼ぎ労働者大量に流入したことと関係があって、確かにそういった人々の波は怒涛のような時代で、深圳の怪しい連中もこういった類の連中が外国人と見て追いかけたのではないかと思う。

 人が動くと共に犯罪組織やはぐれた者も膨張するが、特に売春など裏の商売も活発化し、広東省のある市など売春が一大産業になっている市として有名で、高級なホテルに泊まっても『女はどうか』とすぐに部屋に電話がかかってくるような有様であった。

 後年、さすがに中央政府も問題視し、この市をに対して一斉手入れを行い一掃を図ったが、こういった業種というのは土地の有力者や軍、警察権力と強く結びついていて、その結果は最初だけ効果はあったが、多くは地下に潜っただけといわれている。

 深圳の花市に戻すが、街路に花を売る出店が連なり、新鮮な花が売られていたが、一帯に漂う甘い花の香りがいかにも春の到来を告げて心が浮き立ち、こういう行事は共産党一党独裁体制下でも廃れないものと嬉しかった。


 その花の中で目立ったのは枝に咲いた桃の花で、春節には桃の花を飾るのがおめでたいと初めて分かり、そういえば香港へ行った時にモール内入り口に大きな枝ぶりの桃の花を飾っていたなと思い出した。

 春節用の桃の花はそれ専用に植えられた桃の木から切り取っていて、香港から深圳へ向かう鉄道沿線に桃の木を植えた畑を見かけ、そのためかと納得したが、モールやホテルなどで飾る桃は枝というより幹を切って運んだ大きさで、春節を思う中国人の意気込みを感じさせた。

 

 この春節、毎年固定された日ではなくその年によって変動するが、その範囲は1月下旬から2月上旬に入っていて、今年は2月5日となったが、去年は2月15日と遅めであった。

 その前の2017年は1月28日となり、1月の春節というのは何となく気分は乗らないが、来年2020年も1月25日と1月になっている。

 ちなみに2000年から2100年までの春節の日付で、一番早いのは2061年と2099年の1月21日になるが、そんな先まで生きていられないからどうでも良い。

 一方、最も遅い2月の春節となると2015年と2034年の2月19日で、2015年は過ぎているし2034年も何とか引っかかりそうだがこちらもどうでも良いことになる。

 中国で体験した春節の印象は先述した花市と派手に鳴らす爆竹の音だが、この春節の時期は故郷で春節を過ごす中国人の民族大移動といって良い移動があり、鉄道、長距離バスなど交通機関は大混雑になる。

 当時はまだコンピューターなど普及していなくて、チケットを得るには駅へ行って手に入れるしかなく、手に入れるまでまた一苦労し、また、地方から来ている人は故郷まで片道2日も3日もかかる人は当たり前で、この時期はどこの会社でも長期休暇を取る人が多く、特に外資系会社は対応に苦労する。

 小生自身の経験でも2週間くらいの休暇申請は仕方がないと認めたが、中には3ヶ月くれというのも居て、これは故郷に帰って結婚をするためを理由にしていたが、さすがにそういう長い休暇を言い出す人間は戻ってこなかった。

 フィリピンの春節の過ごし方であるが、中国系以外では特に行事を行うことはなく、ドゥテルテ政権になってクリスマス、大晦日の花火がかなり規制されているせいもあるが、それでも時々花火の鳴る音が聞こえる。

 セブにはチャイナ・タウンといわれるような街区はないが、マニラには割合大きなチャイナ・タウンがあって、そこでは春節行事がかなりにぎやかに行われ、フィリピン人の観光客がかなり足を運ぶ新しい観光地となっている。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 01:15
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