- 日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−141 【13日目−6 番外篇−10 一畑電車 出雲市駅】 映画『RAILWAYS』の舞台になった鉄道線
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2024.03.19 Tuesday
JR『出雲市駅』から私鉄の『一畑電車』が宍道湖の北岸沿いに走り『松江しんじ湖温泉駅』まで行く『北松江線』と同地方の看板ともいえる出雲大社へ行く『大社線』の2路線を運行している。
【写真−1 同駅は地上にあり駅構内を出入りする電車が見られると思った】
その一畑電車の『出雲市駅』1が写真−1で、JR『出雲市駅』から行くには北口改札口を出て高架沿いに歩いて行く必要があり何とも不便で、JR側は1998(平成10)年に高架駅となり、一畑電車側も2年遅れて高架化されたが互いに連結して利用客の便を図る考えはなかったようだ。
一畑電車『出雲市駅』が開業したのは1914(大正3)年で、当時はJR側も一畑側も『出雲今市駅』と名乗っていて、高架化になるまでは一畑電車はJR構内にレールが乗り入れていて相互の乗り換えは簡単であった。
【写真−2 シーズン中は出雲大社へ向かう人々で混雑しそう】
写真−2は一畑電車『出雲市駅』の出札口で、その上に時刻表と路線の駅と共に料金表が表示されていて、時刻表では平日は朝6時から夜10時まで1時間に1〜2本、ラッシュ時には3本運行しているのが分かる。
2路線あると先述したが5駅、8.3キロの大社線『出雲大社駅』へ行くには途中の『川端駅』で乗り換える必要があり、その所要時間は乗り換え時間を含めて25分だが、『出雲市駅』からの直通も1日2本運行しているが、時間はそれほど変わらず料金は500円。
一方の北松江線の終点『松江しんじ湖温泉駅』までは1時間かかり、22駅、33.9キロあるわりには料金700円とはかなり安い気がするし、宍道湖沿いに走る車窓風景はかなりの見ものである。
【写真−3 地上駅であった時代はどういった改札風景であったか】
一畑電車『出雲市駅』の改札口が写真−3で、地方鉄道の現況を表すように通路2つで賄える規模で、正面の階段を上がってホームへ行くが、年配者や大荷物を持っている旅行者にはエレヴェーターかエスカレーターがないとチョッと大変で、同駅に設備されているのかどうかは不明。
頭上の表示板に9:19発の急行『松江しんじ湖温泉』行きと9:50発の『出雲大社駅』行き直通電車の案内があり、この直通電車は1日2本しかない内の1本で、他には発車時刻10分前に改札業務を行うとの案内が見える。
【写真−4 一畑電車の待合室ガラス仕切りに映画の宣伝が】
長い題名の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の映画は2010(平成22)年に公開され、その舞台となったのがこの一畑電車で監督は『錦織良成』、同監督は平田市(現出雲市)出身で島根三部作の映画を発表している。
島根三部作の最初は2008(平成20)年の『うん、何?』、2作目がこの『RAILWAYS』で、3作目は2017(平成29)年の『たたら侍』と分野は違うが、何れも島根が舞台となっている。
毎年日本の国際交流基金がフィリピン各地で日本映画を上映する行事があって、『RAILWAYS』はセブの映画館で観ていて、出雲路を走る電車の様子がずいぶんのんびりしているなあとの印象があった。
将棋の藤井が棋士にならなければ鉄道の運転士になりたかったと述べているようにレール上を走る列車を運転するのは人気はあり、映画は会社を退職して運転士になった人物を描いていて、待合室に描かれ劇中に出て来る電車は『一畑電気鉄道 デハニ−50系』で、その製造は1928(昭和3)年の文化財級になり、列車マニアには垂涎の車両でもある。
【写真−5 見れば見るほど面白い造りになっている】
一畑電車『出雲市駅』のトイレが写真−5で、今もってこういう和式のトイレが使われていることに驚いたが、出雲大社には海外からの観光客も多く訪れると思い、このトイレを見たら相当吃驚するのではないか。
トイレというのはその国の衛生観念の分かる場所で、社会学に『トイレ学』という分野があるくらいで、かつて中国で公園内にあるトイレに入ったら便槽に板が差し渡していて、前後左右丸見えの中で用を足す様を見て驚愕したが、中国人にとっては普通で所変われば変わるとは言うが、近代化路線を急いだ中国にあのようなトイレはまだ残っているのであろうか。
ハワイのヨットハーバー内にあるトイレに行ったら、ドアがなくて中は丸見えで用を足すようになっていて、さすがに最初は使うのを躊躇ったが、慣れれば何ということなく普通に使うようになったが、同地の博物館内のトイレはドアがあっても中が見えるように低く、これは安全上から来ているようだ。
【写真−6 折角の駅前再開発も土地の特徴がないと同じ雰囲気】
一畑電車は市役所などがあるJR南口側にあり、時間があったので北口に回って撮った駅前が写真−6で、開発前は工場が並んでいて、駅の高架化に伴って再開発されて現在のようになり、写真右側に益田市で泊まったホテルの出雲店があり、同ホテルを含めて広場を囲むようにホテルが3軒建っている。
左側に見える建物は『ビッグハート出雲』と名付けられた多目的ホール施設で、主にクラシック演奏会に使われていて、開館は1999(平成11)年で出雲市は県庁所在地の松江市(人口20万人弱)に次いだ県内2番目の人口17万人を擁し、このくらいの箱モノはあって当然という所か。
- 日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−140 【13日目−5 波根駅−田儀駅−西出雲駅−出雲市駅】 海を臨む駅から神話の郷の駅へ
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2024.03.18 Monday
昔でいう山陰の『長門』『石見』を通り抜けて、『浜田駅』で乗り換えた各駅停車列車はいよいよ『出雲』に入り、『出雲市駅』で『米子駅』行きに乗り換える。
【写真−1 駅に柵がなく住宅と一体化している雰囲気が好ましい】
写真−1の『波根駅』は名前の通り近くに海水浴場があり、ホームから水平線が見え、同駅は大田市内には10駅ある駅の中では最北に位置し、開業は1915(大正4)年と既に100年を過ぎている。
海側から山陰本線、山側に国道9号線、更に山側に高速道路の『山陰自動車道』が並行して走っていて、同高速道路の開通は1985(昭和60)年で、鳥取市を起点に山陰海岸沿いに下関市まで380キロ、時代とは言え開通によって同地方の鉄道事業の衰退を更に進めてしまった。
【写真−2 冬季の景色はまた違う表情を見せるのであろう】
『波根駅』から次の『田儀駅』間は写真−2のように国道9号線を挟んで線路が延び、のびやかな水平線が車窓に広がり、彼方に見える影は島ではなく、出雲方面の半島のようだ。
国道9号線は山陰本線と付かず離れずの距離で並行しているが、写真でも分かるようにあまり車が連なって走っているような光景や、車が走っていてもトラックのような商業車は少なく、山陰地方の過疎化は物流にも影響を与えているようだ。
【写真−3 ホームは北側に面しているので水平線に沈む夕陽はどうか】
その国道9号線と海を臨んだ場所にあるのが写真−3の『田儀駅』で、折しも反対側ホームに『浜田駅』行きの各駅停車列車が入って来て、車両の向こう側に水平線が入る構図はJRが好んでPR用に使う写真でもある。
同駅は大田市を離れ出雲市に入っていて、駅名はその昔の『田儀村』から来ているが現町名は地の違う『多伎(たき)町』で、これは合併によって合成した地名になり、駅舎は2005(平成17)年に町営バスターミナル兼用でログハウス風に建てられた。
【写真−4 山陰本線の電化区間というのは少なくほとんど単線】
写真−4は終点の『出雲市駅』一つ手前の『西出雲駅』で、1913(大正2)年に開業した当時は『知井宮駅』という名称で、宮が入っているように『出雲風土記』に同所に『知乃社(ちのやしろ)』がありそこから来ている。
同駅は1993(平成−5)年に『西出雲駅』に改称し、下関側の『幡生駅』から当駅までは非電化区間で気動車を走らせているが、写真−5で分かるようにここから電化されていて張られた架線が妙に新鮮。
【写真−5 今は山陰本線のみだがかつては大社線があった】
『浜田駅』発6:34の各駅停車列車は8:49に『出雲市駅』に到着し、写真−5は到着したホームの反対側を写したが、JR西が採用しているオレンジ色に塗られた車両を見て同系統の車両で瀬戸内海沿岸を乗り継いだことを思い出した。
同駅が1910(明治43)年に開業した当時の名前は『出雲今市駅』で、1957(昭和32)年に『出雲市駅』と変哲もない駅名に改称したが、当時の国鉄と自治体の連中の貧弱な国語力と地名の歴史を軽んじる態度はどうしようもない。
【写真−6 余りにも取り澄ました駅前で神話の郷を感じさせない】
駅のある出雲市は人口17万人を擁し、山陰地方では県庁所在地の松江市と鳥取市に次ぐ人口で、そのためもあって同駅は1998(平成10)年に同地域では数少ない高架駅となり、写真−6の北口入り口は出雲大社の建物を模している。
大きな市のために駅前は整理されていて、同駅は私鉄の『一畑電車』の起点でもあり、山陰本線『米子駅』行きは10:01のために時間があるので『一畑電車』の『出雲市駅』に行くが、駅構内でホームは隣接していると思ったら、全く別々になっていて一度駅を出ないと行けない。
- 日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−139 【13日目−4 温泉津駅−仁万駅−太田市駅】 時々左の車窓に見える海岸沿いの風景と世界遺産
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2024.03.17 Sunday
山陰地方は温泉の多い場所でもあるが、次に停車した駅ではそのものズバリの漢字ながら読み方を知って驚いた。
【写真−1 新建材の家でも瓦屋根になっている】
山日本海沿岸を走る山陰本線は時々写真−1のような海に臨む集落をすり抜けて走るが、この石見地方の浜田市から江津市にかけては日本三大瓦産地の一つ『石州瓦』を生産している地域で地元産の瓦を乗せた家屋が並ぶ。
石州瓦の特徴は土と焼成温度から生まれる赤褐色の色だが、最近は黒系の瓦も生産していて、瓦を使った屋根は断熱性は良いが瓦自体の重さのためにかなりの荷重が柱と梁にかかり、この間の能登半島地震でも瓦屋根の古い木造家屋は屋根の部分を残して下側は倒壊しているのが多かった。
【写真−2 次の駅は『湯里駅』だが同地には温泉はない】
写真−2が冒頭に書いた難読駅の『温泉津駅』で、これで『ゆのつ』と読むから漢字の読み方は難しく、どうしてこう読むのかと考えても仕方がなくこう読むのだと丸暗記するしかない。
同駅から徒歩で海に向かって15分くらいの場所にある入り江に『温泉津温泉』があり、同温泉街は石州瓦を乗せた古い建物が連なり、2004(平成16)年に国の『重要伝統的建築物群保存地区』に指定され、温泉街としては初めての指定であった。
温泉津で特筆されるのはユネスコの世界遺産になった『石見銀山』から産出した銀を温泉街に連なる温泉津港から積み出したことで、同港も世界遺産の登録を受け、駅そのものは特徴のない無人駅でも歴史の中では同地は豊かであった。
【写真−3 グリーン座席はない特急列車】
『温泉津駅』に『出雲市駅』行き各駅停車列車が停まっていると、反対側に写真−3の列車が通り過ぎ、これは山陰本線と山口線を走る特急で、『米子駅』6:49発の『スーパーおき1号』で、10:19に『新山口駅』到着する。
山陰本線の同区間を走る特急は他に『スーパーまつかぜ』があるが、使用している車両は同じ『JR西キハ−187系気動車』でデザイン的には地味だが、急カーブの多い区間を走るために設計され、2両編成と特急にしてはやはり地味。
【写真−4 この長い砂浜は鳴き砂で知られる『琴ヶ浜』か】
写真−4も車窓からの山陰海岸の様子で、山陰海岸は奇岩の多い岩礁の続く海岸のイメージは強いが、この写真には結構長い薄茶色の砂浜が写っていて意外な感じはしたが、鳥取砂丘を思うと日本海側に砂浜があってもおかしくはない。
車窓から眺める分には綺麗な砂浜と海に見えるが、打ち寄せる波と同じ海なのにどこか太平洋側と比べると重苦しく、海辺に連なる集落も閉鎖的な感じを受け、これが風吹き荒び雪が舞うような冬季だと寂しい光景になるのだろうと想像する。
【写真−5 1日の乗車人員は200人前後と意外に多い】
『温泉津駅』から既に太田市内を走っていて、写真−5は『仁万駅』で、駅のある地名は『仁摩』であり、同地のかつての郡名は『邇摩郡』で合併を繰り返して、最終的には2005(平成17)年に太田市と合併したために、邇摩郡と仁万町は消滅した。
同駅はユネスコの『石見銀山遺跡とその文化的景観』に登録された関連施設に近い最寄り駅でもあり、時間帯によっては特急も停車し、同駅からは鳴き砂で知られる1.6キロに及ぶ『琴ヶ浜』が近く、また仁摩町出身の建築家『高松伸』設計の『仁摩サンドミュージアム』がある。
【写真−6 ホーム上の時刻表は赤色の特急列車運行がかなり多い】
大田市中心の駅が写真−6の『大田市駅』で、『おおた』ではなく『おおだ』と読むが、開業当時の1915(大正4)年には『石見大田駅』で『おおた』と称していて、1971(昭和46)年に『大田市駅』と改称し『おおだ』となった。
同駅の2、3番線ホームからの跨線橋に使われている鋳鉄製の門柱は、現存する鉄道の鋳鉄製門柱では国内最古の1890(明治23)年に神戸の工場で造られた重要文化財級の物で、門柱は勿論跨線橋全体が歴史を感じさせる造りで、もう少し停車時間があったら写真に撮っていた。
大田市(人口3万1千人)の山側には江戸時代に世界の銀の3分の1を産出したというユネスコの世界遺産登録の『石見銀山』があり、同銀山の中心となった同市大森地区は鉱山町として1987(昭和62)年に『重要伝統的建造物群保存地区』に指定された。
石見銀山がユネスコの世界遺産に登録されたのは2007(平成19)年で、一時は不承認であったがロビー活動が功を制して日本の世界登録遺産として14番目、文化遺産としては11番目、産業遺産としてはアジアで最初の登録地となった。