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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−140 【13日目−5 波根駅−田儀駅−西出雲駅−出雲市駅】 海を臨む駅から神話の郷の駅へ

 昔でいう山陰の『長門』『石見』を通り抜けて、『浜田駅』で乗り換えた各駅停車列車はいよいよ『出雲』に入り、『出雲市駅』で『米子駅』行きに乗り換える。

 

【写真−1 駅に柵がなく住宅と一体化している雰囲気が好ましい】

 

 写真−1の『波根駅』は名前の通り近くに海水浴場があり、ホームから水平線が見え、同駅は大田市内には10駅ある駅の中では最北に位置し、開業は1915(大正4)年と既に100年を過ぎている。

 

 海側から山陰本線、山側に国道9号線、更に山側に高速道路の『山陰自動車道』が並行して走っていて、同高速道路の開通は1985(昭和60)年で、鳥取市を起点に山陰海岸沿いに下関市まで380キロ、時代とは言え開通によって同地方の鉄道事業の衰退を更に進めてしまった。

 

【写真−2 冬季の景色はまた違う表情を見せるのであろう】

 

 『波根駅』から次の『田儀駅』間は写真−2のように国道9号線を挟んで線路が延び、のびやかな水平線が車窓に広がり、彼方に見える影は島ではなく、出雲方面の半島のようだ。

 

 国道9号線は山陰本線と付かず離れずの距離で並行しているが、写真でも分かるようにあまり車が連なって走っているような光景や、車が走っていてもトラックのような商業車は少なく、山陰地方の過疎化は物流にも影響を与えているようだ。

 

【写真−3 ホームは北側に面しているので水平線に沈む夕陽はどうか】

 

 その国道9号線と海を臨んだ場所にあるのが写真−3の『田儀駅』で、折しも反対側ホームに『浜田駅』行きの各駅停車列車が入って来て、車両の向こう側に水平線が入る構図はJRが好んでPR用に使う写真でもある。

 

 同駅は大田市を離れ出雲市に入っていて、駅名はその昔の『田儀村』から来ているが現町名は地の違う『多伎(たき)町』で、これは合併によって合成した地名になり、駅舎は2005(平成17)年に町営バスターミナル兼用でログハウス風に建てられた。

 

【写真−4 山陰本線の電化区間というのは少なくほとんど単線】

 

 写真−4は終点の『出雲市駅』一つ手前の『西出雲駅』で、1913(大正2)年に開業した当時は『知井宮駅』という名称で、宮が入っているように『出雲風土記』に同所に『知乃社(ちのやしろ)』がありそこから来ている。

 

 同駅は1993(平成−5)年に『西出雲駅』に改称し、下関側の『幡生駅』から当駅までは非電化区間で気動車を走らせているが、写真−5で分かるようにここから電化されていて張られた架線が妙に新鮮。

 

【写真−5 今は山陰本線のみだがかつては大社線があった】

 

 『浜田駅』発6:34の各駅停車列車は8:49に『出雲市駅』に到着し、写真−5は到着したホームの反対側を写したが、JR西が採用しているオレンジ色に塗られた車両を見て同系統の車両で瀬戸内海沿岸を乗り継いだことを思い出した。

 

 同駅が1910(明治43)年に開業した当時の名前は『出雲今市駅』で、1957(昭和32)年に『出雲市駅』と変哲もない駅名に改称したが、当時の国鉄と自治体の連中の貧弱な国語力と地名の歴史を軽んじる態度はどうしようもない。

 

【写真−6 余りにも取り澄ました駅前で神話の郷を感じさせない】

 

 駅のある出雲市は人口17万人を擁し、山陰地方では県庁所在地の松江市と鳥取市に次ぐ人口で、そのためもあって同駅は1998(平成10)年に同地域では数少ない高架駅となり、写真−6の北口入り口は出雲大社の建物を模している。

 

 大きな市のために駅前は整理されていて、同駅は私鉄の『一畑電車』の起点でもあり、山陰本線『米子駅』行きは10:01のために時間があるので『一畑電車』の『出雲市駅』に行くが、駅構内でホームは隣接していると思ったら、全く別々になっていて一度駅を出ないと行けない。

 


 

 

 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 20:16
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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−139 【13日目−4 温泉津駅−仁万駅−太田市駅】 時々左の車窓に見える海岸沿いの風景と世界遺産

 山陰地方は温泉の多い場所でもあるが、次に停車した駅ではそのものズバリの漢字ながら読み方を知って驚いた。

 

【写真−1 新建材の家でも瓦屋根になっている】

 

 山日本海沿岸を走る山陰本線は時々写真−1のような海に臨む集落をすり抜けて走るが、この石見地方の浜田市から江津市にかけては日本三大瓦産地の一つ『石州瓦』を生産している地域で地元産の瓦を乗せた家屋が並ぶ。

 

 石州瓦の特徴は土と焼成温度から生まれる赤褐色の色だが、最近は黒系の瓦も生産していて、瓦を使った屋根は断熱性は良いが瓦自体の重さのためにかなりの荷重が柱と梁にかかり、この間の能登半島地震でも瓦屋根の古い木造家屋は屋根の部分を残して下側は倒壊しているのが多かった。

 

【写真−2 次の駅は『湯里駅』だが同地には温泉はない】

 

 写真−2が冒頭に書いた難読駅の『温泉津駅』で、これで『ゆのつ』と読むから漢字の読み方は難しく、どうしてこう読むのかと考えても仕方がなくこう読むのだと丸暗記するしかない。

 

 同駅から徒歩で海に向かって15分くらいの場所にある入り江に『温泉津温泉』があり、同温泉街は石州瓦を乗せた古い建物が連なり、2004(平成16)年に国の『重要伝統的建築物群保存地区』に指定され、温泉街としては初めての指定であった。

 

 温泉津で特筆されるのはユネスコの世界遺産になった『石見銀山』から産出した銀を温泉街に連なる温泉津港から積み出したことで、同港も世界遺産の登録を受け、駅そのものは特徴のない無人駅でも歴史の中では同地は豊かであった。

 

【写真−3 グリーン座席はない特急列車】

 

 『温泉津駅』に『出雲市駅』行き各駅停車列車が停まっていると、反対側に写真−3の列車が通り過ぎ、これは山陰本線と山口線を走る特急で、『米子駅』6:49発の『スーパーおき1号』で、10:19に『新山口駅』到着する。

 

 山陰本線の同区間を走る特急は他に『スーパーまつかぜ』があるが、使用している車両は同じ『JR西キハ−187系気動車』でデザイン的には地味だが、急カーブの多い区間を走るために設計され、2両編成と特急にしてはやはり地味。

 

【写真−4 この長い砂浜は鳴き砂で知られる『琴ヶ浜』か】

 

 写真−4も車窓からの山陰海岸の様子で、山陰海岸は奇岩の多い岩礁の続く海岸のイメージは強いが、この写真には結構長い薄茶色の砂浜が写っていて意外な感じはしたが、鳥取砂丘を思うと日本海側に砂浜があってもおかしくはない。

 

 車窓から眺める分には綺麗な砂浜と海に見えるが、打ち寄せる波と同じ海なのにどこか太平洋側と比べると重苦しく、海辺に連なる集落も閉鎖的な感じを受け、これが風吹き荒び雪が舞うような冬季だと寂しい光景になるのだろうと想像する。

 

【写真−5 1日の乗車人員は200人前後と意外に多い】

 

 『温泉津駅』から既に太田市内を走っていて、写真−5は『仁万駅』で、駅のある地名は『仁摩』であり、同地のかつての郡名は『邇摩郡』で合併を繰り返して、最終的には2005(平成17)年に太田市と合併したために、邇摩郡と仁万町は消滅した。

 

 同駅はユネスコの『石見銀山遺跡とその文化的景観』に登録された関連施設に近い最寄り駅でもあり、時間帯によっては特急も停車し、同駅からは鳴き砂で知られる1.6キロに及ぶ『琴ヶ浜』が近く、また仁摩町出身の建築家『高松伸』設計の『仁摩サンドミュージアム』がある。

 

【写真−6 ホーム上の時刻表は赤色の特急列車運行がかなり多い】

 

 大田市中心の駅が写真−6の『大田市駅』で、『おおた』ではなく『おおだ』と読むが、開業当時の1915(大正4)年には『石見大田駅』で『おおた』と称していて、1971(昭和46)年に『大田市駅』と改称し『おおだ』となった。

 

 同駅の2、3番線ホームからの跨線橋に使われている鋳鉄製の門柱は、現存する鉄道の鋳鉄製門柱では国内最古の1890(明治23)年に神戸の工場で造られた重要文化財級の物で、門柱は勿論跨線橋全体が歴史を感じさせる造りで、もう少し停車時間があったら写真に撮っていた。

 

 大田市(人口3万1千人)の山側には江戸時代に世界の銀の3分の1を産出したというユネスコの世界遺産登録の『石見銀山』があり、同銀山の中心となった同市大森地区は鉱山町として1987(昭和62)年に『重要伝統的建造物群保存地区』に指定された。

 

 石見銀山がユネスコの世界遺産に登録されたのは2007(平成19)年で、一時は不承認であったがロビー活動が功を制して日本の世界登録遺産として14番目、文化遺産としては11番目、産業遺産としてはアジアで最初の登録地となった。

 


 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 19:27
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日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023 その−138 【13日目−3 浜田駅−久代駅−江津駅】 その昔は中国山地を横断する鉄道路線がいくつもあった

 日本海に面する山陰地方の『山陰』は山の陰と書き、同じ中国地方の瀬戸内海に面する『山陽』と比べると、陰鬱な印象を字面からは与えてしまうが、『出雲神話』で象徴するように古くから開けた地域でもある。

 

【写真−1 駅前には岩見神楽をモデルにしたカラクリ時計がある】

 

 写真−1は浜田市の中心駅の『浜田駅』で、浜田市は県庁所在地の松江市、出雲市に続く県内3番目の人口で現在5万1千人を擁し、同地方を表す『石見』は古代日本の7世紀の律令制に始まり、同地域は東西に長いために益田市中心地域を『石西』、太田市中心地域を『石東』、そしてこの浜田市を中心とした地域を『石央』と分けている。

 

 日本海側の『浜田駅』と瀬戸内海側の広島を結んで中国山地を横断する路線がかつてあって、同線は山陽本線『横川駅』から『三段峡駅』までの60.2キロは開通したが、『浜田駅』から『三段峡駅』までは着工出来ず、この区間は幻の『今福線』と呼ばれている。

 

 国鉄時代は中国山地を横断する路線がいくつもあったが、車の時代を迎えて次々と廃線になり、『浜田駅』へ乗り入れるはずであった同線は現在可部線として生き残り『横川駅』−『あき亀山駅』間15.6キロが運行されている。

 

 同線の『横川駅』からの開業は1909(明治42)年とかなり早く、1969(昭和44)年に『三段峡駅』まで開通したが、既に同地域も鉄道の時代は終わっていて1980(昭和55)年に今福線敷設中止決定し、『浜田駅』乗り入れは幻となった。

 

 2003(平成15)年に『可部駅』−『三段峡駅』区間が廃線、その後地元の事情で2017(平成29)年に廃線を利用した『可部駅』−『あき亀山駅』間が開通したように時代の波に洗われた路線であり、仮に『浜田駅』−『横川駅』線が全通しても赤字路線として廃線は免れないのではないか。

 

【写真−2 読めそうで読めない駅名】

 

 写真−2の『久代(くしろ)駅』は『浜田駅』から2つ目の浜田市内にあり、同駅は『浜田駅』寄りの難読駅『下府(しもこう)駅』とその先の『波子駅』の間に1959(昭和34)年造られた新しい駅である。

 

 同駅は山側の高い所にあり、海に向かって降りて行くと国道9号線に当たり、国道を越えると海辺の集落に出るが、駅の1日の乗車人数は一桁に落ちていて、浜田市内にある山陰本線の秘境駅になりつつある。

 

【写真−3 特急も停まる直営駅だが駅員の姿は見えない】

 

 『益田駅』発5:45『浜田駅』行きは同駅に6:32に到着し、6:34発の『出雲市駅』行きに乗り換え、写真−3の日本海に面する江津市の『江津駅』に着いたのは7:03で、都会なら通勤通学ラッシュ時間だが、特急が停まる駅でもご覧の通りに閑散。

 

 瀬戸内海側から中国山地を横断して日本海へ抜ける鉄道が過去に何線もあったと先述したが、『浜田駅』同様『江津駅』も瀬戸内海へ向かう『三江線』という路線が2018(平成30)年まで運行していた。

 

 『三江線』の三は広島県北部内陸にある三次市のことで、同市の『三次駅』には『広島駅』を起点に『備中神代駅』まで、44駅、159.1キロの『伯備線』が通っていて、この伯備線は『倉敷駅』から中国山地を横断して山陰本線の『伯耆大山駅』に至り、数少ない中国山地横断路線として生き残り、JR特急がこの路線を経由して山陰側に向かっている。

 

【写真−4 ホームの向こうに見える雑草と柱の古びた具合が妙に合う】

 

 『江津駅』の反対側ホームを写したのが写真−4で右側に見える列車は『浜田駅』行きで、駅のある江津市は人口2万1千人と山陰地方の市の中では最も人口の少ない市であり、面積も県内で最少の市になる。

 

 江津市は中国地方最大の川『江の川』が流れ込むが、江の川は中国山地に源流を広島側に発するが流れは複雑で反時計回り回り込んで日本海に注ぎ、同市の地場産業として『石州瓦』があり、住宅事情の変化で近年は昔ほど売れていない。

 

【写真−5 原発が出来てもおかしくない地形と環境】

 

 『江津駅』を出て海沿いを走って見えるのが、写真−5の海岸に建つ風力発電設備で、日本海側は風の強い地帯でもあり風力発電設備は山陰本線の車窓から時々見えるが、写真の風力発電所は民間の運営で2009(平成21)年に操業し、11基、2万2千KWの発電量がある。

 

 江津市には山側に9基、2万700KWの『高野山風力発電所』があり、同発電所は地方公共団体が運営する風力発電設備としては最大で、同市はこの他に太陽光発電などの再生エネルギー事業も盛んで、核のゴミを無限に出す原発容認の自治体が多い中では異色の方である。

 

【写真−6 高校生の制服も昔のように詰襟というのは稀少になった】

 

 朝7時台の各駅停車列車のために写真−6のように通学で利用する高校生が座席を多く占めていて、写真で分かるように座席で誰しも携帯に没頭していて仲間通しでおしゃべりに夢中というのは昔の話という時代である。

 

 以前、タイ北部を走る国鉄に乗った時にやはり通学時間帯にぶつかり、途中の駅で高校生くらいの生徒が乗り込んで来て、それまでガラガラであった車内の席が埋まったが、男女別に席に着くのは日本と変わらなく、しかも皆携帯を取り出して会話はなく、世界中同じになっていると思い、便利さより人間の退化を感じた。

 


 

author:cebushima, category:日本一周各駅停車乗り継ぎ旅 2023, 19:59
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